第6話

おとめ


怖がりで近江屋の女中頭のおとめの里は、千住を北に上った先にあって葱の畑を広げて潤った農家だ。

名前が「とめ」というのでも分かるように、十人の兄弟姉妹の末娘だ。とめの下にも実は末蔵という弟がいて結果「止め」では無かったのだが。

おとめが十二になる秋に、激しい嵐がありその後に雹まで降ったので、あらかたの作物がやられてしまった。

そこで家の野良仕事を手伝っていたおとめが、行儀見習いも兼ねて飛脚屋の近江屋へ奉公に上ることになった。

奉公して五年目を迎える年に、里から近隣の農家の長男への縁談が持ちかけられ、一旦里へ帰ってから嫁入りをすることになった。気働きも出来てまめまめしくよく働いたおとめの嫁入りの時、近江屋の女将さん、今のご隠居様が心尽くしのお道具を祝いに用意してくれた。


甲斐甲斐しく農家の嫁として努めたおとめだが、その結婚は長くは続かなかった。

亭主が、市場へ葱を下ろしに行ってそのまま出奔してしまったのだ。他に女が居たとも、賭場に入り浸りになったとも、大雨の降り始めた川に落ちたとも言われたが、行方はとんと分からず真相は闇の中だ。僅か六年、共に暮らした亭主だが、二人の間には子がいなかった。

亭主は気の弱いが働き者の長男で、思ったことをはっきりと言うおとめとは、正反対の様だった。だからか、二人の間に情が薄いと周りは思っている節があったが、おとめに何も言わず、理由も匂わせずに出て行くほどよそよそしい間柄では無かったとおとめは信じている。行方知れずの原因が、おとめに有るのではと噂する周りの者に対しておとめは、腹が煮え繰り返る思いだった。

手掛かりも何も見つからずに一年が過ぎようとしていた時のことだ。亭主には二つ下の弟がおり、兄が行方知れずのままならば、人別に跡取りとして弟を届け出た方が良いのではという話になり、おとめはその家を出る事に決めた。

兄を人別から外すので、弟に嫁ぐという話も出たが、丁重にお断りをして、離縁してもらった。

実家に帰ることも出来たが、出戻りはやはり居心地が悪いのは目に見えている。近江屋に頼んで下働きでも構わないので、「働かせて下さい」と文を出したところ、店を大きくするので奥の者をちょうど増やそうと考えていたと先代から、「戻っておいで」という返事をもらった。

その時おとめは、此の先はずっと近江屋の元で骨身を惜しまず働こうと心に誓い、先代の時分から長年近江屋に仕えて、今では女中頭にまでなっているのだった。

そういう訳で、実家には出戻らなかったおとめだが、おとめの実家はみんな気の良い大らかな性格で、何年かに一度おとめが薮入りの時に戻ると歓待してくれる。

長兄の嫁のせつともおとめは気が合って時折文と共に、日本橋で流行っている匂い袋などを送ってやる。すると、山ほどの菜っ葉が届いたりする事も毎度のことだ。

そんな実家におとめは足掛け三年ぶりに帰るのだ。

張り切るおとめを横目に見ながら、駕籠に揺られてご隠居様はニコニコとしている。実は妖物の見えないご隠居様には今回出番はさして無いのだが、久しぶりの遠出で楽しそうだ。


店が見えなくなって暫くすると、駕籠かきに先に用事が出来たので、千住とは逆方向に折れて、まずは神田明神下に行っておくれと頼む。そこで白狐と合流して、神田川から船に乗る手筈だ。

明日は、墨田の川開きで花火が上がる。そのせいで、なんとなく川はそわそわと落ち着きが無い。そんな混乱に乗じて獺達を新川へ遡上させようという作戦だった。

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