4.Dusts

 いつものたまり場に俺たちはいる。傷、煙、そして俺。住宅の密集場所から少し離れた、人気の薄いエリア。荒れ果てたあばら屋が散在する。砕けた瓦礫がそこら中に転がっている。錆びた鉄の臭いと、乾いた足音。ガラクタだらけの道がでたらめに伸びる中、ぽっかりと空いた空白のような広場。俺たちがいるのはそんな場所。近くにそびえる崩れかけのバラックが俺たち三人の秘密基地。

「今日はもっと西のさ、浄水プラントの方に行ってみようぜ」

 そう言って、俺は丸い小石をゆっくり山なりに投げる。

 えぇ、と嫌そうに声を上げながら、傷がトタン板を振る。空振り。

 かすりもせずに落下した小石を煙が拾い、俺に投げ返す。

「僕も気が進まない。あっちは釘の集団がたむろってる」と煙が言う。

「知ったことかよ、あんな馬鹿ども」

「でも絶対あいつら、絡んでくるよ」と傷が泣き言を言う。「年上ばかりだし、人数も多い。喧嘩になったら負けちゃうよ」その弱腰の言に、俺は少し苛立つ。

「じゃあ先手必勝で殴り掛かるのはどうだ? 先に何人かぶっ倒しちまおうぜ」

「止めとけよ煤、報復が怖い」と煙が水を差す。

 つまんねえなあとぼやいて、俺は全力で小石を投げる。顔の近くを石がかすめて、傷が小さく悲鳴を上げる。

 煙が煙草を吸って、吐く。白い煙が広がる。俺は咳をして、茶色く汚れた痰を傍に吐き捨てる。足元の土を蹴ってそれを覆い隠す。街灯のぼんやりとした光の中で、空気中を漂う無数の塵がキラキラと光る。

 ゴミを集め、燃やし、処分し、使えるものは分別し、使える資源にして上に送り返す。それが俺たちの住む、下層の役割。粉塵やら廃材やら廃液やら廃ガスやらでごった返す、昼も夜もない、壁と天井で覆われた薄暗い街。

 あちらこちらにそびえたつ柱が、この街の広大な天井を支えている。その向こう側には上の街。綺麗で清潔な夢の街。見たことも見る方法もないので、実際の姿は定かじゃないが。

 天井にはいくつも穴が空いていて、上の奴らはそこからゴミを落とす。ゴミはダストシュートに乗って、集積場に落ちてくる。たまにルートから外れたゴミが好き勝手に落ちてきて、迷惑なことこの上ない。

 天井に空いた穴から、上の街の光が漏れてくる。その光の強弱だけが俺たちに、確かな時間の経過を教えてくれる。

 俺は上を向き、両腕を伸ばして、つまんねえなあともう一度言う。暗い天に俺の声が吸い込まれていく。


 ***


 俺たちに名前はない。

 下層住民に、名前を持つことは許されていない。

 代わりに、職業とIDナンバーが与えられている。まだ職に就いていない俺たちの場合は、世帯主である親父からの続柄が呼称となる。俺の場合、燃やし係の息子。後ろに数字の羅列が続く。煙はゴミ拾いの息子。傷は運び屋の息子。後ろにやっぱり数字が続く。

 かといって、こんな長ったらしく分かりにくい名前を日常的に使っているわけもない。だから上の奴らにばれないようにこっそり、仲間内だけで用いられる通称を互いにつけるのが下層住民たちの通例だ。俺の親父は仕事仲間からこう呼ばれている。ドランク。酔っ払い。配給品の酒だけでは飽き足らず、仕事中にたまに工業用エタノールを舐めている。不名誉なこと極まりないあだ名だが、当の本人は嬉々として酔っ払いを名乗っている。

