第4話 メアとナンパ−B

「今度のターゲットはあのいかにもオタクっぽい大学生に決めた!」


 前回の敗北から数十分が経過した頃、ひばりはとある人物を指差した。

 その人物は無地の黒Tシャツとジーパンを着て、アニメキャラのピンバッジのついたリュックサックを背負う二十歳くらいの青年だった。


「あの……ひばり先輩、先程から気になっていたのですが、どうして、冴えない感じの人ばかり選ぶのでしょう?」

「何故ってそれは、イケてない男の方が性欲に飢えてる気がするでしょ? ヤるだけが目的なら簡単にオトせる男を狙うのは当たり前……ハッ!」


 ひばりはメアに指摘されたことで、自らが重大な勘違いをしているのではないかと考えた。


「(誰でもいいとはいえ、メアも女の子なんだから、初体験はイケメンがいいとか希望があったりするのかも……)」

「先輩? 難しい顔をしてどうかしましたか?」

「いやあ、そう言えば、メアの好みを聞いていなかったなあって思って。ほら、好きな男のタイプとかってあるじゃん。背が高い人がいいとかお金持ちな人がいいとか」

「ええっ!? す、すみません! そういうのは考えたことがなくて……強いて言えば、優しくて、強くて、頼りになる人がいいかなって思います。ですが、先輩が選んでくれた人なら誰が相手でも構いません」

「(何でもいいって言われるのが一番困るんだけど。……まあ、それならあたしもさっさと一億円が欲しいし適当に選ぶけどさ)」


 ひばりはどうしてメアが会ったばかりの自分をそこまで信頼してくれているのか理解が出来なかった。

 初体験というものは女性にとって人生を左右するイベントと言っても過言ではない。

 その相手をよく知らない人間に一任するメアにひばりは次第と軽蔑の感情を懐き始める。


「だとしたら、あのオタクでいいんじゃない? 強そうには見えないけど、案外女性には優しくて知識とかでは頼りになるかもよ?」

「そうですね。またお手本を見せてもらってもいいですか?」

「はいはい」


 ひばりはもう一度ブラウスのボタンを胸元まで外し、メアを放置してオタクの青年に声をかけに行く。


「(まあ、次こそは楽勝でしょ。こいつ、童貞っぽいし、クラスの猿男共と同じでちょっと胸を見せれば速攻で堕ちるはず)……すいませぇ〜ん! そこのお兄さん、いいですかぁ?」

「むむっ!? お、俺に何かご用ですか!?」


 ひばりに突然話しかけられた青年は挙動不審に驚く。


「実はぁ、あたしの友達があなたに一目惚れをしちゃったみたいでぇ、ちょっとだけお話がしたいって言ってるんですけどぉ」

「ひ、一目惚れっ!? お、俺にぃっ!?」

「(一目惚れとか設定に無理があると思ったけど、意外と通用するものだね。こいつはチョロそうだよ)」


 ひばりは青年の心を掴んだと確信する。


「……だ、騙されないぞ! このクソビッチ!」


 しかし、青年から突きつけられた言葉は逆にひばりの心を大きく抉った。


「お、お前、俺がモテそうに見えないからって美人局でもしようと考えていたんだろ! ざ、残念でした! 俺、彼女いるし! 童貞じゃねーし!」

「……………………えっ?」


「あっ、まさるん! こんなところにいた!」


 その直後、遠くから明るい声をあげる一人の少女がひばりたちの方に手を振ってきた。

 少女は遠目からでもわかるほどに容姿が美しく、モデルかアイドルに匹敵するレベルだとひばりには思えた。


「りこぴー! 会いたかったよ〜!」


 青年はその少女に手を振り返して、ひばりには目もくれず少女の方へ走り出した。

 青年と少女は腕を組んで微笑み合いながら歩き出す。

 二人はまさに美女と野獣と呼ぶべきカップルだったが、その様子はとても幸せそうだった。


「まさるん、あの女だぁれ?」

「オタク狩りが趣味のクソビッチだよ。でも、俺にはりこぴーがいるから必要ないもんね」

「へぇ、私のまさるんにちょっかいかけるなんて身の程知らずな奴。顔は中の上くらいだけど私の虜になっているまさるんがあの程度の女を抱く訳ないじゃん」


 ひばりはとてつもない敗北感を懐いてがっくりと地面に膝を突く。


「(負けた。完全にあたしの負けだ。悔しいけど、あんな美少女が相手ならあたしが振られるのも当然じゃないか。……『クソビッチ』。確かに今のあたしにはお似合いの言葉かも。私利私欲のために見栄を張って嘘の自分を演じていたさっきまでのあたしはクソビッチだよ。こんなのは本当のあたしじゃない。メアにはあたしが処女だってことを話して、一億円の件はなかったことにしてもらおう)」


