この先に海があるとしたら
さすらい
第1話 優斗
「ほんっとにお前は馬鹿だな、こんな問題もわからないのか優斗」
小学生五年生の僕らはいつも四人だった。運動神経抜群の
小学校入学から、なんの示し合わせもなくいつのまにか一緒にいた。鬼ごっこや缶蹴り、サッカーやゲームをして遊んでいた。
だから、こんなふうに優斗が馬鹿にされているとすごくイライラする。確かに優斗は何かの答えを出すのに時間がかかる。だけれどそれは決して優斗が馬鹿だからじゃない、いろんなことを考えたうえで結論を出しているからだ。
算数の問題なら優斗は簡単に答えにたどり着く。でも今は国語の時間で、「この人物のこの時の気持ちを答えなさい」という問題だ。優斗は優しくて不器用だから、本当にこの人はこう思っているのか、なんて考えて答えに戸惑ってしまうだけなんだ。僕たちはそれを知ってるけど今年の四月から担任になったばかりの和田先生はそれを知らない。もう七月になるんだからそろそろ優斗のことをわかってあげてもいいと思う。けれど先生は、優斗が答えに詰まると決まって優斗のことを馬鹿だという。
「先生、僕が答えてもいいですか?」
そう言ったのは忠だった。忠は優しいわけじゃない。けど、優斗が馬鹿にされるのが許せないのか、それとも授業が進まないのが嫌なのか、決まって助け舟を出してくれる。
「いいぞ、忠くん。答えてくれ。優斗はもう座っていい。」
それを見て優斗は安心したような顔をして座った。忠はまるで模範解答のような答えを黒板に書いた。それを見て和田先生は忠のことを褒めるけど、忠は嬉しくもなんともないって顔で自分の席に座った。
「忠くんは本当に賢いな。えらいぞ。みんなは優斗みたいにじゃなくて忠くんみたいにならないとな。それじゃあ今日の授業はここまで。帰りの会をします。」
そういって今日の授業が終わった。僕の心の中のもやもやは消えないまま放課後になる。
ランドセルに荷物を入れながら帰りの支度をしていると隣の席の健が声をかけてきた。
「和田の野郎ひどいよな、いっつも優斗のことを馬鹿呼ばわりしやがって。」
「確かに僕もそう思う。」
「きっとあいつの中ではさ、もう優斗が馬鹿な奴だって決めつけられてるんだよ。だからああやって何度も何度も馬鹿にするんだ。いつか絶対仕返ししてやる。」
荷物をまとめ終えた優斗と忠も僕のもとに集まってきた。
「優斗に馬鹿ってレッテルを貼ってるに違いない。」
忠がそう言った。僕は「レッテル」という単語の意味を知らなかったが、何となく何が言いたいのかは伝わった。
「そうそう、れってるを貼ってるんだ。」
多分、健も意味が分からなかったんだと思う。けれど、「レッテル」という単語の響きが気に入ったのかオウムのように繰り返した。
「いやいや、僕が馬鹿なのは本当のことだから。忠、今日も助けてくれてありがとう。」
優斗はそういって忠に頭を下げた。ちょっとだけ照れたような忠はぷいとそっぽを向いた。
「俺は別に助けたわけじゃない。授業が止まってるのが気に入らなかっただけだ。」
「それでも僕は助かったんだ。いつもありがとう。」
「...どういたしまして。」
「忠、照れるなよー!」
そう言って健が忠をからかう。
「照れてないよ!」
忠は頭がよくて大人びているところがあるけれど、やっぱり小学五年生なんだなと思った。
帰り道、僕らはいつもの川沿いを歩いていた。入学した時からずっと一緒にいる僕たちは、決まって一緒にこの道を歩いて学校から帰っていた。今日もいつも通りの道をいつも通りに喋りながら歩いている。でも、優斗がなんだかいつもと違って悲しそうな顔をしていた。
「どうしたの?優斗。」
僕は思い切って尋ねてみることにした。世の中にはそっとしておいたほうがいいこともあると忠が言っていたけれど、優斗が困っているなら助けてあげたいと僕は思う。だからきっとこれは「そっとしておいたほうがいいこと」ではないと思う。
優斗が立ち止まった。僕らも立ち止まって優斗のほうを見る。
「実は、僕、転校するんだ。」
僕らはそれを聞いてとても驚いた。まさか優斗がいなくなるなんて全く考えたこともなかった。
「え、うそだよな?」
