第2話 忠

「俺たちも中学卒業か。」


健が腕を頭の後ろで組んで、上を向きながら言う。

二月の後半、とどまるところを知らない厳しい寒さが続く日のことだった。小学校を卒業してもうすぐ三年が経ち、着慣れなかった学生服の袖が足りなくなった。

思いの外伸びた身長のおかげか、健とともに入ったバスケットボール部ではレギュラーメンバーの座に選ばれることができた。半年前の公式戦を最後に引退してからバスケットボールに触っていないので今ではそんな事実は夢だったのではないかと思っているが、家に飾られた市内三位の銅メダルがその夢が事実であったことを示していた。小学校を卒業しても私たちの帰り道は変わらずこの川沿いの道だった。


「中学は義務教育だから、別に何もしてなくても卒業できる。」


忠が言った。


「それはそうだけど、なんだか大人に近づいたような気がしてワクワクしない?」


僕はありのままの感想を述べた。高校入試のタイミングが少しだけ早い僕らの住む地区の中学生は基本的にはほとんどの生徒の進路が決定していた。僕らも例にもれず進学先はすでに決まっていて、あとは問題を起こさなければ高校生になることができる。


「、、、大人か。健と康太は大人って何だと思う?」


「二十歳を超えればいいんじゃない?」


我ながら面白みのない回答だが、一般論を僕が出しておかなければ意味の分からない回答をする健と混ざってカオス状態に陥ってしまうのでこれでよい。


「つまんねー答えだな。まるで大人だ。」


案の定、健に言われてしまった。


「じゃあ健は大人って何だと思うんだよ。」


私が答えをせかす。忠も健のほうを向いて答えを待っていた。


「今言ったろ。つまんねーやつが大人だよ。」


「大人にも面白い人はいると思うけど。」


寒かったのか首に巻いたマフラーに顔をうずめながら忠が言った。僕とは対照的にあまり背が伸びなかった忠は中学生にしては小柄で、その行動が少し子供のようでかわいかった。言動だけ見れば忠が一番大人なのだが。


「少なくとも、俺はそんなやつ見たことねえな。口を開けば『もっと大人になれ』っていうつまらない奴ばっかだよ。」


「それを言うのは健の周りの大人だけだ。少なくとも俺は言われたことがない。」


忠がそう言った。

健は相も変わらずめちゃくちゃなことを中学でもしていた。入学して間もないときに自分の名前を覚えてもらうために学校中の黒板に自分のプロフィールを書いて回ったり、学校で有名な不良が猫と戯れている写真をばらまいたり、校庭のど真ん中で叫んで告白したり。武勇伝というかハチャメチャエピソードには事欠かないのが健だった。


「え、そうなのか?てっきりみんな言われてるものかと思ってた。」


「普通の人は言われないよ。僕も言われたことがない。」


「じゃあお前らは大人だな。」


「今僕たちにつまんないやつって言った?」


「あ、そういう意味じゃない、ごめん。」


健がこの手の皮肉めいた言い回しをしないことは知っていたので違うだろうとは思ったが、やっぱり悪気はなかったらしい。

続いて、忠が健に問いかけた。


「でも、健もいつかは大人になりたいだろ?つまんないやつになっちゃってもいいのか?」


「いいや、俺は大人にはならない!」


「ずっと子供のままってこと?」


「違うね、大人よりもっとすごい人間になるぞ、俺は。」


「大人よりすごい人間ってなんだよ。抽象的すぎるよ。」


忠がそう言って笑った。でも、健は大まじめな顔で続ける。


「『大人』なんて言う、型にはまらない新たな分類『健』として生きていく。ってことだよ。」


「僕は時々、健の言っていることがわからない。」


「無論、俺もだよ。」


「じゃあ俺も。」


「「お前はわかってくれ」」


僕と忠は二人で声をそろえて言った。


「まあ、本当のところを言うとさ、俺は『面白い大人』になりたいんだよ。だからさ、お前らも絶対大人になっても面白い奴でいろよな。」


「なんだよ、それ。別れの挨拶みたいだな。高校も僕らはみんな一緒なんだからさみしくなること言うなよ。」


僕らは近隣の公立高校を受験して全員で合格した。僕は適正レベル、健は受かれば奇跡の合格、忠はずいぶんランクを落としたような高校だった。合格発表では三人で抱き合って喜んだ。周りからは少し引かれていたが。


