2.Bomb

「自爆ボタンってあるじゃん。レトロなアニメとかゲームとかに登場する悪役のアジトに」

 平日のお昼。アカデミーでの授業のあと、学生食堂で一番安く一番味の薄いうどんを啜っている僕の前に突然彼は現れて、こう話しかけてきた。

 マダラメ。人当たりが良く爽やかな外見だが、クラスでは僕と同じく、さほど友人が多くない。お互いに会話することはたまにあるものの、深い付き合いがあるわけでもない。

「子供の頃は不思議に思ってたんだ、何の意味があってあんなん付けたんだよ、って。自分の基地がぶっ壊れるなんて、悪役にとっては損しかないじゃんか。

 でも実のところ、あれは戦略の一種としてきわめて有効なんだよな。技術なり資源なり、利用価値のあるものをあらかた破壊してから撤退することで、正義側に侵攻のメリットを残さないわけだ。前時代での戦争でも何度も用いられた戦略だし、外側がまるまる焼け野原になっちゃってるのも行き過ぎた攻撃と防衛の焦土作戦の繰り返しが原因らしいしな」

「急に何の話だよ」僕はうどんの最後の一本を啜り終える。

「つまりだ」マダラメはカバンから何かを取り出し、僕の前に差し出す。

「ここに本物の、このアジトの自爆ボタンがあったとしても、おかしくはないわけだ」

 おかしいだろと僕は言う。

 おかしくないんだなあとマダラメは言う。

「昨日の夜中にふらふら散歩してたら、露天商やってるメチャクチャ怪しいおばあちゃんがいてさ、『下層のとある家系に代々伝わる、このドームの自爆ボタンだよ』なんて言うもんだから、面白くなって買っちゃったんだ」

「全部おかしい」と僕は言う。「なんで露天商の婆がそんなの売ってんだ・下層民に伝わってる訳ないだろ・このだだっ広いドーム爆破するのにどれだけの爆薬が必要になるんだよ」

「俺もさすがにちょっとは疑って、これ本当に本物なのかって聞いたんだよ。『試したことはない』って、そりゃそうだよなってすげえツボに入ったんだ。で、買った」

「面白いなあ」僕は真顔で言う。

「他に何売ってたか聞きたい?」

「全然」

「AドライブとBドライブ」

「実在しねえよ」

「口裂け女が着けてたマスク、生産者表示付き」

「野菜かよ」

「かつて立った茶柱」

「かつて、て」

「コピ・コピ・コピ・コピ・コピ・ルアク」

「ほぼほぼウンコだろ」

 全部買い占めようかと思ったよ、とマダラメは笑う。

 マダラメに友人が少ない理由。

 それはこいつが突拍子もない素っ頓狂であるからに他ならない。


「で、どうすんのそれ」と僕は訊いてみる。

「考え中」とマダラメは言う。

「何の考えもなしにこの都市をぶっ壊すわけにもいかないし、テロを起こすにしても、今の俺にはそこまでの理由がないしなあ」

「理由があってもやるなよ」

「理由ができたらやるさ、迷わずにな」

「だから馬鹿だって言われるんだよ、お前は」

「馬鹿にも利口にもなりきれないやつよりよっぽどマシだね」

 僕は残ったうどんの汁を飲み干す。

「そのボタンが爆発して、お前だけが木っ端微塵になるってのがオチじゃないのか」

「それでもいいさ」マダラメはにやりと笑う。

「いいか、爆発だ。爆発なんだよ、今この俺に、引いてはこの世界に必要なのは。突破口を開く爆発だ。この街をかき乱す爆発だ。それは壊滅的なものでも良い、局所的な爆発でも個人的な爆発でも、最悪不発だっていい。起爆力は駆動力になる、爆弾は変化と変革と改革を駆動し始めるんだ。その初めの一擲になりさえすればいいんだよ。このボタンは」

「……マダラメは現状が不満なわけ?」

「不満だねえ! 俺たちはたまたま中央近くに生まれて、たまたまテストで適性を発揮して、その結果アカデミーへの進学と管理局への就職がストレートで約束されたわけだ。この変わらない、終わりゆく街を辛うじて維持するための人材としてな。なあ、その先に何があるってんだ?」

「何もないけど」と僕は言う。「少なくとも、もうあと何世代かはこの安全な環境の中でぬくぬく平和に暮らせるだろ」

「ぬくぬくも平和も求めてないやつもいるってことさ。たぶんお前が思うより大勢、な」

 まあ待ってろ、とマダラメは立ち上がり、大げさな身振りを付けて僕を指さす。

「いつかは変わる。あらゆるものは変わり続けるんだ。それをこの街は、いつか知ることになる」

 そう言い捨てて踵を返そうとしたマダラメを、僕は呼び止める。

「なんでそんな話を僕に?」

「お前もこっち側だと思ったんだよ。いつもつまんなさそうな顔してるからな」

 マダラメは去っていった。

 それをしばらく眺めてから、僕も空いた器を下げるために立ち上がった。


 ***


 それから、マダラメをアカデミー内で見かける頻度は徐々に減っていき、卒業目前になるころには完全に姿を現さなくなっていた。

 僕は卒業し、予定通り管理局に就職した。

 爆発はまだ起きない。


 ***


 年月は経つ。

 僕は地方の管理局員として、土地のインプットとアウトプットを調整する仕事を続けている。担当区域の、例えばエネルギーや資源の消費と農作物の出荷高、それらの数字のバランスをひたすら眺めて必要なら制御する、そんな仕事。

 人事局からの斡旋で結婚もした。娘が生まれた。小さな諍いはあるものの、大枠では円満な家庭を築いた。

 娘は成長し、言葉を話すようになった。「大きくなったら何になりたい?」と娘に尋ねると、娘は「分からない」と答えた。

「パパは何になりたかった?」

「分からない」と僕は答えた。

 マダラメのことを何度も考えた。歳を取るにつれ、むしろその頻度は増えつつあった。爆弾を持ったまま姿を消した男のことを。今生きているかも分からない男のことを。

 僕はあいつになにかを期待してしまっているのだろうか?

「分からない」と僕は呟く。

 数字を眺める。世界はまだまだ続くだろう。少なくとも娘が生涯を全うするには十分すぎるほどに。

 爆発はまだ起きない。

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