第7話
水谷葉太は、気になっている事がいくつかあった。
その疑問を全て解決すべく、鏡月と御蔵浄の後に続いて移動しながら、隣にならんだエンに声をかけた。
「塩ビパイプと言うものがあるのを、よく知っていましたね」
確かこの人は、最近山から下りてきたはずだと疑問を口にしたのだが、男は軽く答えた。
「この間、山の家の軽い修繕を、手伝ったからな。竹は大きくなりすぎたのしか見つからなくて、仕方なくホームセンターに買い出しに行ったんだ」
「……え、ホームセンターで、あんな卑猥な事を思いついたんですか?」
「まさか」
小柄な男の力のない笑い込みの問いに、エンはあっさりと返した。
「よく買い出し先で会う奥さん方と話している時に、近くのスーパーで安売りしていた胡瓜の話になったんだ。見事に育った胡瓜で、オレの腕くらいに太さがあってね、中が腐ってるんじゃないのかとか、ちょっと気になるけども、安いからいいかと盛り上がっていた時に、ある奥さんが、冗談交じりに言ったんだ」
うちの旦那のより、立派だわあ。
「固い分、胡瓜の方が優秀よね、何て話になりまして。でも胡瓜は食べる物でしょう?」
奥様方の井戸端会議に出ているのかと、目を丸くしていた雅に笑いかけながら、エンは続けた。
「使うんなら、せめて口に入れない物で使える物はないかと、何が使えるかを、ついつい議論し合ってしまったんです」
結果、洗えば何度でも使える、あのパイプの名前が出たのだった。
「あれなら、男女共用で使えますからね」
「……そんな使い方するために、ホームセンターで売られてるわけじゃ、ないでしょう。従業員の方が、泣きますよ」
小柄な男が、自分でも泣きそうな顔で言う。
「変な趣向の男が、そんな使い道を考えたら、それこそ迷惑するでしょうね」
特に、女性従業員が。
ぞろぞろついて来る中で、一番大柄な男が神妙な声で言うのに、雅は優しい声で返した。
「ああ、品物の置き場所を女性従業員に尋ねて、その場所に着いたら急に露出して、どのサイズが合う? ってやる訳か。瞬時に叩き潰せば、問題ないよ」
「襲われそうになって、思わずやったと言えば、正当防衛で行けるでしょう。実際、露出してるんだから、言い逃れは出来ない。何なら、丸ごとえぐり取ってやればいい」
エンも頷いて、穏やかに言い切る。
「あ、でも、手で潰すのは嫌かな。どんなばい菌ついてるか、分からないじゃないか」
「そうですね。じゃあ、切り売りコーナーのはさみとかニッパーとか、持ち歩くのがいいかもしれないですね。消毒も楽ですし。素手じゃあ、生皮剥ぎたくなる程、嫌な人もいるでしょうし」
見目は優しい男女が、穏やかに笑顔を讃えながら、そんな物騒な話で盛り上がっているのが、何より怖い。
気軽な話で場を緩めようと話を振った葉太だが、青褪める面々を見て、切り出す話がまずかったと咳払いし、全く別な事を切り出した。
「あんたたち、さっきの侵入者の事、知っているのか?」
「……何で、そう思うんだ?」
歩きながらだったが、男たちの間に緊張が走った。
葉太より少しだけ背の高い男が、鋭い目線を向けるが、高野信之の同僚を知る葉太は怯まない。
「この二人が外に投げ出された後、増谷大吾の命に、全力で無理だと断じてただろう? 多勢に無勢と、普通は命令に従って動くと思ったんだが」
「いや、あの人相手じゃあ、無理だ」
一人の男が言い切り、別な男も言う。