「それもそうだな。わりーわりー。忘れてくれ。」


「、、、みんな一緒か。」


忠が意味ありげにつぶやいた。


翌日から卒業式の準備が始まった。僕から見れば退屈な式典だが、忠は卒業生代表として答辞を読むらしい。周りの友達と離れ離れになるという実感が徐々に湧きはじめ、学年のみんなは浮足立っていた。そんなときに事件は起きた。


「おい、忠。一緒の高校行かないってどういうことだよ!」


健は忠につかみかかりながら大きな声で言った。体育館で行われていた卒業式練習の休憩時間だったため学年の様々な人が僕らを取り囲んで野次馬のようになっていた。


「やめろよ健!」


そう言って僕は忠から健を引きはがす。


「でも、僕もどういうことなのか知りたいよ、忠。説明してくれない?」


忠は服装を直してから俯いていった。


「親が、許してくれなかったんだよ。」


僕も健も忠の話を黙って聞いていた。


「俺だって、一緒の学校に通いたかったさ!だから必死に勉強して私立のA高校に受かったらお前らと一緒の高校に行っていいって言われたんだ。」


私立A高校は県内で一番といわれている進学校だった。忠がその高校を受験したことすら、僕らは知らなかった。


「俺は受かったんだ。でも駄目だった、最初から健達と一緒の高校に行かせる気なんてなかったんだよ、あいつらは!大人なんかみんな嘘つきだ!」


忠は自分の両親のことを『あいつら』と言った。その一言が忠の心中のすべてを表していた。僕は何も言うことができなかった。だが、健は違った。


「うるせえ!そんなこと知らねえよ!今から説得しに行くぞ。康太も来い!」


そう言って手を引いて僕らは学校の途中だというのにも関わらず、忠の家の前に連れていかれた。だけど、いくら無茶を通すことに定評のある健でも忠の両親を説得することはできなかった。それどころか忠の父親は僕らを怒鳴りつけた。

「お前らのせいで忠はおかしくなったんだ、このまま失敗作にならないように守るのが親の役目だ。」

忠には既に抵抗する気力がなかったようで、父親に連れられて家の中に入ってしまった。その姿が気に入らなかったのか、健はさらに機嫌を悪くして、忠の去り際に

「お前なんかもう友達じゃない!」

と言い放った。

忠の父親が通報したせいかわからないが、学校の先生が現れて学校に呼び戻された。僕らは仕方なく自宅に帰ることになった。


「健、さっきのは言い過ぎだよ。明日あったらちゃんと謝ったほうがいいよ。」


僕はなだめるように健に言った。いまだに怒りが収まらない様子の健は不貞腐れた。


「俺は別に間違ったことは言ってねえ。」


「うーん、そうなんだけど、、、」


いつもこんな時に健に言葉をかけるのは忠の役目だった。だから僕もうまく言葉にできなくて困ってしまった。ようやく忠が言いそうな言葉を見つけて健に言う。


「間違ってもないけど、正しいとも言えないんじゃない?健も忠も。」


「、、、確かにな、あいつも悪いことしたわけじゃないからな。言い過ぎたかもしれない。」


言葉の後ろになるにつれて弱弱しくなる口調で健が言った。


「それがわかってるなら大丈夫。明日会ったら謝ろう、一緒に行くからさ。」


そう言うと健は静かにうなずいた。


だけど、翌日から卒業式の前日である今日まで、忠は僕らのことを避け続けた。だから僕らは謝ることもできないままだった。このまま卒業して離れ離れになってしまうのが心の底から怖かった。四年前お別れした優斗のことを思い出した。例え離れてしまうとしても最後は笑って別れたい。そう思っていた。だから僕は珍しく自分から行動を起こした。


