第2話 追放

 離れの端っこで目覚めたメイベルが邸内の異常に気付いたのは、朝食を取りに本宅の厨房へ入った時だ。

 かまどに火は無く、ぶち撒けたように食器が散乱していた。


「泥棒? 」


 もしも泥棒なら、義賊かもしれない。


 最近、アグリット公爵家の評判は、非常に悪いと侍女に聞いた。

 屋敷のあちこちで頭を寄せ、コソコソ噂し合う彼女たちの声が、たまたま聞こえただけだが。。


 正妻の義母や異母姉妹の浪費を賄うのに、様々な名目の税を領地に課したり、強引な買取りで出入りの商人を泣かせたりと、横暴が目立っている。と、いう噂だった。


 人影のない邸内を歩き、何があっても入るなと言い渡されていた二階の私的空間プライベートルームを覗き回る。


 意を決して入った公爵家当主の執務室で、やっと見つけた家令も荷造りに夢中で、完全にメイベルは無視された。


 他には誰もいないと知った時は、昼をゆうに越していた。

 義母や異母姉妹の部屋はもちろん、書斎や貴重品庫に至るまで、すっからかんの空っぽだった。


 エントランスも廊下も言うに及ばず、屋敷中の絵画、高価な装飾品も根こそぎ消えていた。


「夜逃げ…… ? 」


 訳も分からず途方に暮れるメイベル。


 昼過ぎに令状を携えて現れたのが、裁定を下す使者の騎士だった。

 そうして、我が家に起こった色々を宣告され、今に至る。


 ぼんやりと物の散乱するエントランスに立っていたが、ひときわ大きく腹の虫が鳴いて、やっと時間が動き出した。


「何か食べて、出て行かなきゃ」


 早々に退去を命じられ、それでもなお居残れば、王城の牢屋がメイベルを待っている。


「はぁ……残っているものって、あるのかな」


 厨房の貯蔵庫を漁り、古いパンと干涸びかけたチーズを見つけた。


 贅沢を言っている暇はない。

 メイベルは受け取った書類とパンを抱え、硬いチーズを齧りながら離れへ向かった。


「これを使う日が来ると、母さまは解っていたのかな」


 チーズの欠片を持った手首で、幅広のバングルが陽の光を反射する。

 つるんとした表面は、安物の金属にしか見えない。ただし内側は、高品質な精霊石を削り出した逸品で、びっしりと呪文スペルが刻まれていた。


「まいったなぁ。開拓地に追放って……はぁ」


 離れに着く頃には、パンもチーズもお腹の中だ。


「さてと、荷造り…って言っても、たいして持っていなかったわ」


 いま着ている簡素なワンピースの他には、着替えのワンピースが一着だけ。肌着の替えと冬物の上着で完了だ。

 後は、母から譲られた、古い魔道書が一冊。


 ふと思い出して、寝台の隠し棚を開ける。

 十五才の成人祝いに、父からもらった小袋を取り出した。


 珍しくも直々に、メイベルの部屋まで来た父が、申し訳なさそうに置いていった成人の祝い金だ。

 銀貨で二十枚より、金貨二枚をくれる方が嵩張らないのにと、その時は思った。


(父さまのお小遣いだったのかも……)


 妻と娘に毟り取られ、懐事情が寒かったに違いない。

 寡黙な父らしい、不器用な愛情を感じた。


「情の深い 優しすぎる人だから……」


 武人にも切れ者にも見えない、影の薄い人だ。

 ただ、思いやりと気配りが半端なく。周りに頼られる一面、利用されやすい。

 そんな人が宰相を務めていたのだから、何があったのかは言わずもがなだろう。


「高すぎる身分が、災いしたのかな……」


 取り返しのつかない思いで、いっそう肩が落ちた。

 

 しばらくは詮議が続くだろうし、追放されたメイベルが、すぐに父と面会できるとは思えない。

 なんとかして開拓地まで行って、王城宛に面会の嘆願書を出すのが精一杯だ。


「後は……」


 首から下げた鍵を引っ張り出し、緊張を解すのに深呼吸する。


 亡き母に教えられた通り、壁に飾った小ぶりな風景画の前へ立った。


 田舎家と森の構図は、ありふれた安物だ。だからこそ、義母も取り上げなかった形見の品だ。

 平織りの表面に描かれた田舎屋敷は、前庭が広がる玄関を精密に描いた構図で、平民の家でも一つは飾られていそうな物。


「【隠されし彼方の扉よ。緑深き森人の名に於いて、いまここに現れいでよ。彼方の名は、イデゥラーデ】」


 決められた呪文スペルを唱え、母の名で封印を解く。

 これからどうなるのかは、知らない。

 知らないけれど、何かが起こるとは聞いていた。


「さぁ、ドンといらっしゃい。これ以上、驚くことなんて、何もないわ」

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