「旦那がいるのが分かったんで、少し安心した矢先だったからな。まさかあの人が、乱入してくるなんて」
「旦那?」
嫌な呼び方だ。
いや、親しみを込めた呼び方だったが、聞いた鏡月には嫌な予感しか、感じなかった。
「まさか、お前ら……」
立ち止まりながら振り返った若者に、居心地悪そうに頷いた男たちは、白状した。
「……旦那の娘さんを、娶りました」
「そう、なのか」
僅かに顔を顰めるエンを横目に、葉太が意外そうに言う。
「ここにいる全員が?」
いつの間にこんなに姉妹が増えているのかと、呆れる男の代わりに、雅が確認すると、小柄な男が手を上げる。
「あの、その旦那と言うのが、カスミって人の事なら……オレは、婿じゃありません、孫、です」
これには、エンだけではなく鏡月まで目を剝いた。
「何だと?」
「うちの母との子供以外にも、このご主人方の数だけ娘さんがいるのか……」
「という事はつまり、カスミの旦那に、ここに集められたって事か?」
葉太が問うと数人は頷いたが、小柄な男は首を振った。
「オレは、偶々巻き込まれただけだ。この人に。……辻さん、あんた、独身じゃなかったのか?」
「独身だ」
「そう、なのか」
戸惑う小柄な男が見る男を見て、葉太が少し考える顔になり、鏡月が苦々しい顔になる。
若者はその顔のまま、男たちに声をかけた。
「今からいる場所に、この辺りを担当する刑事がいる。そいつに、知っている情報を全て話せ。その後で、こちらの事情を話すか、考える」
再び歩き出した鏡月の表情は、目的地に着いた跡も暫く、苦々しいままだった。
上野家で一同を迎えたのは、家の主人と二人の小柄な女だった。
雅は一人とはちらりと会った事があり、もう一人とは初対面だったが、エンはどちらも知っていた。
「……豪華な、顔ぶれですね」
思わず、皮肉を込めてしまった男に構わず、シュウレイはやって来た面々を見回し、不安げに鏡月を見る。
「え、セイは? 出て来なかったのっ?」
「まだ、探し物が見つかっていないからな」
「探し物って……眠ったままじゃあ、無理だろうっ?」
シュウレイは、あの若者が眠る前にあの邸を脱出し、鏡月が連れ帰ると思っていたらしい。
首を竦める若者の前で、女は盛大に嘆いた。
「そんなあ。眠っている内に、カ家に連れ帰って、花嫁修業させようと思ってたのにい」
「は?」
笑顔のまま、エンが思わず訊き返していた。
「どさくさ紛れに、あの子を拉致する気だったんですか?」
「だって、セキレイが、やきもきしてるんだよ。このままじゃあ、後継ぎが一向にできないって」
「あの子を嫁にしたって、後継ぎなんかできないでしょう」
「だから、花嫁修業させてる間に、性別変更の薬を完成させるつもりだったのっ」
呆れてしまったエンの代わりに、雅は優しく、しかし冷静に指摘した。
「性別変更しても、子供を作れるとは限らないはずですけど。外側だけ変えればいいと言う話じゃないですよ」
「分かってるよ。その辺りが難しいんだってさ。だから、体質を見ながら、研究したいって……」
「……カ社長、空いている時間、ありますか? 面会したいんですが」
男が、穏やかに問いかけた。
その声音を聞いて見上げた雅と頷き合う男に、シュウレイはきょとんとして答えた。
「面会? 近い内がいいの?」
「ええ。まだ少し残っているので、準備はいらないです」
何の準備?