「おはよう、忠。」


家から出てきた忠が目を真ん丸に見開いて僕を見た。忠の驚いた表情はなかなか見れないから僕は思わず笑ってしまった。でも、驚くのも無理はなかった。時刻はまだ朝の六時前だ、こんな時間に人がいるとは思わない。


「康太、どうしてこんな時間に。」


「僕たちのことを避けてる親友の本当の気持ちを聞くためだよ。僕らに会いたくないからってこんなに朝早くに家を出ていたとはね。驚いたよ。さあ、行こう。」


そう言って僕らは学校に向かって歩き出した。その道ではいろいろな話をした。実は忠が中学受験に失敗したこと。それが僕らと同じ学校に行くためにわざとした失敗であったこと。中学受験の失敗以来、家の中で失敗作といわれ冷遇されていること。忠はいつも静かだから、僕らはそんな事情があるなんて全く想像もしていなかった。


「本当にこのままお別れなの?」


「、、、うん。もうA高校の寮に入ることも決まって、入学手続きも済んだんだってあの人たちが言ってた。」


「そっか。さみしくなるね。」


「そうだな。」


そう言って歩きつづける忠に僕は立ち止まって尋ねる。


「健とは、あんなお別れで本当にいいの?」


忠は振り返った。


「いいわけないだろ!でも、僕のためにあんなに怒ってくれた健に、僕はお礼はおろか助けてあげることすらしなかったんだ。友達失格だよ、合わせる顔がない。」


「なんだ、そんなことか。僕も健も気にしちゃいないよ、健なんて嫌われちゃったのかって僕よりもそわそわしてるんだから。早く話しかけてあげてよ。」


「でも、」


「忠のタイミングでいいからさ。卒業式が終わるまでには必ず。約束だよ?」


そう言って小指を差し出した。


「もうそんなに子供じゃない。」


そう言って照れながらも、忠は指切りをしてくれた。


「昔、ここで優斗とした約束を覚えてる?」


「ああ、いつかこの先の海にたどり着くってやつだろ?でも地図を見る限り二〇〇キロはあるぞ?」


「でも、約束だから。いつかはやらなきゃ。」


「約束なら仕方ない。」


そう言った忠があの日の忠と重なって懐かしく感じた。ずいぶん大人になったような寂しさも、そこにはあった。

結局その日、忠は健と話さなかった。それは卒業式を間近に控えた僕らが思ったよりも忙しかったからだった。仲のいい後輩や部活のメンバーとの最後の試合。そんなものに追われて忠と健はまだ話せていない。でも僕は何の心配もしていなかった。健の笑った顔を見たからだ。健からはいつだって予感がする。今回も僕はワクワクしてたまらなかった。


卒業式が始まろうとしていた。答辞を読むことになっている忠に声をかけようと思ったが遠くから見た時点で忠は緊張してがちがちだった。気を使って僕は話しかけなかった。健は忠の様子を心配そうな顔で見つめていた。

皆が卒業証書を受け取って長い長い校長先生の話を聞いて、あとは忠の答辞を聞くだけだった。


「答辞。卒業生代表、斎藤忠。」


「は、ひゃい!」


緊張のせいか裏返ってしまった声で忠が返事をした。僕らもそれに呼応して立ち上がったが、生徒の中には笑い声が漏れていた。がちがちになりながら壇上に上がった忠はこちらを向いて、ポケットから取り出した答辞を読み始める。


「と、答辞。」


しかし、その言葉より先の言葉が忠の口から放たれることはなかった。緊張で頭が真っ白になっているのだろう。僕は切実に忠を助けてあげたかった。今から壇上に向けて忠の名前を叫んで、頑張れと言ってあげたかった。それができない自分が悔しくて手を固く握りしめた。