 あだ名は、グループ内における相互の信頼の証でもある。

 だから俺たちのあだ名は、この三人の間だけで通用する。

 俺たちは互いに薄汚い名前を付けた。理由あってのことではない。単に綺麗なものを知らなかっただけだ。

 煙。頭の切れる皮肉屋。配給のタバコのあまり分を片っ端からかき集めて、いつもくゆらせている。

 傷。大らかでとろくさい。転んだり引っ掛けたりで、いつも生傷が絶えない。

 で、俺は煤。せっかちで無鉄砲。親父の仕事場である焼却場を中心に、あっちこっちに潜り込んでいるから、いつも煤で真っ黒に汚れている。

 この辺のガキどもは、いくつかあるグループに所属していることが多い。ある程度の歳になったら、自分から希望するなり誘われるなりでどこぞかに入る。その最大手が釘のグループ。十何人だか何十人だかで、トレードマークとして錆びた釘を何かにぶっ刺したものを持ち運んでいる。処分場近くの空き地を中心にあちこちをうろついては、他所のガキを威圧してへらへら笑っている。猿山の大将気取りだ。こんな狭い場所の汚い山頂に陣取って、なにがそんなに楽しいのだろう。

 俺は群れるのが嫌いで、煙は他人に従うのが嫌で、傷はグループのやんちゃな奴らについていけなくて、そういう集団と反目した。だけど俺たちだって、独りぼっちが好きなわけじゃない。年齢の近いはぐれもの同士、俺たちはつるむようになった。

 就業年齢が少しずつ近づく中、俺たちは残り少ない少年期を三人で過ごしている。この暗い街を笑い飛ばすために。


 ***


 秘密基地の、大きく傾いた屋根によじ登り、俺たちは並んで腰掛けている。少しでも高いところに上りたくなるのは、何かの本能なのだろうか。登ったところで、見える景色は変わり映えしないが。

「なにか、綺麗なもんでも探しに行こうぜ」と俺は言う。「俺は宝物を見つけたいんだよ」

「また煤のいつもの発作だ」隣の傷が面倒くさそうにぼやく。

「そしていつも通り大したものは見つからない」と煙がタバコを吸う。

 俺の趣味はあちこちをぶらつくことで、より正確に言うならあちこちで物珍しいものを探し求めることだ。とはいえ、ろくなものはなかなか拾えない。色付きのガラスの破片、錆び付いたナイフ、何らかの模様が彫り込まれたライター。最近の戦果はそんなもの。

「今日は違うかもしれないだろ」と俺は口を尖らせる。「なあ煙、なにか面白い情報はないか?」

「何もないよ」と煙は言う。あちこちに零れたゴミを集めるという父親の仕事上、上の街の物品が煙の家に担ぎ込まれることは度々ある。そうして集められたいくつかの本ってやつが、煙んちの宝物らしい。

「宝石、絵、ガラス細工、陶器。価値あるものは下になんか落ちてこない。空、星、雨、虹、山に海。綺麗な景色はここからじゃ見えっこない」煙は言う。

「雨とか虹とか、本当にあるのかな」と傷が言う。

「全部空想かもね」燃え尽きた煙草を煙は道に投げ捨てる。「確実に珍しいものを手に入れたいなら上の奴らが降りてきたときに襲えばいい。何かは持ってるだろう」

「馬鹿言え、俺だって命は惜しいんだよ」剥がれかけて浮いたトタン屋根を指でもてあそびながら俺は言う。

 傷が大きく欠伸をする。俺は何となく傷の頬をがしりと掴む。なんだよう、とへんてこにひしゃげた顔で傷が呻き、俺と煙が笑う。

 傷の顔から手を離して、俺は屋根を滑り降りる。

 どこ行くのと問う傷の声に、焼却場と俺は答える。

 いつも通りだと呟く煙の声に、来なくてもいいぜと俺は答える。

 俺は歩き始める。背後から、地面に着地する二人分の足音と、転倒したと思しき傷の悲鳴が聞こえる。 


 この日も大したものは何も見つからなかった。

 ゴミの運搬ルートを辿って、物影に潜みつつ焼却場に忍び込んだ俺たちは程なく工場の従業員の一人に見つかった。いつも通り親父に報告され、呆れた顔をした親父に叱られて放り出された。

