シュレディンガーの通学路
いずも
噴泥の見えざる手
通学路は廃線だった。
古びたレールの上を綱渡りみたいに進んで、朽ちた枕木を踏みしめ、乾いた音を聞くのが好きだった。
もちろん正規の通学路ではない。
小学生の頃は素直に決められた道だけを通って学校から帰ってきたが、中学生にもなれば学校の決まりなど破りたくなる年頃だ。
教師も住民も多少のことには目をつぶる。
若気の至りだと見て見ぬ振りをしてくれるし、ならばそれに応えるのも若者の使命だと思い上がってみたりもした。
その結果が敷かれたレールの上を歩くのだから、おかしな話だ。
といってもこれには明確な理由がある。
正規の通学路だとかなり遠回りになるのだ。
道中に川が流れているのだが、歩道付きの橋へ向かうには10分以上かけて迂回しなければならない。
それが廃線を渡れば、かなりの時間短縮になる。
橋だけ越えてすぐに道路に降りられるわけではないのでそのまま線路沿いに歩き続けることになるのだが、それでも十分早い。
何より楽しかった。
帰る方向が同じだった友人と二人で歩きながら、くだらないことで笑い合っていた。
通行禁止の看板を左右にすり抜けて、茂みの奥の真っ暗なトンネルを逃げるように駆け抜ける。
防音壁の隙間から川が見える場所では線路上に敷き詰められている石を投げては遊んでいた。
投げやすい石を選んでいたら同じ場所ばかり凹んでしまい、雨上がりには水たまりになっているのを見てまた笑う。
一人ではきっとこの廃線は使っていなかっただろう。
これは僕たちだけの、秘密の通学路なのだ。
かつてT駅は南北線と東西線の二つの路線が乗り入れている駅だった。
しかし過疎化により東西線は利用者が減少して、とうとう廃線となってしまった。
もう何十年も経過して、手入れも殆ど行われておらず草木も生い茂っている。
そんな東西線には恐ろしい怪談がある。
元々東西線が生まれたのは炭鉱に労働者を運ぶためのもので、地元の住人や労働者が政治家たちを説得してようやく開通までこぎつけたらしい。
しかし時代は流れ炭鉱は閉鎖され、赤字続きの路線を残す必要はないと廃線が決まったときも反対運動が巻き起こったらしい。
賛成派と反対派のそれぞれの過激派集団が殴り合いの騒動になり、重傷者を何人も出したという。
死者が出たなんて話もあるが、それは話を盛り上げるための嘘だろう。
当時の新聞を見たらわかるが、少なくとも騒動の際に死者は居ない。
そんな曰く付きの東西線。
かつての労働者たちの怒りと嘆きの怨念が今もさまよっていて、時々真夜中に幽霊列車としてこの廃線を通り過ぎるという。
その幽霊列車を見たものは呪われてしまう。
実際に目撃した者がどうなったのかは誰も知らない、というのがこの辺りでまことしやかに噂されている。
よくある都市伝説の類だ。
そんなこともあって、子供はもちろん大人だって不気味がって近づかないような場所なのだが、僕はその正体を知っている。
ここを秘密の通学路にするにあたって色々と調べた結果、どうやら定期的に貨物列車が通っているらしい。
防音壁や防音林によってその姿は殆ど見えないし、もっぱら深夜にしか使われないために気づく人間も居ないのだろう。
これは通ってみて気付いたことだが、普段は通行禁止の看板が立っているため廃線の方には入れないようになっているのだが、おそらく貨物列車が通る日だけその看板が退けられている。
だいたい三、四ヶ月に一度くらいだろうか。
そしてたまたまそれを目撃した人がいて、さらに面白おかしく広めた人によって都市伝説が出来上がってしまったのだろう。
なんだそんなことか、と一笑するような顛末だが、新たな都市伝説はこうやって生まれるのだろう。
ネットで調べればすぐわかると思うかもしれないが、片田舎の小さな噂の真相などはネットの片隅にも転がっていない。
地元住民にとって曰く付きとなれば、誰も近づきもしない。
つまり、秘密の通学路として使うには都合が良い。
それから数ヶ月経ち、夏休み気分もすっかり抜けきった秋口。
台風が町を襲った。
授業は午前中だけで途中下校となった。
集団下校で流石に秘密の通学路は使えなかった。
電車も運休が相次いでいるとニュースで流れ、地元の路線も対象になっていた。
しばらく雨の日が続き、秘密の通学路は使わなくなっていた。
それは雨だから、ではなく一緒に帰る友人がいなくなってしまったから。
台風で運悪く家が浸水してしまい、しばらく住めなくなったらしくおばあちゃんの家から通うことになったのだ。
ずいぶん遠くになったようで、今は親が送り迎えしているがもしかしたら電車通学になるかもしれないとのこと。
もしそうなってしまったら、一人で廃線を歩くことになる。
それはつまらない。
台風は僕から通学路を奪ったのだ。
台風が去ったある日のこと。
連日の雨で外で遊ぶことも出来ずにいたために、ようやく晴れたことで鬱憤を晴らすかのように部活後も皆で遊び回っていると、思っていた以上に早く空が暗くなる。
台風の季節になると日が暮れるのが早くなるものだが、僕たちはそれに気付かずつい遅くまで遊んでしまった。
早く帰らないと叱られる。
そんな思いから、暗いと危険だとはわかっていても廃線を通って近道するルートを選んだ。
ただでさえ街灯の少ない路地では線路沿いの道を登ったところで誰も気付かない。