ますます分からなくなって首を傾げつつも、女は弟を墓穴に落とす算段に、知らず協力してしまった。
「分かった、面会の手続きをしておくよ。日時が決まったら、知らせに行くね」
「お願いします。その時は、ミヤも一緒に連れて行きますね」
義理の弟とその恋人の訪問かと、シュウレイは内心うきうきとしながら頷いた。
楽しみだと笑い合う男女と、新たに来た客たちはある部屋へと案内された。
「秀ちゃんの奥さんと子供は、外に出せなかったのかな?」
気になっていた事を問うシュウレイに、雅は首を傾げる。
「あの子、真っ先に狙ってましたけど、いませんでしたか?」
「あー、まあ、その辺りの話も、まずはここにいる奴の話を、聞いてからにしろ」
鏡月は天井を仰ぎながら答え、その部屋の襖を開ける。
五畳ほどの畳部屋にのべられた布団に、男が身を起こして座っていた。
その膝に縋ったまま、小学生くらいの子供が眠っている。
「……やっと寝たか」
その子供が誰なのかすぐに気づき、戸惑う客たちに構わず、若者は小さく息を吐いて呟いた。
男が、それに答えて頭を下げる。
「え? 何で、子供だけ?」
きょとんとするシュウレイの傍で、雅も戸惑った。
「公子さんは? ここにいないんですか?」
自分達があそこでのんびりとしている間に、母子だけここに移動したのだと、一瞬納得したのだが、母親の方がいない。
「そこから、説明するか。まず、何故子供がここにいるか、だが……」
簡単に言うと、あの邸にいた子供は、偽物だった、と鏡月は言った。
「偽物?」
「塚本の札を使って、似せた依り代を作った。中々の出来だったはずだ。何せ、血も普通に出る代物だったからな」
確かに。
セイが苦無を抜いた時、鮮明な血が噴き出した。
あれで一瞬、度肝を抜かれてしまい、騙されてしまった。
「その子供、普通に学校に通っていたのでな、昼休みの時間に、
「……」
聖、とは塚本家の嫡男だ。
あれ? という事は、自分がやろうとしていたことは、無駄骨?
雅がそう感じている横で、エンは穏やかに若者を見た。
その視線を受け、鏡月が床の上で身を起こす男を見る。
「……まず、そっちの女に、何を頼んだのかを、正確に話せ。どうやらその女、意味を取り違えていたようだぞ」
「え、私?」
きょとんとしっ放しのシュウレイを見て、男は困った顔になったが、若者の言葉を受け、正確に頼んだ内容を話した。
「せめて妻を見つけ出して、子供を助け出し、親子で静かに暮らしたい。そう願いました」
「それの、どこに意味を取り違える所があるの?」
困惑する女に、優が宥めるように答えた。
「見つけ出す、という意味が、あなたの考えているものと、違うのよ」
「つまりな……」
子供が眠り込んでいるのを確認し、若者は重い言葉を告げた。
「こいつの女房は、すでにこの世の者ではない、そう言う事だ」
ぽかんとしたのは、シユウレイだけではなかった。
雅も口を開け放ち、つい叫ぶように言ってしまった。
「そんなはずはっ」
思わず声を張ってしまい我に返り、子供が起きないのを見てから、声を抑えて続ける。
「だって、母の所で、公子さんとは何度も……」
混乱気味の言葉を、大きな溜息が途切れさせた。
思わず呆れた溜息を吐いた優は、客を全員部屋に入れ、襖の前に立っていた。
「そう、
しみじみと言い、その目線をある男に向けた。
「しかも、退場した途端、全く別な人に姿を変えて。わざわざ、私たちに接触した訳位、話してくれるのよね? お父様?」
優の目を見返し、辻ながれが微笑む。
「その位、察してくれているのだろう? 久し振りに、愛娘のお前に会いたかったのだ」
「……へ?」
繁が目を剝いた。
そんな男と目を丸くした雅を見比べ、ながれは真面目に言った。
「この男が、旨い具合に空いて助かった。これで全員、驚いたか?」