健は信じられないという顔をして、優斗に聞き返した。僕も嘘だったらいいと思ったけれど、優斗の顔は真剣だった。
「本当だよ。」
「いつ?」
忠も尋ねる。
「一学期が終わる次の日。お父さんの仕事の都合で海外に行くんだって。僕は嫌だって言ったんだけど、どうしようもないからって。」
「一学期が終わる日って、もう二週間もないじゃん。なんでもっと早く言ってくれなかったんだよ。」
健が言う。優斗は今にも泣きそうな顔をしていた。
「みんなにサヨナラするのが嫌だったんだよ。もっとみんなと遊んでたかったから言えなかった。」
それを聞いた僕らはみんな黙ってしまった。きっとこれはどうしようもないことなんだと思う。僕らは何を言ったらいいかわからなかった。
でも、こういう時はいつも健が突拍子もないことを言い出す。今回もそんな予感がした。だからみんなが健のほうを向くと、やっぱり健はニヤッと笑った。
「じゃあ、今のうちに和田のばか野郎に仕返ししてやろうぜ!俺たちでコテンパンにさ!」
そうして僕らは和田先生に仕返しをするための作戦を考え始めた。学校の登下校の時や昼休み、放課後に公園で、先生にばれないように必死で作戦を練った。
健の実現不可能な作戦を忠が抑え込んで僕らで現実的な案を出す。そうやって少しずつ形になった作戦を決行するのは終業式の日ということになった。
終業式当日の僕らは作戦の準備に追われていた。僕は家の冷蔵庫から生卵を四個取り出して、割れないようにタオルで包んでからランドセルに入れた。学校に行く間もそれが割れないようにそーっと歩いていた。途中で健にランドセルをたたかれたときはびっくりしたけれど、それでも無事に卵を持ってくることができた。
「みんな、ちゃんと必要なものは持ってきたか?」
朝の会が始まる前に僕らはトイレに集まって「けっきしゅうかい」なるものをした。けっきしゅうかいが何かはわからないけれど忠がそう言ったからみんなそう呼んでいる。
「もってきたよ。」
「俺ももちろん持ってきた。」
「健に卵を割られそうになったけど、持ってきたよ。」
「それはごめんって。じゃあ修了式が終わり次第、みんな準備に取り掛かるように。準備が終わったらここに集合な。」
そうして僕らは教室に戻った。
終業式で退屈な校長先生の話をあくび交じりに聞き、去年も聞いたような夏休みの注意を教頭先生から聞く。教室に帰ってもらった通知表は思いのほか成績が悪くて残念だった。だが、今日は作戦決行の日だ、悲しんでばかりはいられない。
各々が準備を終えて、トイレに集合した。学校にはもう子供は僕たちしか残っていない。みんなで円陣を組んで気合いを入れる。
「掛け声は優斗だな。」
「僕!?」
「ああ、今日は優斗のための作戦だから。」
「よし、じゃあ行くよ。頑張るぞー!」
「「「おー!!!」」」
そうして僕らは各々の持ち場についた。
________________
僕らの作戦は、まず初めに忠が職員室から和田先生を連れ出す。
僕と優斗の出番はまだ先なので僕らは廊下に置かれたロッカーの影からそれを見守っていた。
職員室の扉を礼儀正しく開けた忠の声が聞こえた。
「和田先生、教室で勉強していたら突然窓にひびが入りました。見に来てください。」
僕や優斗や健がこんなことを言っても信じてもらえないだろうけど、忠はいつも先生の言うことを聞く優等生なのできっと成功するだろう。その予想は当たっていたようでしばらくして職員室から和田先生が出てきた。後ろに連れられる忠が僕らに成功だと伝えるために手でグッドをした。僕らも持ち場につく。
教室の近くで待機する健を見つけた。
「健、もうすぐ来るよ。準備はいい?」
「おう、任せろ!お前たちも頼んだぞ。」
「任せてよ!」
そう言って僕らは健から離れて持ち場についた。
ほどなくして先生が現れ、教室の扉を開く。すると扉の上に仕掛けられたトラップが作動(とはいっても黒板けしをはさんだだけ)が作動して先生の頭が真っ白になった。
「忠くん、これはどういうつもりだ!」
そう言って振り返るけれど、忠はすでにそこには居ない。