まだ乾ききっていない枕木は踏みしめると呻き声のような音を鳴らし、蹴飛ばした石は水たまりの中に転がって水面を揺らした。
いつもの看板は台風の影響か、随分と離れた場所に吹き飛んでいた。
直そうかとも思ったが、今はそれより早く帰りたい気持ちが勝る。
看板を横目に秘密の通学路に踏み入れる。
かつて僕たちの、だった。
今は僕だけの通学路。
なんだかいつもと雰囲気が違う。
きっと雨上がりで空気がジメッとしているからだ。
きっと暗がりの道で不安を覚えているだけだ。
毎日通っていた通学路じゃないか。
楽しく通り抜けてった通学路じゃないか。
ああ。
やっぱり一人だと、つまらないな。
……もしかして、怖いのか。
そんなまさか。
中学生にもなってお化けが怖いなんて、笑われてしまう。
無音の空間に、砂利の擦れ合う音だけが響く。
流行歌でも口ずさみたいが、うまく出てこない。
何を焦っているんだ。
心拍数なんて上がっていない。
歩く速度もいつも通り。
息も切れていない。
砂利の音しか聞こえていない。
――真っ暗な世界に一人しか居ない。
いつものトンネルに差し掛かって、ようやくスマホのライトを使えば良いことに気付いた。
普段でも暗いトンネル内だ。
夜に通るなら、明かりくらい必要だ。
誰に言い訳するでもなく自分に言い聞かせ、トンネル内を進んでいく。
ああ、怖い。
正直に言う、怖いのだ。
一歩の足取りが重い。
入り口が遠くなり、引き返したい気持ちが増していく。
いつまで経っても出口は現れず、暗闇に取り残された気分。
落盤事故でも起きて生き埋めになったらどうしよう。
スマホを持つ手にも力が入る。
顔を上げる余裕もない。
足元ばかり見て、息を潜めて歩いていく。
途中で少し大きめの、平たいきれいな石を見つけた。
ああ、これは川で水切りするのに使えそうな良い形だ。
恐怖心が支配する世界で唯一の心の支えとなった。
拾い上げ、手に馴染ませる。
が、スマホを持つ手が疲れたのですぐに持ち替えた。
こいつは後のお楽しみだ。
これこそが生きる希望だ。
くだらないと思うかもしれない。
ただの石ころにそんな思いを寄せるなんて。
でも、そんなくだらないことで心が軽くなるのならそれで良いじゃないか。
自分に対する言い訳を繰り返す。
ほら、顔を上げたらもう出口だ。
鼓動は収まり、息も切れていない。
足だってもう震えていない。
……いつの間にか震えていて、いつの間にか震えが止まっていた。
さあ、もうそれほど終わりまで遠くない。
そう思いながら歩いていると、不意に防音林が揺れ、金切り声のような音が響き渡る。
心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
鳥か獣か、聞き慣れない鳴き声だったが、何かいてもおかしくはない。
再び恐怖心が呼び起こされる前に早く行こうと駆け足気味になるも、急な段差にバランスを崩して転んでしまう。
靴越しに水たまりの中に突っ込んだ足が濡れていく感覚。
足首を捻ったような痛みが襲い、受け身をとった両手もじぃんと痛みだす。
こんな生傷、小学生の時以来だ。
少し冷静になってようやく気付いた。
ここはちょうど川が見える位置だろう。
ということは、いつも投げ入れる石を拾って出来た穴だ。
自分たちで作った罠に、自ら嵌ったということか。
くそっ。
自分が情けない。
立ち上がろうにも指に力を入れるとそこら中の砂利を掴み、ごつごつとした断面が痛くてたまらない。
ああ、腹が立つ。
こうなると恐怖心より怒りが勝るものだ。
そうだ、ちょうどさっき拾った石があるじゃないか。
平たいそれを掴み、力任せに川に向かって投げ飛ばした。
跳ねることなく、水しぶきを上げて沈んでいった。
そりゃそうだ。
ああ、思いっきり腕を回したから余計と痛くなった。
そうして痛みが引くのを待っていると、今度は低い唸り声のようなものが聞こえ、地面から揺れを感じる。
台風の次は地震かと思っていると、遠くから光が漏れ出しているのが見えた。
洪水が押し寄せてくるような音。
金属がこすれるような音。
低音と高音が交互に響き、不協和音を奏でる。
ここでようやく、噂の幽霊列車のことを思い出した。
まるで信じていなかった自分だが、まさか本当に?
頭では否定しているはずが、体は恐怖に震えている。
早くここから逃げなくては。
そう思っていても、痛む体が言うことを聞いてくれない。
ああそうだ、スマホがあったじゃないか。
さっき転んでライトが消えてしまったが、まだ近くにあるはず。
どこに行った?
闇の中、手探りでスマホを探す。
落としたのはすぐ近くだと思ったのに、なかなか見つからない。
少しずつ目が慣れてくると同時に、耳も研ぎ澄まされていく。
列車が少しずつ近づいてきていることが嫌でもわかる。
もしも幽霊列車ならどちらにせよおしまいだ。
だけど貨物列車なら、スマホのライトをかざせば助かるかもしれない。
不思議なことに、こういうときほど冷静に判断できるものだ。
――あった!
僕は力いっぱいスマホを握りしめて腕を上げた。
その手に握られていたのは、ただの石ころだった。
シュレディンガーの通学路 いずも @tizumo
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