「旦那……」
真面目な言い分に呆れた声を出すのは、この地の娘婿だ。
「慣れているオレなら、まだ驚くだけで済みますが、大丈夫なんですか? 他の人たちは?」
「……ああ、その心配は無用だ。時々、子供の姿の旦那を迎えに、警察に行ってるからな」
大柄な男が言うと、他の娘婿たちも大きく頷く。
「あなたは……まさか、尻拭いさせるために、娘を嫁がせているんですかっ?」
殺意すら滲ませながら、エンが厳しい声を上げるが、男の口調も態度も変わらない。
「そんなはずはないだろう。勿論、好きな男と添わせて、その上で恩を売っているだけだ」
「……」
「あんた、結局、何人ガキがいるんだっ?」
「さあな」
怒りで顔を険しくした鏡月の問いにも、真面目に返す男を見たまま、シュウレイが溜息を吐いた。
「ねえ、もしかして、秀ちゃんを逃がしたの、あなたなの?」
「そうだぞ。感謝して欲しいものだな。あのままあの邸にいては、親子ともども廃人になった後、死体すら見つからないまま、朽ち果てる事になっていた。ここまで凄まじい事になっているとは、思わなかったものでな。今まで放置していたのは、私の落ち度だと認めよう」
認めはしたが、悪びれない。
「放置してたって……何を、ですか?」
義理の子供も実の子供たちも、言わないが察してしまっていた事を、雅は敢て訊く事にした。
「息子の一人が、気ままに遊んでいるのを、放置していた」
軽い答えだったが、内容は空気を固めるには充分だった。
固まった空気を、優がすぐに声を上げて壊す。
「怪我人には、そろそろ休んでもらいましょうか。初対面の義理の弟さんたちも、雅ちゃんも、話せる部屋に移動しましょ。私、色々とお話したいわ」
「そうだねえ。そうだ、今度お姉さんと雅ちゃんと、他の妹たちとで女子会しない? 一度やって見たかったんだあ」
「あ、いいですね。ミヤ、その時は折り詰め作りますから、楽しんできたらどうですか?」
エンが穏やかに、呆れた雅に声をかける。
男を見返し、女は優しい笑顔を浮かべた。
「……そうだね。お酒と甘い飲み物も欲しいかな」
「いいねえ。楽しみだなあ」
言いながら場所の移動を始める面々を、妹婿たちは顔を引き攣らせて見つめていた。
その気配に、突っ込めるのはオレだけかと溜息を吐き、鏡月は優を呼んだ。
「おい、優」
「はい、お兄様」
「どうでもいいんだが……」
きょとんとして振り返った父親違いの妹に、若者は窘める言葉を投げた。
「普通に話しながら、実の父親の首を絞めて背中に背負うのは、止めた方がいい。初めて見た奴らが、怯えているだろう」
「そうですか? どうぞ、このお部屋よ」
正確には背負えていないが、父親の首に縄をかけ、背負った状態で廊下を引きづりながら、優は歩き始めていた。
「うむ、久し振りの娘の愛の鞭は、苦しいな」
真面目に言う男は、そこまで苦しそうには見えない。
それを見てつい、浄は呟いてしまった。
「怪力婆の父親なだけ、あるな……」
「ねえ、エン、さっきの変質者の退治法、一度ちゃんと試してみた方がいいよね? この失礼なお猿さんで」
途端に、大柄な体が浮いた。
いつの間に近づいたのか、雅が優しい笑顔のまま師匠の男に声をかけながら、浄の首を絞め上げて軽々と頭上に持ち上げていた。
背丈の差があるので宙に浮いてはいないが、足は浮ついている。
恐怖を覚えて謝罪しようと試みるが、首を絞められてそれどころではない。
「そうですね……体の一部だけ、上手に狙えるようになれれば、死なせる事もないでしょうし……」
「好きなだけ、試したらいいわ」
客を部屋に招き入れていた優が、にっこりと笑って振り返った。
その背には相変わらず、仰向けで体を反らす男がいる。
