第6話

 突如始まった乱闘騒ぎから、男女の仕合の場となったそこで、宮本みやもとしげるは動く事が出来なくなっていた。

 二十歳半ばを過ぎる今迄、中々定職に付けずにふらふらとしていて、ふらりと入った店で喧嘩に巻き込まれ、何とかあしらったものの、その店に飾ってあった絵画を破って駄目にしてしまった。

「これは、オレが丹精込めて、この店の為に書いた番犬だったのに、何をしでかしてくれたっ?」

 喧嘩をしていた連中と共に店の床に正座させられた繁に、そう怒りを滲ませたのが隣にいる長身の男であり、ここに来る羽目になった原因でもある。

 つじながれと名乗った男は、名刺によると画家らしい。

 が、その絵はどちらかというと抽象的で、番犬と言われて思わず、

「え、生き物っ?」

 と当事者たち全員が驚いた位、実物とかけ離れた腕前だった。

 絵画が飾ってあった店のオーナーも、ながれの後ろで秘かに自分たちに同意しているから、思う所は多様にあったに違いない。

 オーナーは深く頷いてから、器物破損の加害者たちを見て言った。

「その、生き物か分からない絵は、この人の力作でね。これのお蔭で、治安が良いとは言えないこの辺りで、安全に店を開いていられたんだよ。勿論、相当の値段だったんだ」

 そうして告げられた値段は、目玉が飛び出るどころか、転がってどこかに逃げてしまいそうなくらいの高値だった。

「ええっ、何でこんな、子供の落書き以下の絵が、そんなに高いんだよっ」

 思わず、言ってしまったのが悪かった。

 繁は完全に、この変な画家に目を付けられてしまったのだ。

 何で一介の画家が、こんな雇用先を知っていたのかは知らない。

 連れ去られるように案内された先で、身だしなみが整えられ、あれよと言う間にこの地に送り出された。

「ここで、体を使って絵の修繕費を稼げ」

 そう言われたのは、雇い主と顔合わせした後だ。

「お前が連中を相手にしている間に、オレはここの家探しをする。心配するな、一杯飲んだくらいでは死にはせんし、飲んだら飲んだでお前も楽しくなるはずだ」

「……どういう、楽しさの類だ?」

 太鼓判を押すながれに思わずそう反論したが、ここまで来たら後戻りが出来ないのは分かっていた。

 物騒な言葉が、当然と言わんばかりにちらほら出ているが、今迄その事情説明が一切なく、繁は今更ながらに気になった。

「ここ、どんなところなんだよっっ」

「この祝いの席は、我ら新人を媚薬でほろほろにしていいように体をもてあそび、その様を今日九歳になる息子に見学させてから、その息子を大人にしてやるのが、目的だ。やる方とやられる方、どちらに目覚めるかは、その子次第だな」