すると突然僕の肩がたたかれる。本来そこにいるべきでない健がそこにいて、僕に何かを差し出している。それを受け取った僕に健は言う。


「任せた。」


健が僕にそう言ったなら、返事はたった一つだけ。


「任せろ。」


そう言って健は忠のいる壇上に向かって駆け出し、僕は手渡されたクラッカーを一つ天井に向けて鳴らした。


「パンッ!」


そんな風な大きな破裂音が鳴って、会場中のみんなが僕を見た。これじゃまた怒られてしまう。でも最後だしまあいいか。そう思って僕は移動しながら、もう一つクラッカーを鳴らした。

視線は僕が独り占めしているので気が付いている人は少ないけれど、健はすでに檀上にたどり着いて素っ頓狂な顔をしている忠のもとからマイクを奪った。

マイクを通さずに健が忠に何かを言った。声は聞こえなかったけど何と言ったのかは分かった。


「助けに来たぞ。大親友?」


確かにそう言っていた。

健は僕らの方を向くとマイクを使って話し始める。あの顔だ。あの顔からは、健からはいつだって予感がする。


「お前ら!こっち見ろ!クラッカーの音なんかに注目してんじゃねえ!」


ハウリングが混じったその叫びに視線は再び壇上へと戻った。


「今から俺の大親友の一人が答辞をする。耳かっぽじってよーく聞け。それから、」


マイクを持っていない手で忠の原稿を奪い取り、びりびりに破いて宙に投げる。白い紙が桜のように舞った。


「自分の言葉でちゃんと言えよ。これでなんだからさ。」


そう言ってマイクを忠に差し出した。忠もそれを受け取って自信に満ちた表情で観客席を見た。そしてゆっくりしゃべりだす。


「答辞。

俺は明日、望まない高校に入学するためにこの街を出て行きます。本当はずっと一緒にいたい仲間を捨てて、僕は一人で荒野へとはばたくのです。

ついさっきまで、それが怖くて怖くて、寂しくて寂しくてたまらなかった。もう会えなくなるっていうのに、僕は大切な友人たちにひどいことをしてしまったから。もう二度と、あの頃みたいに話せないんだなって本当に思っていました。

だけどどうでしょうか?たった今、彼らは一人で孤独に戦う俺のことを助けに来てくれました。そして俺のことを『親友』だと、そう言ってくれました。だとしたら、ほかに何が必要だというのでしょうか!

一人きりで旅立つ荒野だとしても、僕はもう、この友人たちとのかけがえのない思い出を胸に生きていけます、だって俺には、どこにいたって助けてくれる、かけがえのない『親友』がいると知っているから!

そしてこれを聞いてる俺の両親!俺の親友を馬鹿にしたことを俺は絶対に忘れない、許さない!失敗作の逆襲見せてやるから、首洗って待っとけ!

以上!卒業生代表、斎藤忠!五十嵐健!久保田康太!」


終盤ヒートアップしてもはや答辞と呼べるのかわからなかったそれに、僕は惜しみのない拍手を送る。そして回収した健と忠の卒業証書を持って出口の扉を開く。

予想通り逃げ出すつもりだったらしい健とそれに続く忠が走ってこっちに向かってきた。僕は二人に卒業証書を渡して言った。


「最っ高だったよ?」


「だろ?」


健はそう言った。走り出した僕らを追いかける声が聞こえたが僕たちはもちろん止まらない。笑いながら走る下校の道は今までになく賑やかだった。


川沿いの道に着いた僕らは膝に手をついて息を整えていた。ぜえぜえという荒れた息によって入ってくる空気はとても冷たかった。

川を見ながら忠が言った。


「なあ、海があるかどうか確認しにいかないか?行けるとこまで。」


健も川を見ながら言う。


「いいねえ、それじゃ早速行こうぜ!善は急げだ!」


「僕はもうちょっと休みたいけれど。」


弱音を吐く僕に健と忠が手を差し出す。僕は二人の手を取って歩き出す。

たどり着けないと知っているけれど、それでも僕らは歩き続けた。いつまでも、この道が続けばいいと思いながら。







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