 俺のポケットの中では、いくつか拾い集めた錆びた六角ナットがぶつかり合って軽い音を立てていた。


 *** 


 家の出入り口を覆う布をのけて、ただいまと声をかける。お帰り、と声が返ってくる。

 外から差す微かな光に、母さんが顔をしかめるのが見える。

「またそんなにあちこち汚して」と母さんは膝立ちで近寄ってきて、俺の顔を手拭いで拭く。自分でやるよと嫌がる俺に、まだまだ子供だねえと母さんはため息を吐く。

 俺は横目で母さんの足を見る。子供のころからずっと布でグルグル巻きにされて、いびつな形をした母さんの足。下の街の女性みんなが押し付けられた、まともに歩くことを奪われた不自由の象徴。

 ここ最近、痛みが悪化して、母さんは自分で立つこともできなくなった。

 ずっと訊きたくて、ずっと訊けないでいる質問がある。訊いてしまったら、何かが決定的に変わってしまいそうで怖くて、口に出せないままの疑問、いくつも。

 母さんは自分の人生を不幸だと思っていないのか?

 俺と父さんの面倒を見るだけで終わる毎日に不満はないのか?

「今日は何をしていたの」と母さんは俺に尋ねる。いくらでも歩いていける俺は、胸の内に沸く後ろめたさを感じる。それから、正直に答える。焼却場にまた入り込んだことを聞き、母さんは笑いながら俺を叱る。父さんが帰ってきたら謝りなさいとの言葉に、俺は素直に頷く。

 母さんにも母さんの人生がある。

 母さんにも母さんの人生があったはずだった。

 随分前、俺が今よりもっとガキだったころ、家から出ようともせずに黙々と家事をする母さんの背中を見て、急にこんな考えが思い浮かんだ。衝撃的な瞬間だった。俺以外の人も、俺と同じように生きているんだという気付き。目が覚めたような気分だった。それは他人の人生というものの存在についてどこか自覚的になった瞬間で、その日から俺の人生は少しだけ意味を変えたように思う。

 こんな街に生まれたばかりに、母さんはここに縛り付けられている。

 俺は母さんに、何かを返せるのだろうか。

 俺はそんなことを考えている。


 ***


 ある日。

 いつもの場所の基地の中で、だらだらと俺たちは会話している。

「綺麗なものにこだわるのは、何か理由があるのか」と煙が俺に尋ねる。

「さあな」と俺は言う。 

「そうか」煙はあっさり引き下がる。返答を期待していなかったみたいに。

「ごまかさずに答えなよ」と空気を読まずに傷が言う。

 傷に軽い蹴りを入れる。それから、嘘にならない範囲で俺は答えを考える。

「価値のあるものを手に入れたいんだよ、俺は、多分」

「価値?」傷が首をかしげる。

「なんつーか、値打があるもの。珍しいもの。ここにしかないもの。みんなが欲しがるようなもの。そういうものを持ってれば、自分自身も価値のある人間になれそうじゃん?」

「価値のある人間、ね」煙が言う。「働いてもない僕らが考えることでもないような気もする」

「働いてないからこそなんだよ」と俺は返す。「別に仕事始めたって、今まで他の人がやってたことを同じようにやるだけだ。それは俺自身の価値じゃない。俺は独自の価値を持ちたいんだ。俺だけのもの、俺だけにできることが欲しいんだ」

「別にそんなこと考えなくても、煤は煤自身しかいないんだし、それだけでいいんじゃないかなあ」と傷は言う。その言葉に、そうかもしれない、と俺のある部分は納得する。それでも。