「その猿、結構失礼なのよね。お灸を据えてあげて。どうせ、すぐに元通りだから」
「す、すぐじゃ、ないっっ」
金持ちではあるが、平凡な家でのこの惨状に、鏡月はまた溜息を吐く。
「おい、この家で、血を流すなら、全員放り出すぞっ」
剣の籠った低い若者の、本気の声だった。
「その通りだ。このまま絞められると、血よりも恥ずかしいものを、垂れ流しそうだ」
真面目なぶち壊しの声に、鏡月は優の背中の男の首にかかる縄を切り、その体をそのまま外に放り出すべく玄関に向かった。
「こ、こらっっ。まだ、感動の抱擁が終わっていないのだぞっっ」
「やかましいっ。抱擁も説明も省略だっ。出て行けっっ」
「何だ、焼き餅か? 素直ではないな」
何かが千切れる音が聞こえた気がして、優が小さく声を上げてしまった。
鏡月は黙り込み、そのままながれを見下ろす。
「き、鏡月?」
「分かった。掃除は、オレが責任もってやろう。上野、少しだけ、廊下を血まみれにするぞ」
「や、止めて下さいっっ。それは、少しだけでは、済まないでしょうがっ」
やんわりと笑いながら、仕込み杖の柄に手をかけた若者に、慌てて制止の声をかけて飛び出して来たのは、部屋で待機していた刑事二人だった。
高野信之の懇願が混じる声に、鏡月は仕方なく怒りを治めた。
「ったく、時々、あっさりとブチ切れるから、あんたは怖いんだ」
河原巧が、吐き捨てるように言ってから、知り合いに目を向ける。
「お仕事、ご苦労様でした、葉太さん」
「……何で、お前がここに?」
「何でって、あの家の本格的な捜査が出来そうじゃないですか。いい機会だと思って」
きっかけは、父親に引き取られた方の妻の連れ子が、道を訪ねて来たことだ。
「伸から、セイさんが上野家で増谷を調べる段取りをしてると聞いて、これはチャンスだと思って来てみれば……」
綺麗に洗われて、地髪で作った付け毛をつけて肩に触れるくらいの長髪になり、綺麗な衣服に身を包んだ若者と顔を合わせた。
同じ頃来た信之と塚本伊織は固まり、すぐに拝み始めてしまった。
「まあ、気持ちは分かるんですが、あれは、大袈裟すぎる反応じゃあ?」
容姿は拝みたくなる程に神聖化していたが、中身を知っている巧は、素直にその神聖化を認められなかった。
「着飾ってたの? 見たかったなあ」
「本当に。何で普通の服になってたんだ?」
「普段着飾らないんだから、こういう時くらい、永く着飾っててくれればいいのに」
残念そうな三人に、鏡月は力なく答えた。
「仕方ないだろう。本人が、拝まれた時に引いてしまって、顔を汚してくると言い出したんだ。汚すくらいなら、白粉でも塗れと説得して、ようやくあの形になった」
「……信之、あの子をもう少し気楽に扱ってやってくれないか? 拝むのは、ご法度だ」
「すまん。だが、カメラに収めるのを躊躇う位、神がかっていたんだ」
言いながらも、しっかりとカメラに収めた男は、穏やかに説教する男にその画像を見せた。
「……か、可愛いっ」
「高そうなべべだな。……破りませんでしたか?」
シュウレイが覗きこんで感激する横で、エンは冷静に優に問いかける。
「高そうだと言うのは、分かったみたい。着る時も脱ぐときも、慎重に動いてくれてたわ」
同じように覗き込んだ雅も、目を細めながら呟く。
「これ、蓮にも送ってあげたら?」
「あの人は、こんな画像で見るより、実物の方を見たいと思うんじゃないですか?」
「だね。あの子、今どこで仕事してるのかな?」
二人の会話に、シュウレイがあっさりと答えた。
「セキレイの所にいるはずだよ」
「? 何で?」
「あの子が戻って来たら、すぐに連れ去る心算だったから。まさか、屋敷に残っちうなんて。一晩、眠り込む薬を仕込んだのに」
「え」
固まったのはセイの兄姉貴分の二人と、刑事二人だ。
ながれは小さく笑う。