「あら?あらら?先生どうしたんですかぁ?頭が真っ白ですよ?白髪ですかぁ?若いのに大変だぁ!このままじじいになっちゃえ!生徒を馬鹿にする頑固爺に!」
少し先の教室前の廊下にいる健がそう言って先生のことを煽りながら逃げ出す。先生はかんかんになって健を追いかけるが健も逃げる。健は足が速いからちょっとやそっとじゃ追いつかれない。ここで優斗の出番だ。健が通り過ぎたタイミングで教室の隙間から廊下に向けて食器用洗剤を撒いた。そして案の定、後からそこを通った和田先生は滑って盛大に転んでしりもちをついた。
和田先生のことを指さしながら僕らは笑っていた。こんなに笑ったのは初めてかもしれないというほどの大爆笑だ。僕はみんなに一つずつ生卵を渡して先生のほうを向く。あとはこれを投げるだけだ。
「おまえら!こんなことをしてタダで済むと思ってるのか!!」
顔を真っ赤にした和田先生が僕らを怒鳴りつける。僕らはその声に驚いて急に恐ろしくなってしまった。こんなことをしたらきっといろんな人から怒られる。どうしよう。そんな風に思って急に足が震えてきた。優斗も忠も同じことを思っていたのかうつむいたり頭を掻いたりしていた。
だけど、健だけは違った。プロ野球選手さながらの投球フォームで振りかぶった彼は先生めがけて生卵を投げた。その顔は何も恐ろしいことなんかないというように笑っていた。
一直線に飛んで行った卵は先生のおでこに見事命中した。
「ストライク!」
僕は思わずつぶやいた。
「絶対に許さんからな!」
和田先生が再び怒鳴った。腰を抜かしたのかまだ立てないようだ。
それを聞いた健も大きく息を吸って怒鳴り返す。
「うっせぇーよ、バーーーカ!」
健の声をきっかけに僕らもみんなで卵を投げた。健以外の投げた卵は命中することはなかったけれど。
________________
そのあと僕らは信じられないくらいの数の先生に信じられないくらい怒られた。幸い、和田先生はほかの先生から好かれていなかったのか学校中のトイレを掃除することを条件に許してもらった。掃除が終わるともう夕方だった。みんな気が付いていないふりをしていたけれど、優斗と一緒にいられるのは今日が最後だった。
川沿いの道を歩いていると優斗が口を開いてお礼を言い始める。
「みんな、今日はありがとう。せいせいしたよ。」
「いやー、楽しかったな。和田のあの卵まみれのかんかんに怒った顔は最高だった!」
「俺の投げた卵も当てられれば良かったんだけど。」
「忠はそういうところも真面目なのか。」
怒られたことなんてまったく気にしていなかった。でも、明日から優斗がいないという事実にすごく悲しくなる。もっと一緒に遊びたかったのに。
すると突然立ち止まった健が川を眺めながら言った。
「なあ、この道って海に続いてると思うか?」
僕らも立ち止まり、忠が答える。
「繋がってるよ。ずいぶん遠くだけど。」
健がそれを聞いて言う。
「忠は見たことあるのか?」
「ないよ。」
「じゃあ、わかんねーじゃねーか。」
「地図に乗ってたのを見たんだ。だからあるよ。」
「地図を作った人が嘘をついてるのかもしれない。」
そんなはずはない、と僕も忠も思ったがこうなった健は止まらないからそれ以上言うのを止めた。優斗がつぶやく。
「ねえ、この先に本当にあるのかな?この先に海があるとしたら、それってとっても素敵なことじゃないかな?」
「それはわからない。けど、」
僕は言う。
「行ってみればわかるよ。いつか必ず一緒に行こう。それまでに僕らが必ず海までたどり着いておく。約束のその時に優斗の手を引いていけるように。」
僕らのことを夕日が照らしていた。夏の日差しは夕方になっても衰えることを知らず、僕らのことをじりじりと焼いている。少しだけ暗くなって見えにくい優斗の頬に涙がこぼれていた。
「約束だよ?」
「ああ、絶対守るよ。」
「しょうがねーな、待っててやるよ。」
「地図を見ながら行けばいいから先導の必要はないけど、約束なら仕方ない。」
思い思いに僕らは返事をした。今日お別れする一人の友人といつか四人で海に向かう日を思い描きながら。
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