 一言で言うと、乱交パーティーだと、ながれはあっさりと答えた。

 連れて来る前に、教えて欲しかった。

 そんな気持ちを察したながれは、当然の返しをした。

「教えたら、暴れそうだったから、直前まで黙っていたのだ。無駄な体力は、使わない主義なんでな」

 そんな話をした後、会場へと行ったのだが、ながれの考え違いがあった。

「……オレも飲む羽目になるのか。まあ、枯れて久しいから、燃え上がるのにも時間がかかると思うが……」

 雇い主の音頭でグラスを手にした男は、難しい顔でその中身を見つめる。

 年齢不詳のその男も繁も、結果的に飲まずに済んだ。

 突如侵入してきた女が、その場を乱してそれどころではなくなったのだ。

 そして今は、先程温和に話しかけてくれた男と、拳を突き合わせている。

 新人たちは、そっと倒れたままの雇い主の方へと移動し、介抱を続けていた男に声をかけた。

「……生きてますか? 焼酎の一升瓶を、わざわざ探してましたよ、あの人」

 そう言う目端は利いている繁の指摘で、名も知らぬ新人が目を剝いて、周囲を見回す。

「げ、中身入ってる」

「それどころか、未開封っ」

 これ、死んでるだろう。

 思わずそう確信した面々の視線を受け、介抱を続けていた葉太は小さく笑った。

「丁度、何かによろめいたところを直撃、だったらしい。鼻を掠っただけだ」

「……」

「ふうん、悪運が強いな」

 感心する繁の隣で、ながれは落ちていた一升瓶を手にしていた。

「悪運はさておき、暇だな。一杯どうだ? あの仕合を肴に」

 指示を出す者が一人もいない今、新人たちにはする事がない。

「そんな悠長なこと言って、いいのか? あの人が負けたら、今度こそあの子を……」

「経験の差は、大きいぞ、あの二人」

 落ち着きなく訴える繁の言葉に、立ち尽くす母子をそれとなく庇いながら新人の一人が答え、別の男も頷く。

「あの男、人を殺すのに、慣れてやがる」

「……」

 ご名答、葉太は言いたい気持ちをぐっと抑えた。

 黙って顔を逸らす男を見ながら、残りの新人も目を細めた。

「まあ、オレらも後ろ黒い所があって、ここに行きつく羽目になったんだが……人殺しは、勘弁だ」

 今見る限りのエンの動きも、対する女の動きも、自分達では太刀打ちできないと言わしめる物だ。

 あの男が万が一負けてしまったら、今度こそあの女は子供を狙うだろう。

 それを守り切れるか?