「それでも、欲しいんだよ」と俺は言う。「それを求めるのが、今の俺のやりたいことなんだ」

 ふーん、と気のない声を煙は上げる。そんな間にもこいつは煙草をスパスパ吸っている。おかげで基地の中は白くかすみがかっている。

「なんにせよ、目標がちゃんとあるのは羨ましい」と煙は言う。「別に僕には何もないから」

 傷は何かあるのか、と煙は問う。うーんと傷は唸る。

「特にないけど」と傷は言う。「強いて言うなら、上の世界を一度見てみたい」

「行く方法なんてないけどな」と俺は鼻で笑う。

「見たいっていうくらい良いじゃないか」と傷は口を尖らせる。「空とか虹とか、本当にあるならこの目で確かめてみたいな」

「あるいは全部まやかしかも」と煙が水を差す。

「まやかしでもいいよ、見えるものなら」と傷が答える。

 上の街、と俺は呟く。

 上の街。綺麗で清潔な理想の街。俺たちを踏みつけにして憚らない傲慢な街。あそこには、価値のあるものがあるのだろうか?

「行っちまおうか」と俺は言う。「ダストシュートを逆走するなり、上の奴らの出入りのすきを襲うなりなんなりして」

 無理だろ、と二人が口をそろえて答える。わかってるよ、と俺は吐き捨てる。わかってはいるが、おれは考えてしまう。上に辿り着く方法を。上の物を奪い取る方法を。

 崩れた屋根の隙間から天井が見える。微かに漏れる上の光が辛うじて覗いている。

 もっとよこせ、と俺は思う。

 綺麗なものを。価値のあるものを。

 もっと光を、俺たちによこせ。


 ***


 ただいまと声をかける。お帰りと声が返ってくる。

 プレゼントがある、と言って俺は懐に忍ばせていたそれを母さんに手渡す。

 六角ナットとワイヤーで作ったネックレス。

 焼却場でくすねたそれらを、同じくくすねた研磨紙で俺はひたすらに磨き上げた。サビが取れ、滑らかになり、冷ややかな光沢が煌めくまで。

「こんな、パッとしないもので、在り来たりな材料で作ったやつでごめんだけどさ」と俺は言う。「煙が見せてくれた本の中のアクセサリーを真似して作ってみたんだ」

「嬉しいよ。こんな綺麗なもの、初めてだ」と母さんは言い、ネックレスを首にかける。「大事にする」

 帰ってきたら父さんにも自慢するよ、と嬉しそうに母さんは笑う。

 それを見て、俺は心の中の後ろめたさが少し和らぐのを感じる。

 俺も少しだけ笑う。自分の価値ってやつを、ちょっとだけ実感できた気がして。


 磨いたのは、ネックレスだけじゃない。

 刃渡り15cmのさび付いたナイフ。以前拾っていたそれを、俺は研磨紙で研ぎ続けている。冷たく光るようになるまで。人の首を容易く切り裂けるようになるまで。より鋭く、鋭くなるように、俺はナイフを磨き続けている。

 何に使うかはまだ決めていない。いつ使うのかも未定だ。

 しかし武器は必要だ。こんな街に押し込められた俺が、俺たちが、価値のあるものを手に入れるためには。何かを成し遂げるためには。意味のある人間になるためには。 

 強くならなければならない、と俺は思う。戦えるようにならなければならない、と。なにが相手だろうと。たとえ上のやつらを敵に回したって。

 母さんの笑顔を思い出す。歩けない母さん。自分の力で人生を生きることが許されなかった母さんのことを。

 これ以上奪わせてなるものか。俺は奪う側に回ってやる。いつだって、俺はそうなれる。

 よこせ、と呟く。

 綺麗なものを、価値のあるものを。

 ナイフを研ぐ。輝きが増す。それにつれて、俺の中の覚悟ってやつが研ぎ澄まされていくような気がする。

 俺は手に入れて見せる。

 光を、俺によこせ。

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