第7話 逃避行

 宿の前にいた元義理の家族を見た途端、猛烈に離れなくてはと思った。


 逃げ出したメイベルは、開拓地方面の街道へ向かう。

 王都の西にある外門へ向けて、慎重に歩き出した。


 ここで焦って走れば、きっと義理の家族に見つかる。

 だんだん早くなる歩調を抑え、何食わぬ顔で検問兵に開拓民身分証カードを見せて外へ出る。


(よぅし……だいじょうぶ。焦るな…)


 無事に抜け出して、そのまま街道を歩き続け。。


 走る体力などない。だから、止まる事なく前へ前へと歩いた。

 時々振り返っては王都との距離を確認するが、ほんとうに前へ進んでいるのか心配になる。

 すでに太陽は傾きかけていた。それでもまだ、遠くに王都の外壁が見えている。


「びっくりよね。王都って大きいんだ……はぁ、疲れた」


 曲がりくねった街道の後方を森の木々が遮った頃、ようやく落ち着いて周りの景色に気持ちが行く。

 森の反対側には、収穫期を迎えた小麦畑。

 見渡す限りに広がって、夕日に赤く色づいていた。

 濃い色味の穂は、遠くに行くほど赤みの強い黄金色に見える。


「…とても豊かなところに、住んで居たのね。知らなかった…」


 街道が森の中へ入った頃には暗くなり、足も辛くて歩くのが嫌になる。

 この辺りで舗装された街道が終わり、突き固めた道の状態が悪くなったのも原因だ。


「野宿か。仕方ないね」


 森の中は怖いが、このまま街道の側で休むのは、もっと怖い気がする。


「どうしようか…」


 何気なく辺りを見回していた時、後方でチラと光が走った。


(なんだろ…)


 途端に怖気が振るうほど落ち着かなくなり、耳元で『跳べ』と大声がしたような気がして、反射的に跳んだ身体が、道に張り出した大木の大枝に着地する。


「え゛」


 思わず目の前の幹にしがみついて、ズルズルと枝に跨がるかたちで座り込む。


「う うそぉ」


 下を見る度胸は無い。

 ちょっと飛び跳ねたくらいで、とんでもない跳躍なんて。。


「ま、魔道具ロングブーツのせい? 」


 部屋にこもりきりで、駆けた事すらないメイベルには、信じられない身体能力だ。

 心を落ち着ける前に聞こえてきた蹄の音が、ちょうど真下で止まる。

 恐る恐る目線を下げれば、携帯灯に照らされた二頭の馬と乗り手が見えた。


「おかしい。ここまで来ても居ないなんて、道を間違ったか」


 声に聞き覚えがある。


(あれって、義理姉おねえさま方の婚約者? 確か、ボウエム子爵の次男で、カルソンさまだったかな。もうひとりは、バルノッド男爵の長男で、クリフさま? )


 それぞれの声から判断するに、メイベルの後を追いかけて来たようだ。


「陛下から頂いた開拓地の権利目録と認可証は、絶対に手に入れなくては」


 焦った声は、上の姉の婚約者カルソン・ボウエムだ。


「面倒臭い事をしなくても、開拓が順調になってから、砦に押し掛ければ良いと思うのですがね」


 本当に面倒臭そうな受け答えは、下の姉の婚約者クリフ・バルノッドで正解だった。いつも気怠い表情だったのを思い出す。


「そうだなクリフ、俺もそう思うよ。まったく、義理母殿の欲張りには参るよな」


 心底嫌気がさしたような、カルソンの吐き捨てる声が聞こえた。


「でも、手に入れてどうするんです? 元アグリット公爵夫人でも、開拓地の権利を勝手に委譲させるなんて、おおやけに認められないでしょ。追放処分の結果ですし。もし、カルソン殿が横取りしたと国にバレたら、ボウエム子爵家にも累が及ぶのでは? 悪いですが、わたしは手を引きますよ」


 ねっとりした嫌な声だ。

 相手の不幸を嗤う、とてつもなく暗い嘲笑。。


「バルノッド男爵家の男子は、わたしだけです。言いにくいのですが、犯罪者の元公爵一家に関わって、男爵家を潰したくはないですからね」


 手を引くと言い切ったクリフに、カルソンが答える声はない。


「最後の義理を果たして、ここで野宿をしたら、アンリエッタとの婚約は解消しようと思います。わたしが守るべきは、バルノット男爵家ですからね。カルソン殿は、イスメラルダ嬢と結婚して継ぐ家は? 実に残念ですねぇ」


 入婿で公爵位を継ぐ筈だったカルソンは、初対面からずっと、クリフ・バルノットを見下していた。それが、逆転しようとしている。


 クリフはバルノット男爵家の次期当主だが、カルソンはボウエム子爵家の次男。

 不足の事態に備えたスペアであり、嫡男に男児が産まれた時点で、平民落ちする身だ。


「公爵家断絶かと思って切り捨てたは良いが、王命で降爵し、ユノン砦を賜るなど、予想外でした。おまけに王命を授かったのが、無駄飯食むだメシくらいの庶子だったとは……カルソン殿。あなたに、運が向いて来れば良いですねぇ」


 畳み掛けるクリフの言葉に、メイベルも頷いていた。


 次男のカルソンが公爵家の婿養子になる話は、アグリット公爵家の取り潰しで立ち消えた。

 次期公爵の地位が無くなった事実を認められなくて、未練たらしくメイベルを追って来たのだろうか。

 こんな事をしている場合では無いだろうにと、メイベルだって思う。


 馬を繋いで、野宿の準備を始めた物音が聞こえてきた。

 たきぎでも探しに行ったのか、ふたりの気配が遠のく。

 この時点で逃げたいが、絶対に無理だと思った。

 下へ降りた途端に、きっと見つかって何もかも取り上げられる。


(不味いわ。火がついたら、見つかるかもしれない)


 枝に跨って幹にしがみついたまま、メイベルは焦った。


(どうしよう。どうすれば良い? )


 ふたりは薪を集めるのに場所を離れたが、ここから降りて走っても、逃げきれない事くらい分かる。

 考えが纏まらなくて焦る頭に、ふっと浮かんだ物があった。

『額縁』と。。


 脳裏に浮かんだのは、額縁の絵の中にあった部屋。


(できるかなぁ…やるしかないのよね……よし)


 ゆっくりと背負い鞄をずらしながら、前に持ってくる。それだけで、随分と時間がかかった。

 ようやく引っかけ留めを外して、そろっと手首を入れる。


(額縁……お願い、出てきて)


 待つ間もなく、手の中に硬い感触がした。

 片手で引き出したそれは勝手に浮き上がり、絵の表面へ腕の金属腕輪バングルの辺りから光の粒が散る。


(はぇ? )


 気がつけば、メイベルは部屋の中で座り込んでいた。

 振り返った先には、閉じた木製の扉と窓が見える。


「落ち着け、わたし」


 深呼吸してゆっくりと窓辺に寄れば、焚き火を点けようとするカルソンと、鞍を下ろすクリフが枝の間から見えた。

 さっき跨っていた枝から見たのと、同じだけの距離感だった。

 急展開の状況に、頭がついていかない。


「とにかく、静かにしよう。静かに……」


 息を殺して膝を抱えたメイベルは、ため息を吐き出す間に、寝落ちした。

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