「その点は安心しろ。あれは、すでに勝負がついてる」

 ながれが、あっさりと言った。

「問題は、あの男が女だけ殺して止まってくれるか、だな」

「へ?」

 振り返った繁の前で、ながれは一升瓶の蓋を開けていた。

「いや、エンさんは、あの女性を……慕っている。手にかけるような事は……」

「だとしたら、尚更、歯止めが利かないだろうな。愛しさと憎さは、紙一重だ」

 葉太の目を剝いた言葉を遮り、長身の男は冷静に言った。

「愛しい女を殺した後、大元の奴らを皆殺し。もう躊躇う理由がない。新人だろうが、知ったこっちゃないだろう」

「あんたな、そこまで予想できるんなら、何とか……」

「無理だ」

 ながれは喚く相棒の言葉を、ばっさりと遮った。

「オレは、未開封の焼酎瓶より重いものを、振り回した事がない」

「いやそれ、結構すごくないか?」

「だから、死ぬ前の盃のつもりで、飲んだらどうだ? ほれ、つまみも見つけたから、どこかで炙ろう」

「そこまで悲観したくねえ……って、何だ、それ?」

 勢い良く睨んだ新人が、ながれの手の中にある物を見て、目を瞬いた。

 片手に捕まれたそれは、手のひら大の肌色の塊だった。

 手から逃れようと小さく鳴きながら、それはがむしゃらにもがいている。

「ミニブタ、だろう」

「? ミニブタって、そんなに小さいか?」

「ミニウサギと一緒で、結構でかくなるんじゃ?」

 気が抜けた面々は、各々で意見を言う。

「いや、それ、炙る気か。ブタって、結構手がかかるんだぞっ? 火を完全に通さないと」

「ん? ハムは、炙っただけではできないのか?」

 一応料理を出す店を出している葉太は、男の言い分に呆れつつその手の中でもがく子豚を見た。

「ん?」

 どこかで見た、生き物だった。

「これを踏んづけてしまったから、その男は瓶の直撃を免れたらしい。可哀そうに、そいつの足元で気絶していた」

「その可哀そうな奴を、炙ろうとしてたのか、あんた」

 記憶を探ろうとしたが、男の言葉についつい気が逸れてしまう。

 その子豚の正体を思い出す前に、勝負はついていた。


 増谷大吾は、死んではいないようだ。

 母子を庇うように立ちながら、エンは内心舌打ちした。

 今は長くこの手の事から離れているが、昔の経験から気配で手ごたえが分かる。

 女が避ける事を前提に投げた一升瓶が男に直撃する瞬間、何かが足に絡まって後ろにひっくり返ったため、殆どダメージなく気絶した。

 鼻の骨くらい砕けてくれていればと思ったが、葉太の態度でそれもなかったと分かる。

 悪運が強い男だ。

 一升瓶を避けた雅も、エンの声に振り返る前に大吾の生死を目視していた。

 勢いがあったその飛び道具が、運よく男の命を取ってくれれば、この後の動きはしないでも済むと、受け止めずに避けたのだが、期待に反して無事のようだ。

 笑顔で言葉の応酬をしながら、二人は鉢合わせた動揺をやり過ごし、この場をどう乗り切るかを考えた。

 雅の方は、返り討ちに合って捕まるのが一番の目的だ。

 だから、一抹の不安はあるがその想いを込めて煽って見ると、男はあっさり乗ってくれた。

 エンは、ある程度拳を合わせてから、何とかこの女を邸から放り出そうと考えて、この喧嘩を買った。

 だが……。

 こちらにブランクがあるせいか、雅の鍛錬の賜物か、思った以上に受けた拳が重い。

 素早さも昔より上がっているのに気づき、エンは全力で受けるしかなくなっていた。

 全力で接すると言う事は、手加減が出来ない、という事だ。

 思惑通り、邸から放り投げる余裕もないほどに。

 完全に打ち負かした女を見下ろし、エンは立ち尽くしていた。

 出来るだけ、顔や頭を攻撃しないようにはしていたが、その分他の場所を痛めつけてしまった。

 膝が崩れて立ち上がれない雅が、力なく笑いながら顔を上げて、男を見返す。

「やっぱり、まだ、勝てないのか。君に勝てるようになれれば、いずれ力づくでものにできると思ってたのに」

 どこまで本気の言葉かは分からないが、女はこんな場面でも優しく笑っていた。

「……諦めて、逃げてくれませんか?」

 ついそう言ってみたが、それはしないだろうと、男も分かっていた。

 逃げるなら、ボロボロになる前にそうしている。

 そこまで、金に呑まれてしまったのかと、激しい落胆が男を襲っていた。

「引き受けた仕事を途中で放り出すなんて、出来ないよ」

 案の定そう言い、雅は男の背後を見る。

 公子がそろそろ動いてくれないかと思ったのだが、その前に目の前の男が動いた。

 ゆっくりと雅に歩み寄り、消えていた笑顔を浮かべる。

「なら、仕方ないですね。オレとしては、あなたがこの後、どんな目に合うのか予想できるのに捕らえるのは、無理なので」

 笑顔は先程より穏やかさを湛え、女はそれを懐かしく思いながら見上げた。

 こんな笑顔は、この時代では見られないと思ってた。

 この顔をさせないために、男の弟分も周囲も苦心していたのは知っているが、雅は止める事が出来ない。

 自分がこんな顔をさせてしまうとは、この顔を自分に見せてくれるとは、何よりこんな顔を向られて胸躍るものだとは、今迄思いもしなかった。

 エンは、ゆっくりと女の方に左手を伸ばした。

 それに気づいた葉太が、思わず引き攣った声を上げる。

「な、駄目ですっっ」

 敵わないと知りつつ、男にしがみ付こうと動いた葉太の背後から、その声は投げかけられた。

「急に、何を始めるんだと思って見ていれば、只の喧嘩か?」

 無感情な、聞き慣れた声が。


 流石にその声は、エンの動きを制するのに、充分なものだった、

 我に返った雅も、その声に目を見張り、男の後ろの方を見る。

 無傷の新人たちも、新たな侵入者の登場に驚き、振り返って固まっていた。

 上座の方の窓ガラスを開けて、静かに入ったらしいその侵入者は、色白の若者だった。

 肩に真っすぐ流れる薄色の金髪は、星の僅かな光で煌めき、無感情な整った顔を、更に神聖なものに見せている。

 目を見張る公子の横で、若者は子供の背後を取っていた。

「どこでじゃれ合おうが勝手だけど、こう言う所ではやめた方がいいんじゃないか? 周囲が迷惑する」

 無感情に言いながら、セイは手にしていた苦無を引き抜いた。

 奥田秀の、頸動脈から。

「っ、秀っっ」

 首から噴き出す血を見て叫ぶ公子を、若者は無造作に刺した。

 確実に、息の根が止まる場所を狙って。

「き、公子さんっっ」

 思わず雅が叫び、母子の体を無造作に窓の外に放り投げるセイに、飛び掛かった。

「君は、何をしてるっっ」

「何って、あんたと同じだ」

 無感情な若者は、あっさりと答え、女の勢いを殺した。

「あんたは、その男を苦しませるために、先に子供を狙ったけど私は慈悲と言うだけで、さほど違いはない」

「ふざけるなっ」

「ふざけてないよ。恐怖が大きくならないうちに、気づかれないように命を絶つ。弱い女子供を手にかける時は、それを心掛けている。次に狙うのは、邪魔になりそうな、強い奴」

