お水遊び
お風呂が好きだった。
誰にも邪魔されない、一人で入る長風呂が好きだった。携帯で好きな音楽を流して、ただずっと湯船に浸かっているだけの時間が好きだった。
シャワーから滴る出来損ないの水が、何処かにありそうなリズムを繕っている。ぱたりと止まってしまえば、いっそ私もすんなり死ねるのかな。自傷癖はないけれど、そう思う事がある。
あの日、義兄にくだらない好意を吐かれてから、コンディショナーが使えない。思い出したくないのに。熱くて苦くて臭くて汚くて気持ち悪くて、反吐が出る程馬鹿らしい本能の塊が、未だに頭の片隅に残っている。
義兄は覚えていない。私がこんなにも苦しんで、普通だったはずの思考をどん底に落としていようが、何も覚えていない。
いじめの加害者と被害者の考え方の違いは、こういう事なんだろうなと。ものは違えど被害者になって初めて理解した。
元より男が嫌いだった。女だらけの家で生きてきたからかしらないが、男は汚いと思っていた。
姉が結婚して、初めて男と近く生活するようになって、思っていたよりは汚くないのかなと、思ってしまった私が悪かったんだろう。
まただ。吐き気がする。憩いの時間だった長風呂は、あの日から恨み言が流れている。好きな音楽も聴く気にならないし、余計な事を考えて吐き気に襲われる。吐けたら楽だろうが、生憎胃には何も入っていない。食事さえ喉を通らないから。
義兄はあれ以来手を出してこない。姉に言っても母に言っても信じてはくれない。二人の信頼の度合いは、血が繋がった学生の私より、赤の他人で稼ぎがある義兄に振れている。
酷い話だ。小さく呟いた。届くはずはないし、届かせるつもりもない。ただの独り言。
水滴のドラムはいつの間にか演奏を止めていた。私はまだ生きている。たったこれっぽっちの頭と内臓があるだけで、私はまだ生きている。両手両足は動くし、声は出るし、目は見えるし耳も聞こえる、鼻も利く。今を必死に生きる人より、親に甘えている私はずっと恵まれているはずなのに。
「まだ」生きている。意味の無い事だとでも言いたげな、自惚れた言葉。自分で言っておいて馬鹿な話だ、死にたい気持ちに変わりはない。
玄関を開ける音がした。義兄が帰ってきた。姉が出迎える声がする。幸せそうな声だ。私がそれをうんと嫌っている事を、姉は知らない。
言っても信じてくれないのに、隠したら気付いてくれないのだから。自分勝手なものだ、人間なんていうのは。姉も母も、私の話をまともに聞いてくれたことは一度たりとも無かった。
結局、自分が一番大事なのだ。義兄は今も楽しそうに姉と会話している。私のことを気にも留めずに。あれはただの欲求不満の解消だった。その為だけにあの男は私を使ったのだ。遊ばれた方など気にしない。どうでもいいのだろう。
息を吐きながら半分の湯に潜り込んだ。口を閉じて目を瞑ってしまえば、後は呼吸が出来なくなれば父のもとへ逝ける。はずなのに。
空っぽの肺は、なおも酸素を求めるのだ。
今日も私は、逆上せて眠る。今日も明日がやってくる。助けを求めさせてくれる人など居ないままで、今日も私は生きている。
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