第3話 目指せフロンティア

 ぶち当たる勢いで迫る扉に、メイベルは尻餅をついた。


 どんと来い。なんて、言わなければ良かったと後悔する。

 後悔しても、抜けた腰は動かない。


「いっやぁー! 」


 もう、頭を抱えるしか無くて、縮こまってキツく目を閉じた。で、いつまで経っても来ない衝撃に、そっと片目だけ薄目になれば、目の前に扉があった。


「……ぁ、ぁあ……こうなるの」


 ドクドクしている胸を押さえ、もうちょっと穏やかな発動方法はなかったのかと、肩を落とす。

 とりあえず気を取り直し、握り込んでいた鍵と鍵穴を見比べた。


「この家の鍵だったのね」


 やっとこさ力が戻ってきた足を踏ん張って、もたもたと立ち上がる。


 メイベルは、突発的な対応に弱い。

 主に小心者と言う、父親譲りの性格だ。


「…よし、行こう」


 震える手で鍵を持ち直し、そっと当てがう。

 軋むことなく回った鍵は役目を終えて光の粒となり、手首のバングルに吸い込まれた。


 呼吸を整えて開けた部屋の中央に、ポツンと木箱がある。

 けっこう広いが、他には何もない簡素な設えだ。

 用心しながら踏み込んでも、急に扉が閉まったり、明かりが消えたりもしない。

 ごく普通の部屋。


 木箱の上には、封書の手紙が乗っていた。

 表書きには流麗な文字で、「メイベルへ」と書かれている。


「これ、母さまの文字? 」


 小さかったメイベルに、文字を教えてくれたのは母だ。

 最後はベッドの上で身体を寄せ合うようにして、石板に文字や数字を書いてくれたから、母の癖は覚えている。


『メイベルへ。もしかしたら、必要になるかもしれない品を、ここに置いておきます。できれば今すぐ、スクロールは使ってくださいね。あなたが幸せでありますように、心から祈っているわ。愛しい娘へ   イデゥラーデ』


 何度か読み直し、小さく畳んだ手紙を内ポケットに仕舞った。


「これを開けろって言うのね? 」


 独り言はメイベルの十八番おはこだ。

 ためらいも無く、蓋を持ち上げる。

 一番上には巻いたスクロールが一巻と、小ぶりのナイフがひとつ。

 透明な魔石に結界の魔法陣を彫ったペンダントが、置いてあった。

 それらを下のローブごと持ち上げると、古い皮の背負鞄が入っていた。


「母さまの使っていた鞄かな? 」


 柔らかな飴色の表面をなぞっているうちに、スクロールを使うよう書いていたのを思い出した。

 習得魔法の媒体になる魔法陣スクロールは希少だ。

 誰かの目に止まれば、また取り上げられる。その前に使ってしまおう。


 置き忘れては困るので、結界を刻んだ魔石のペンダントは首から下げた。 

 いったんローブも箱に戻し、一緒に入っていたナイフを鞘から抜く。


 封を切って床に広げたそれスクロールは、複雑で精緻な陣だった。

 ずいぶん等価交換の対価が多い気がした。

 大抵は血液を一、二滴垂らすが、ここまで大きい陣だとかなりの量が必要になる。

 魔石があれば良いのだが、メイベルは原石ルースひとつ持っていない。


「あとは……血液以外なら……髪? 」


 メイベルの髪は膝裏まである。父に似て艶やかな茶色だし、元々の魔力量は多いので魔力の含有量も充分だろう。


「そぅ ね。この際だから、短く切ってしまおう。旅の邪魔だし…」


 首の後ろでひとつに纏めて握り込む。

 感傷も躊躇いもなく、髪にナイフを当てた。

 ザグッと思いのほか大きな音をたて、握った髪がうねる。

 急に軽くなってスカスカした首筋が、気持ち良かった。


「さてと…【我の一部を消費し、刻まれし陣の道標を辿れ。紡げ。印を開け。捧げる供物を等価せよ】……【イデゥラーデ】」


 指の間を滑り落ちて、髪が魔法陣に呑み込まれてゆく。

 替わりに浮き上がった球形の積層陣が回転し、端から解けてメイベルに巻きついていった。


 己の内が変化する。

 どこまでも転がってゆくような眩暈めまいが襲ってきた。

 これが母のスクロールでなければ、恐怖で叫んでいたと思う。


 魔力が馴染むまで数瞬か、数分か、数時間かかったのか。。

 床の上で熟睡から目覚めた時は、夕闇が迫っていた。

 すでにスクロールは消滅して、跡形もない。


「わぁ、大変。早く出て行かないと……がんばれ、わたし」


 ローブを着込み、鞄を背負う。

 まだ立ち眩みするが、床に転がっていたナイフを拾い上げて鞘に収める。

 一度振り返ったメイベルは、決別の思いを胸に、ゆっくりと頭を下げてから扉を潜った。

 

 一歩踏み出せば、田舎家の額縁を背中にして、部屋の中に立っている。

 見渡した部屋に、持ち出せるものは無い。

 さっき纏めた手荷物と、魔道書で精一杯だ。

 背負い鞄に詰めようと、引っ掛け式の留め具を外し、またもや驚いて仰け反る。


「はぁ…嬉しいけど、こう来たか」


 微かに揺らめく鞄の中を覗いて、これが何か理解した。

 中身の一覧も、くっきりと脳裏にある。


 使ったスクロールが、鑑定技能スキル習得の魔法陣だった事も理解した。

 手荷物を鞄に仕舞い、ついでに壁の額縁も外して仕舞う。

 部屋を見回して、寝台やら机やらチェストやら、母との思い出が詰まった家具を仕舞ってゆく。

 綺麗に片付いた空っぽの部屋に、思い残す物はなくなった。


「母さま。行ってきます」


 長く住んだ部屋を出る時、無意識に呟いた。


 なにも無い伽藍堂がらんどうの屋敷を出て、初めて門へと続く馬車道を歩く。

 欠けも不備も無い滑らかな石畳が、なんだか寂しさを誘ったが、ここはメイベルの家ではない。


 これからも、いままでも。。


「まずは宿か…困ったな、場所が分からない」


 屋敷から出たことのないメイベルにとって、王都は未知の場所だ。それでも街へ降りなければ、開拓地にすら辿り着けないわけで。。


「ま、いいか。なんとかなるでしょ」


 空元気で顔を上げて歩き出す。

 なだらかな坂道を下れば、きっと街には行けるはずだから。

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