 ひばりはそう思って、メアの方に振り向いた。

 だが、その瞬間、ひばりの目に飛び込んできたのはメアが三人の男に取り囲まれてナンパされている光景だった。


「メア!?」


「なあ、君、俺たちとこれからドライブに行かない?」

「俺が運転するんだぜ。山でも海でも好きなところに連れてってやるよ」

「この車は俺のパパが買ってくれたものなんだ。俺の家はスポーツカーくらい年に何台も買えるんだぜ」


 ひばりはメアをナンパしている男たちから邪悪な気配を感じる。

 一人は背の高いイケメン、一人はバンドマン風のチャラ男、一人は高級なブランドファッションに身を包む御曹司。

 三人揃えば、大抵の女性は誰かしらに惹かれそうな面子である。


 しかし、メアは三人を嫌がっていた。


「ご、ごめんなさい。お誘いしてくれるのは大変ありがたいのですが、わたくし、待っている方がいるのです」

「待っている人? それって男? 俺よりかっこいい?」

「君みたいなかわいこちゃんを放っておくなんて酷いやつだな。俺たちと来れば寂しい思いはさせないよ」

「俺たち三人共、君に夢中なんだぜ。お金が欲しいなら、俺を頼ってくれよ」

「いえ、あなたたちとは行けません。その方はわたくしにとってかけがえのない方なのです。それに、お金は困っていないので結構です」


 メアは三人に対して毅然とした態度で言い放った。

 彼女の瞳には淑女の気品が宿っており、三人は一瞬狼狽えてしまう。


「……ったく、聞き分けの出来ねえアマだ! もう優しく接してやるのは止めだ! 無理矢理車に連れ込んで行くぞ!」


 イケメン男の言葉にチャラ男と御曹司は頷き、メアの腕を左右から掴もうとする。


「ちょい待ち。あんたら、あたしのツレをどこに連れてこうとしてんの?」


 その寸前で、ひばりが三人の男に怒りの表情を顕にして現れた。


「げっ、誰か来た……って、女かよ。思わずびびっちまった」

「この娘の友達か? 見た目はなんかビッチっぽいけど結構カワイーじゃん」


 チャラ男と御曹司はひばりが女だと気づくと、いやらしい目でジロジロとひばりの身体を舐め回すように見る。


「やあ、君はこの娘の友達だね? 今ちょうど、君の友達を俺らのパーティーに誘おうと思っていたところなんだが、君も一緒にどうだい?」

「はあ? 何それ誘ってんの? その程度のツラであたしをナンパしようって思ったワケ? ウケるんですけど」


 次の瞬間、ひばりの右拳がイケメン男の顔面に叩きつけられ、鼻っ柱を折られたイケメン男は彼方に吹っ飛んでいく。


「うわああああっ!」

「何だこの女!? 躊躇なく人を殴り飛ばしやがった!?」


 チャラ男と御曹司は仲間が飛んでいった様子を見て悲鳴をあげる。


「で? 次はどっちが先に殴られたい?」

「許してくれ! 出来心だったんだ!」

「お金ならいくらでもやるぜ!」

「まあ、どうせどっちも殴るんだけどさ」


「「んぎゃあああああああああああっ!」」


 夜の駅前に男たちの悲鳴が響き渡った。


「さて、あんたはどこにも怪我してない?」


 顔を散々凹まされて泣きながら退散した三人の男たちを尻目に見たひばりはメアに尋ねる。


「あ、ありがとうございます。……ですが、何故、わたくしを助けてくれたのですか? 失礼かもしれませんが、先輩はわたくしを見捨てると思っていました」

「見捨てても別に良かったよ。あの男たちについて行けば、あんたは今頃、どこかの山奥にでも連れ込まれて『ビッチ』にしてもらえたかもしれない。……だけど、あんたはあの三人に囲まれている時、嫌そうな顔をしていた。だから、助けた」


 ひばりは照れ臭そうに自分の頬を指で掻く。


「まあ、焦らなくてもいいんじゃね? 好きなタイプが自分でもわからないってことなら、あたしもあんたの初めてに相応しい相手を一緒に探してやるよ。その代わり、一億円はちゃんともらうから」


 メアはひばりの言葉や仕草から彼女の不器用な優しさを感じて一度だけ涙を零した。


「何だろう……このキモチ。なんだかあったかい……」


 自分に芽生えたそのキモチの正体が何なのか、まだこの頃のメアには知る由もなかった。

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