「相変わらず、目的を達成する為の妥協はないな、お前たちは」
顔を顰める娘を見返し、男は言った。
「私に言わせると、有難い誤算だ。あの子が、尻拭いを買って出てくれたと言う事だからな」
「後で、しっかり覚えておけよ」
あの邸内で、何が起きていたのか。
それをこの男から聞き出すことが、解決に一番の近道となる。
鏡月は全ての怒りを押し隠して、そう判断した。
事の始まりは、先程言ったように、子供の一人を遊ばせたいと言う親心だったと、十畳間の客室に落ち着いた面々に、男はそう言った。
「二十年ほど前に、その子は自分の欲求を全て封じ込め、大人しく真面目に働いていたのだが、その封じ込めた息子が哀れでな。ついつい、連れ出してしまったのだ」
適当な所で放したところ、息子の欲の塊は喜んで飛んで行った。
男は、その後二十年、全く気に知ることなく過ごしていたのだが、ある時その息子が、この辺りに根付いているのを知った。
「それが、増谷大吾の邸だった」
二十年の内に随分と力をつけ、本来の息子の体には入りきらない代物にまで膨大化していた。
「増谷大吾と、随分気が合ったようでな。取り憑くと言うより、同化しているかのような状態にまでなっていた」
楽に獲物を捕まえられ、その獲物を隠せる場所もある。
実に都合のいい餌場が、出来上がっていた。
「私はな、息子が楽しんでいるのなら、それでもいいと思っていたのだ」
場所が、こんな所でないのなら。
「知らなかったことにして、何事もなく過ごしていた所に、寿が話を持ってこなければな」
「……あの、まさか、あなたが言う息子さんと言うのは……」
嫌な予感がして、雅が話の途中で尋ねると、ながれの姿の男は、真面目に頷いた。
「私と寿共通の、たった一人の息子だ」
予感していても、実際に答えを聞くと、衝撃だった。
言葉を失くす女の横で、エンは目を細める。
「つまり、増谷大吾に憑いているのは……」
「舞の兄弟の、狐の部分だな。本人は、狐の色欲を良く思っていなくてな、ある妖怪に頼み込んで、その欲を絵画に封じ込めた」
「絵画?」
宮本繁が、思わず訊き返す。
「頼まれた妖怪は、封じる物を作るのを面倒がってな。あの子の友人に当たる画家の描いた絵に、封じ込めたのだ」
その画家は、既にこの世にいない。
男は、あっさりと暴露した。
「……そんな」
さっきまで自分といた男が、いつの間にかこの世から去っていた。
繁は衝撃をまともに受けて、言葉を失くしてしまった。
「……中々、肝の据わった男だったな」
浄が、苦い顔で呟く。
子豚の
あの後、空はその手を逃れて、外に出た面々を救助したが、その中にながれの姿はなかった。
セイの手を逃れて邸内に残ったが、他の誰かの手にかかったか。
「オレ、どうやって、家に帰ろう?」
衝撃が過ぎたのか、繁の口からはどうでもいい心配が漏れる。
戻れるとしても、絵画を破ってしまった店に、どう報告すればいいのか。
頭を抱えた男の胸ポケットで、携帯電話が受信を告げた。
マナーモードにしていた電話が震え、我に返った男が受けると、聞き慣れた男の声が言った。
「宮本? やはり、死んではいなかったな。仕事はこれで終いだ。家までの交通費は、今いる家で出し換えて貰え。後は、もう全て忘れて、まっとうに生きる事だ。じゃあ、お疲れさん」
「……って、あんた、辻さんっっ? 生きてたのかよっ」
向こうで一方的に話し、終わらせようとしていた男が、繁の素っ頓狂な声に声を籠らせる。
「勝手に人を殺すとは、随分偉くなったな」
「そ、そうじゃなくて……おい、あんた、辻さん死んだって……」
未だながれのままの男を睨むと、真面目に頷いた。
「死んでいるはずだ、十四五年前に、病で」
「……へ? そんなに前に?」
では、この電話の向こうの男は?
