第3話 健#1
「文化祭、忠も来れるらしいぞ。」
健は帰り道に自転車を押しながらそう言った。
高校三年生になった僕と健は文化祭を目前に控えていた。就職組の僕と進学組の健はクラスこそ離れてしまったものの、帰り道は自転車を押しながらいつもの川沿いの道を一緒に帰っていた。健の頭で進学ができるのか不安な気持ちはあったが、自分の就職すら上手くいくか不安な今は他人の心配をする余裕はなかった。
「本当?忠は受験で忙しいんじゃないの?」
「その受験関連で一回実家に戻らなくちゃいけないらしくてさ。そのついでだって。あいつも大変だよな。」
忠は卒業式で別れてから疎遠になってしまっていた。というのも、両親との確執から実家に帰ることはなく、基本的に寮で生活しているため、地元に住んでいる僕らとは顔を合わせる機会が減ってしまった。メッセージアプリでのやり取りや電話などは偶にするが、中学のころと比べれば忠も忙しいらしく部活動にいそしんでいた僕らとは予定が合わないことが多かった。今年は受験勉強でいつもよりもさらに忙しいらしく、忠が文化祭に来るというのは少し意外だった。
「そうだね、健とは大違いだ。」
「俺だって忙しいっつーの。」
そう言って健は笑っていたが、健にしては珍しく少し不安そうな表情が見えていた。向こう見ずで無茶苦茶な僕の幼馴染も将来についてはやはり不安に思っているらしい。
「じゃあ、久々に三人集合だね。学外公開の土曜日は三人で文化祭を回ろう。」
「あー、わり。今回は先約がある。」
「え?誰と。」
「芹沢さん。」
「それってあの『かぐや姫』?」
「おう。」
芹沢めぐみ。それは校内でもファンの多い、いわゆる学年のマドンナと呼ばれる人物の名前だった。その美しさと上品な佇まいからついたあだ名は『かぐや姫』、男子生徒の間では不可侵条約が結ばれているとかいないとか。今年度のクラス替えで僕は同じクラスになったが、近寄りがたい存在であるのは間違いなく、男子生徒はおろか女子生徒とも話しているところを見たことがなかった。
「あんな有名人と文化祭デートなんて、やるなあ。いつ誘われたの?それとも誘ったの?」
「いや、どっちでもない。明日誘うんだ。」
「健には『先約』という言葉の意味を教えてあげたいね。」
「どうせオッケーされるんだから意味としては一緒だろ。」
「その自信はどこから来るのか。その謎を解くために僕はアマゾンの密林に向かわなければならない。」
「大げさだなー。多分大丈夫だよ、芹沢さん毎年文化祭は一人で回ってるし。もうプランだって決まってるんだぜ?」
そう言って健は自分の考えたデートプランを頼んでもないのに語り始めた。この男に教えなければならないのは『捕らぬ狸の皮算用』ということわざかもしれない。
翌日、予想通りと言ったら失礼かもしれないが、健は無事に芹沢さんに文化祭デートを断られた。昼休みに行われたそれは、まあまあな噂になったので健から聞くまでもなく結果を知った僕は、このあと幼馴染を慰めなければならないという事実に一抹の面倒臭さを感じていた。そしてそれは帰り道で行われた。
「まさか断られるとは。」
「僕は予想通りだけれどね。なんで断られたの?」
「クラスの出し物で劇をやるらしくてさ、その主役に抜擢されたから着付けとかで忙しくて当日は文化祭を見て回る余裕はないからって言われたよ。」
「あー、なるほど。それは実際本当だよ。僕のクラスの文化祭は劇をやるんだけれど、その劇の主役は芹沢さんだ。」
「なんだよ、知ってたなら教えてくれよ。」
「知らなかったんだよ。あんまりクラスの出し物に興味なくってさ、自分が演者として出演しないって決まってからの話し合いは興味がないうえに面白くないから寝てたんだ。今日の練習でだれが何の役か知ったくらいだよ。」
「ちなみに演目は?」
「『かぐや姫』」
「芹沢さんのための演目じゃんか。なんかかわいそうだな。」