 躊躇いなく女の喉仏に刃を差し込み、抜き払った。

 余りの事態に立ち尽くしたままのエンを一瞥し、雅も窓の外に放り投げる。

「っ」

 そこで我に返ったエンが動き、女を追うように窓の外へ身を投げた。

「……」

 それをも、一瞥しただけで視線を戻し、残った護衛達を見た。

 初めは驚いた新人たちだが、場数はそれなりに踏んでいるのか、守るべきものを庇いながら、若者と対峙する。

 その頃ようやく目を覚まし、身を起こした増谷大吾は、惨状に戸惑いながらも、通常運転だった。

 命を狙う若者と目が合い、その微笑みを直に見てしまい、声を裏返らせる。

「殺さず、捕まえろっ」

「無茶言うなっ」

 思わず全員が、雇われにあるまじき言葉遣いで、返してしまった。

「こ、ここは、危険ですっ。我々が何とか防ぎますので、外へ……」

 葉太が必死でそう言う間に、若者はすぐ傍に寄っていた。

「ご苦労さん、もう、退場してもいいよ」

 無感情に言い、セイは葉太を含めた新人たち数名も、次々にその刃にかけ、窓から放り投げていく。

 その頃には、元々在籍していた護衛達も目を覚ましていたが、その有様に臆し、遠巻きに見ていただけだ。

「な、何をしているっ。早く、こいつを……」

 主の言葉でそろそろと動くが、周囲を包囲するだけで、飛び掛かろうとする者はいない。

「忠誠心がある護衛方で、良かったな」

 微笑むセイは、周囲を牽制しながら大吾に歩み寄ったが、不意に立ち止まった。

 その隙に、すかさず動いた男がいる。

「……こういう事は、連れて来たガキに、させるつもりだったんだがな」

 後ろから飛びついた長身の男は、セイの背に馬乗りになり、両腕を後ろで束縛した。

 全く抵抗のない若者を見下ろし、男は息を吐いた。

「隙をついて、眠らせる事が出来て、良かった」

 繁が放り投げられた窓を一瞥してから、ながれは言い、主を見上げた。

「殺さず捕まえれば、良かったんですよね?」

「あ、ああ。よくやった」

 始まった時と同じように、突如終わりを告げた乱闘騒ぎに、大吾も頭が追いつかず、生返事だ。

 が、若者の眠る姿を見下ろし、鼻の下を伸ばす。

「ふん、手こずらせたな。どこの者の刺客か、洗いざらい吐いてもらうか」

 手こずったのは、別な奴だったが。

 その上、さっき乱入してきた奴とも、別人だが。

 そんな細かい事は、この連中にはどうでもいい事なのだろう。

 一気に信頼度が上がったながれの方も、この連中がどこまで人の道を外れた考え方をしていていようが、どうでもいい事だった。


 突然、思ってもいない動きをし始めた弟分に驚いたが、すぐに気づいた。

 確信する間もなく、窓の外に投げ出された雅を追って、エンは外に飛び出してしまった。

 そして、思い出す。

 ここは、三階だった。

 女に伸ばした手がそのまま固まりそうになったが、何とかその体を捕える事には成功した。

 ぐったりしている雅が、これ以上傷つかないようにしっかり腕に抱え込むと、地面に叩きつけられる衝撃を全身で受けた。

 その後、身を起こすのに時間がかかったのは、高い所から飛び降りたと言う事実を、今更ながらに思い出し、動けなくなっていたからだ。

 こんな所で、倒れている暇はない。

 こうしている間にも追手がかかるかもしれないと、エンは持ち前の気力で無理やり体を起こした。

 腕の中の女の様子を見ると、案の定刺し傷は見当たらない。

 だが、その前に自分が痛めつけていたので、その衝撃もあって目を覚まさないのだろうと、男は申し訳ない気持ちでその体を抱き上げた。

 途端に、ぐったりしていた雅の腕が、エンの首に絡む。

「……何で、君が、ここにいたんだっ?」

 地を這うような、暗い声が言った。

「お蔭で、計画がめちゃくちゃになった上に、公子さん達まで……」