固まった男の耳に、大きな溜息が聞こえた。
「そこに、諸悪の性悪男がいるのか? お前の所のくそ爺が?」
言葉遣いが崩れている事に突っ込む前に、繁は思わず尋ねた。
「この人の事、知ってるのかっ?」
「知っているとも。絵の中に閉じ込めると言う大雑把な事をして、そのまま放置していたうちのくそ爺も悪いから、あまり責められないが。孫が毒牙にかかれば、少しは反省すると思ったんだがなっ」
「って、まさか、オレの事も承知で、ここに連れて来たのかっ」
勢い込んだ詰問に、ながれは鼻を鳴らすことで答えにした。
「どちらにしても、邸に怪しまれずに残れた。家探しは元々一人でする予定でいたから、お前はお役御免だ」
「家探しって、一体、何を探してるんだよっ?」
「お前には関係ない。早く家に戻って、まっとうな働き口を探せ。お袋を、怒らせるな」
ながれの最後の言葉が、更に喚こうとした男をはっとさせた。
「はっ、お袋っ。やばいっ、オレ、何日か家に連絡してないっ」
受信が切れた電話を握りしめたまま青褪める繁に、こちらのながれは真面目に頷いた。
「つまり、少なくともその間の夕飯は、お前の分まで作っている訳か。戻ったらそれを全て、口に押し込まれるな。約束を違えたお前が悪い」
頭を抱え込む男を見ながら、ようやく我に返ったものの、衝撃からは立ち直っていない雅が、ぼんやりと呟いた。
「もしかして、私にあの男を呪い殺せと頼んだ意図は……」
その呟きを拾ったエンがはっとし、ながれを見ると、男は真面目に頷いた。
「前の男では足りなかったものが、手に入るかもしれんと思ってな。欲しいだろう? 色香が?」
「何を言ってるんですか。この人は充分綺麗なのに、色香まで身に付けたら……」
呆れた顔になった息子に、ながれは真面目に答えた。
「更に、男を選り取り見取り状態だな。既成事実も作れんような甲斐性なしを待つより、迫って男を捕まえた方が、この先の生涯、楽しいかもしれんぞ」
暗にけなされている息子の方も、その通りだと唸っている。
迫って捕まる男には悪いが、こちらの悶々とした日々が終わると思うと、有難い。
「ん? 迫って捕まる男が、既成事実を作れなかった男と別人とは、限らなくない?」
「しっ。油断させてパクリ、これが狩人の奇策よ」
シュウレイと優が小声で会話するのを背に、雅はつい苦笑した。
「手に入っていたかどうかは分かりませんけど、完全に企画崩れですね。あの子が探し物を見つけるだけで済ませるなら、まだやりようもありますけど」
「一晩眠り込むのなら、望みは薄いな。眠っている間に、知らずあの男から、力を抜き取ってしまうかもしれん。狐の部分は、何と言うか欲に貪欲でな。増谷の枯れかかった体より、あの子の方に魅力を感じてしまうかもしれんな」
「……」
真面目に予想を立てる男の言葉に、エンは唸った。
どうも、色香を身に付けるセイの、想像がつかない。
逆に、信之と客たちが青ざめた。
「わ、若の、貞操の危機じゃないかっ」
「ん? いや、元々それは……」
全く別な取り乱し方をする一同に気付き、宥めようとするエンの胸倉を、シュウレイが攫む。
「普段でもああなのに、色香を身に付けたら……嫁にするの、更に難題になっちゃうじゃないかっ」
「元々、それは難題です」
「そうだ、私の代わりに残る体になっちゃったんだ……」
「あの子も、元々そのつもりだったはずですから、そう落ち込まないで……」
部屋の中が騒然とする一同と、何故か冷静なエンが穏やかに宥めるのを黙って見ていた鏡月は、同じように黙って見守っているながれに、顔をそむけたまま声をかけた。
「で、あいつも、その寿の息子の話は、知っているんだな?」
「娘婿たちが、あの子の事を知っている事で、察しはついているだろう?」
「……なら、その辺りの説明をするのは、現地で任せるか」
呟いた若者に目を丸くし、ながれは顔を緩ませた。
「何だ、動かすのか? てっきり、全て終えた後に顔を合わせるように、手はずを整えていると思っていたが」
「眠らせている時間が、惜しい。さっさと終わらせて、この暑苦しい状態を、回避したい」
何よりも平穏を好む若者は、数日前からの賑やかな周囲を、早く解散させたい。
その為ならば、常識はずれなコマをも動かす所存だった。
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