健は少しだけ不満そうな顔をしていた。僕も演目については少し不満に思っていた。『かぐや姫』という呼び名は本人が希望したものではなく、言ってしまえば非公式なものだ。それなのに劇の演目がかぐや姫に決まってしまえば芹沢さんが主役にならざるを得ない。予定調和のような話し合いに辟易したのもあって、あの日の僕は入眠したのだった。
「そうだね、他人の敷いたレールを歩かされているようでいい気分ではないだろうね。」
「だよなあ。」
しかし、そのかぐや姫の演目には男子生徒内でとある陰謀があるのではと噂されていた。
「一つ気になる噂があってさ。うちのクラスに大木ってやつがいるだろ?あいつが帝の役なんだけれど、そいつが劇の中で公開告白をしようとしてるらしい。」
大木優、芹沢さんが学内のマドンナだとすれば、大木は学内の王子様といったところだろう。容姿端麗、スポーツ万能、決して賢いとは言えないうちの高校の中では成績も優秀だ。女子生徒からの告白もあとが絶えない。しかし、芹沢さんとは打って変わって女性関係のうわさが絶えない人物でもあった。いわゆる遊び人という奴だ。
「告白?でもかぐや姫の物語的には帝の求婚は断られて月へと帰るはずだろ?なんでそんな勝ち目のないことするんだ?」
「うちのクラスのかぐや姫はシナリオがオリジナルで最終的には月に帰らず帝と結ばれてハッピーエンドなんだよ。だから、ストーリーの流れっていう武器を手にすれば行けると踏んだんじゃないかな?まあ、噂の域を出ないけれどね。」
「いや、芹沢さんは普通に断るだろ。」
「僕もそうは思うんだけれど、」
だが、そう思う一方で少しだけ大木の告白は成立するような気がしていた。クラスで孤立しているとも言える芹沢さんの立ち位置的に、シナリオを無視してまで大木の告白を断ることができるかと聞かれれば疑問符が浮かぶのも事実である。その考えがあっての大木の作戦だとすれば策士であると言わざるを得ない。策士というか、性格が悪いというか。
「ふーん、なるほどな。康太は何の係なんだ?」
「僕は衣装係だよ。だから当日は仕事がないんだ。ゆっくりと高校生活最後の文化祭を楽しむことにするよ。」
「衣装係か。」
「なにか企んでる?」
「まあな、面白いことを思いついた。まあ実行はしないと思うけど。」
________________
文化祭準備はつつがなく進み今日はついにその当日だった。文化祭準備の期間は例年忙しいが、高校最後の文化祭ともなればその忙しさは去年までの比ではなかった。なんとか準備を終えることができたが、クオリティとしては学生の文化祭なので許してくださいというレベルだ。衣装係自体は早めに準備を終えていたのだが、誰かが帝の衣装に飲み物をこぼしてしまったために作り直しになったので当日の朝まで仕事をする羽目になった。しかし、終わってみればハプニングもいい思い出である。
教室で決起集会が行われていたが、特に興味のない僕は演者の方々の意気込みを聞きながら携帯電話をのぞき込んでいた。普段ならば認められていない携帯電話の使用も祭りとなれば認められ、忠からのメッセージを待っていた。十分ほどゲームをしながら暇をつぶしていると、携帯が震えて到着した旨のメッセージを受信する。僕は決起集会を抜け出して校門へと向かった。
校門へと到着すると忠が待っていた。中学時代より伸びた背丈が成長を感じさせていたが、一目で忠だとわかった。
「久しぶり!元気にしてた?」
「ああ、ちょっと勉強疲れしてるけれど元気だ。康太は?」
「僕も元気だよ。健も言わずもがな元気だ。」
「あいつに関しては全く心配してない。」
「だね。何から回る?あ、まずパンフレットか。」
そう言って僕はパンフレットを取り出して忠に渡した。忠はそれを一読して僕に尋ねる。
「康太と健は何をやるの?」
「僕は演劇の『かぐや姫』、健はメイド喫茶。僕は劇には出ないけど。」
「かぐや姫は面白いの?」
「うーん、まあ学生のお遊びって感じだよ。」
それを聞いた忠が笑う。