「……」

 悔しそうに睨むその目を見下ろし、エンは穏やかに笑った。

「増谷氏の内縁の奥方さんの事、ご存じだったんですね?」

「……勿論、知ってるっ。標的の一人なんだから、知ってて当然だろ」

「その割に、随分、親し気に呼びますね。先程のセイの茶番と、何か繋がりがあるんですか?」

 あくまでも穏やかに問う男を見上げ、雅は呆然として呟いた。

「え、茶番? ってことは、二人も無事なのかっ?」

「あいつ昔から、あの苦無を殺生に使わないと、決めているようなんです。どう言う仕掛けかは分かりませんけど、刺したように見せただけ、でしょう」

 それを聞いた女は、全身の息を吐く勢いで溜息を吐き、頭をエンの胸元にうずめた。

「よかった。これ以上あの母子を、不幸な目に合わせたくない」

 普段ならどきりとする仕草だが、今日のエンは動揺しなかった。

 穏やかに笑いながら、雅の耳元で呼びかける。

「ミヤ、あなた、捕まる気でしたね?」

 囁くような問いかけの内容は、責め言葉だ。

 詰まって顔を上げられない女に、男はゆっくりと続ける。

「……護衛があの後、どういう目に合うのか知っていたなら、あんな襲撃をしたあなたも、同じ目に合うかもしれない事は、分かっていたはずですよね?」

「……勿論、それが、目的だったんだから」

 開き直った雅は、顔を上げて男を見返した。

「あの男を呪い殺すには、何とか目に止まらないといけない。どういう人たちが集まっているか分からない中に、護衛として紛れても目立たないだろう?」

「……何でそんなに、自己評価が低いんですか」

「勿論、無事にあの男の目に止まっても、呪い殺せるほどの力が、私にあるのかが心配だったけど、それは、この家で扱っている薬が解決してくれると、そう踏んだんだよ」

 呆れた男の呟きは聞き流し、雅は一気に吐いて溜息を吐いた。

「あれが一つでも手に入れば、楽だったのに。手に入らなかったからこそ、苦肉の策で、こういう出会いを演出したのにっ」

 古谷家と塚本家に、軽いノリでその物の有無を尋ねた。

 駄菓子屋に子供が入り、欲しいものを聞く、そんなノリでだ。

「こんにちは、蠱毒こどく、置いてる?」

「申し訳ありません、今、手元にはありません」

 だが二つの家の当主は、その軽いノリに乗って、あっさりと答えた。

 藁にすがる思いで、塚本の元祖の元にも行ってみたが、出て来た物は雅が生で食べるのを躊躇う代物で、蠱毒でやる気を増幅すると言う手は、使えなくなったのだった。

「蛇なら生で行けたけど、あれはちょっと、躊躇うよ」

「火を通したら、いけたんですか?」

「どうだろう。食害虫を、蠱毒にする発想があるとは、私も思わなかったから。食べて大丈夫だったのかも、分からない」

「……少し前まで、蠱毒を食すと言う発想が、オレにはなかったんですが」

 いくら、何でも食す国の出身でも、そこまで考えた事はなかった。

 食の新たな可能性に、行き当たった気分だ。

 何となくその感慨にふけったエンの襟首を、雅が乱暴に掴む。

「君も、同じ目的で、護衛を引き受けたのかっ?」

「仕方ないでしょう、他の人たちならともかく、血縁者の旦那さんを、あんな男の毒牙にかけるのは、見過ごせなかったんです」

「どうして、葉太君がここに来る羽目になったのを知った後、私に相談しないんだ?」

 目を険しくして言う女に、男は流石に苦笑した。

「無茶言わないでください。もし、相談できたとしても、あなた、連絡取れないじゃないですか」

 連絡取れても、相談する気はなかったが。

 エンの言葉にぐっと詰まった雅に、男はゆっくりと言った。

「いいですか、ミヤ。男と言う生き物は、単純なんです。どんなに好いた人がいても、ただその人を夢想するだけで興奮できるし、サイズさえあれば、塩ビパイプでも満足できる」