「変に正直なところも変わってないな。そうしたら健と合流して一通り見て回ろうか。」
僕らは歩き出して健のいる教室へと向かった。教室に到着して健に声をかけると健は走って忠に突進してきた。難なくそれを受け止める忠に健が声をかけた。
「よう、元気そうで何よりだよ。」
「健こそ。無茶のし過ぎで死んでないか心配だったんだぜ?」
「俺は死なねーよ。」
「憎まれっ子は何とやらってやつだからね。」
「俺は憎まれっ子でもないって。」
茶々を入れた僕に健がそう返す。中学時代が戻ってきたようで暖かな気持ちになる。
「じゃあ、行くか!久々の再開だ、楽しまなきゃな。なんたって今日は祭りなんだから。レッツ、ゴー!」
「「おー!」」
子供みたいな掛け声だった。それでも僕らはまだ子供だったから、それでいいんだと思う。
一通り僕らは文化祭を楽しんだ。お化け屋敷に入ったり、模擬店で明らかにインスタントのパスタを食べたり、やけに凝った内装のカジノで忠が勝ちまくって出禁になったり。失われた高校時代の三人の思い出を取り戻すには短い時間だったけれど、めいっぱいはしゃいで、それはもう疲れ果てた。テーマパークに一日いたんじゃないかというほどの疲労感から、僕らは健のクラスのメイド喫茶で休憩していた。
「次はどこに行く?」
「そうだな、かぐや姫も見に行くか。」
健がそう言った。
「健は芹沢さんのことを見たいだけだろ?」
「そんなことはない。こともない。」
「芹沢さんって?」
忠が尋ねる。
「僕らの学校のマドンナ的な人。一目見る価値はあるくらい綺麗な人だよ。」
「ほー、あの康太が褒めるなら相当きれいなんだろうな。」
「いや、僕だって普通に人をほめるよ。」
「いや、康太の評価は厳しい上に辛辣だ。中学のころの保健室の先生の一件を俺は忘れてない。」
「あー、あの時の康太はひどかったな。」
「綺麗って噂の保健室の先生を見に行って、期待ほどきれいじゃないって気持ちは俺たちにもあったけど、康太は『化粧濃いね、あの年増』っていつもの声で吐き捨てたからな。」
「そんなこと言ったっけ?」
「本人が覚えてないってのも重症だな。」
そう言って健と忠が笑った。僕は全く身に覚えがなかったが、そんなこともあったかもしれない。
少しだけ喋り疲れて僕らが黙ると、隣の席の話声が聞こえた。
「実際のところ、大木は『かぐや姫』に興味あるの?」
「ああ、なんたってあれだけかわいいからな。俺の誘いになびかないってのも気に入らないし、今回の告白でものにしてやるよ。」
それは僕のクラスの大木とその友人との会話だった。人目を気にしていたのか少しだけ声量の抑えられた声は隣の席の僕らにだけ聞こえていた。
「さすが『王子様』。となると、大木の女遊びも見納めか。」
「なわけねえだろ。かぐや姫もほかの女もみんな同じだよ、一回抱いて駄目ならほかの女。もし相性が良くても今遊んでる女は手放さないっての。」
「さすが王子様、あこがれるわー。」
そう言って隣の席の二人は大笑いしていた。その時、僕と大木は目が合った。
「あー、クボタ君、だっけ?今の話は内緒ね。そしたら俺のおさがりだけど『かぐや姫』をきみにあげるよ。じゃあ、俺はそろそろ劇の準備に行くから。」
そう言って下品に笑いながら去っていった。彼なりのジョークだったのかもしれないが虫唾が走るようなセリフだ。本当に気持ちが悪い。
「品のない奴らだったな。」
聞こえていたらしい忠がそう言った。
「そうだね、おなじ人間として恥じるばかりだよ。」
「意外とどこにでもいるけどな、ああいう奴は。あれを認めて見て見ぬふりするのも大人になることの一つなのかもしれない。」
「それが大人だってんなら、やっぱりつまらないな。大人ってのは。」
健がそう言った。その声は明らかに怒気をはらんでおり、聞いている僕らも少しだけ怖かった。
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