「え、塩ビパイプって、屋根から流れる雨を地面に流し落としたり、川から水引くのに使う、あれ? でも、あんなの使って取れなくなったら、大騒ぎじゃない?」

 雅が思わず流されて疑問を投げると、エンは神妙に首を振った。

「男と言う生き物は、夢想もすごいですが、自己評価も高い。ああいうものを使う時は、大きい内径の物を選ぶんです。だから、すかすかです」

「そ、そうなのか?」

「ですから、そんな生き物を、女の人が嫌々相手にする必要なんか、無いんですよ」

「な、なるほど」

 穏やかにしたり顔で言われ、雅は思わず納得しかかったが、すぐに我に返った。

「だったら、君が、嫌々相手することも、無いんじゃないのかっ?」

「後々まで、引きづらない嫌さ加減ですから、まだましですよ」

 相手によっては多少苦痛を伴うが、あの程度の男なら問題ないと、エンは笑顔で言い切った。

「まあ、ここに来るまでは、そのつもりだった、ってだけですが」

 来てからは、別な解決法を考え始めていた。

「……流石に、一人であの数の相手は、難しいですからね。その上、まだ年端もいかない子供が、危なかった。だから、あなたが乱入して来なかったら、オレが暴れてました」

 警察関係者には悪いが、呑気に証拠集めしている余裕はないと、判断した。

「あなたが来てからも、すぐに外に放り出せばいいと、そんな浅い考えだったんです」

 それが狂ったのは、意外にも雅が精進していた事が原因だ。

「意外? 君に追いつくのが、最終目的なんだから、精進するのが当然だろう?」

 雅が睨むように見上げると、エンは呆然とその目を見返していた。

「ど、どうしたんだ?」

「いえ、あそこで邪魔が入らなければ、オレはあなたを……」

 話している内にようやく、高い場所から飛び降りた衝撃から立ち直り、エンはそれを思い出した。

 別な意味で、震えが全身を襲う。

 そんな男を慌てて抱き寄せ、大きな背中をさすってやる。

 されるがままのエンの耳元で、優しい声で言った。

「あれでいいんだ。私も、殺されるなら君がいいと、あの時思っていたから」

「すみません。……怪我、痛くないですか?」

「大丈夫だよ、何なら、確かめてみるか?」

 他意はない問いかけだったのだが、動揺が走った。

 外野の方で。

 派手に周囲の空気が動き、近くの木蔭から人が雪崩を起こして倒れ込む。

 振り返った二人の目に、先程邸内にいた新人たちが、重なって倒れているのが見えた。

「お、重っっ、つぶれるっっ」

 宮本繁が、一番下の方で悲鳴を上げている。

 いち早く立ち上がった辻ながれが、咳払いして二人に声をかけた。

「いや、お邪魔をして申し訳ない。もう少し続きを見ていたかったんですが、そろそろ、退散した方がいいのではと、そちらの方々が」

「時と場合を考えて、出羽ガメはするもんだろうがっ。それを、こんな大勢で、わき目も振らずにやるなっ」

「……出羽ガメだけ咎めるのも、どうかと思いますよ。そちらの方も、時と場所を考えて、いちゃついてくれますか?」

 小柄な若者が苦々しく言うのに続き、大柄な男が弾けるように身を離した二人を見て言った。

 体格も筋肉隆々のその男は、何故か肩に小さな子豚を乗せている。

 三階から放り出された新人護衛たちは、その子豚の体で全員まとめて受け止められた。

 小さな体が急激に膨れ上がり、クッションになったのだ。

「おおっ、ピーピークッションっ」

 ついつい、繁はそんな事を叫んでしまった。

「何だ、その放送禁止用語の様な、ネーミングは」

 呆れたながれや無事を確認し合った新人仲間たちは、エンを探すと言う葉太について、ぞろぞろと歩いていた時、二人の仲睦まじい姿を見つけてしまい、ついつい隠れて見ていたのだった。

 塩ビパイプの話で盛大に吹き出しそうになったのを、必死で抑え込んだと言うのに、首尾を確認に来ていた鏡月が、その出羽ガメ軍団に気付き、後ろにいたながれの背中を、思いっ切り蹴飛ばしてしまった。

 お蔭で、自分から服を脱ぎかねなかった女の行動を、見る事が出来なかったのだった。

「あなたは?」

 何とか立ち上がった雅の、改まった問いかけに、大男は改まった顔で答えた。

「御藏じょう、です。こいつは、クウ。御蔵に仕える、式神です」

「御藏……あの人も、ここに目を付けていたんですか?」

 苗字を聞いて何となく察したエンの問いに答えず、鏡月は白い目を男に向けた。

 見えていないはずなのに、その視線は痛い。

「お前今、雅の言葉に、はいと言おうとしたな?」

「え、ええ。見た方が、怪我の具合の把握が早いと……」

 目を瞬いて答えた男は、鏡月の白い目の意味に気付いた。

「ああ、屋外でするのは、不味かったですね」

「……そういう事だが、そういう事務的な話でもない」

 力のない返しをする若者が、何に引っかかったのかは分かっていたが、エンは気恥ずかしさもあって、すっとぼける事にした。

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