第4話
近江屋の奥座敷、内藤新宿から帰って来てことの次第を話し終えた心太に、
「で、私にどうして欲しいっていう相談なのかえ」カンッと煙管を打ちすえて、ご隠居様は嬉しそうに心太の顔を覗き込む。
妖の類の気配すら感じる事の出来ない御隠居様は、一体全体何が出来るのか見当もつかないつかない。
そこで、心太はもう一度情なく頭を掻いて、
「へい、頼まれた内容は何とか理解出来たんですが、どんな手立てで獺を運んだら良いものか見当もつかないので、是非一つ知恵をお貸して頂けたらと、はい、お願いに上がったんです。」
心太は、深い溜息と共に項垂れる。
ふむと、ご隠居様は目を閉じて暫く考え込んでから、
「とりあえず和尚様のところにでも、お茶を飲みに行くことにしようかね。」と立ち上がっておとめを呼んだ。
クワバラ桑原と口で唱えながら寺まで付いて来たおとめは、お墓を掃除してまいりますと早々と退散して行った。
獺の宿移りを手伝って欲しいと頼まれた事を、
「和尚様、どうしたもんでしょうか。」と心太が説明を終えると、
和尚は、ご隠居様に向き直って「お考えが有るのでしょうから、一つお聞かせ下さい。」と柔和な笑顔で促した。
「ほほほ、そうですねぇ。獺というものがどういったものか、よくは知りませんがね、水の中に暮らすものならば、川を泳いで降ってくれば良いだけの話じゃ無いかとも思うですがねぇ。そうもいかないでしょうか。」
「確かに、どうなんだ心太。」
「どうやら、何処に新しい川が出来たのかを知らない様子でした。」
「なるほど。」
「となると、絵図ですかね。絵図を買って渡してやれば行き着けるでしょうか。」と心太が言うと、
「川の中から泳いででは、人の描いた絵図で今何処に居るのか見当をつけるのは、至難の業でないかねぇ。」と御隠居様が応える。
うぅむと三人は暫く黙り込んでしまった。
パチリと扇子を鳴らして和尚が沈黙を破る様に、
「この手はどうじゃな。」とニヤリとした。
得意げな笑みを浮かべて和尚が提案したのは、一本の木を川へ浮かべてそれを追って大川まで一気に下り、その後獺をで風呂船に乗せて新川に運ぶというのだ。
風呂船とは、読んで字のごとく船の移動銭湯である。風呂に入れない旅人や、仕事終わりの人足が便利に船の上で水浴びしていたものが発展して、浴槽を設えて移動銭湯にしたのだ。つまり湯船である。
そいつはいい、と心太もご隠居さまもにこやかにうなづき合う。
しかし、船の仕立代はどうするのか、誰かが言えば、船頭に獺と気付かせせぬ手立てはあるのかと誰かが問う。獺の主は妖なので人に化けることも出来ようが、他の獺達は化けることなど出来ない。
そして毛だらけになった浴槽を思い浮かべただけで、あぁと三人から大きなため息が漏れた。
和尚の思い付きは、見事に散ってしまった。
そこへおとめが、
「ご隠居様そろそろお暇しませんと、日が暮れてしまいます」と声を掛けたのでとりあえず今日はお開きにして、それぞれ知恵を絞ってみることにした。
帰り道、ご隠居様は行きより一回り小さくなった気がすると心太は思い、つまらぬ相談をしてしまったと反省した。
柳越しに掘割を見るともなく見ると、どこの材木屋に運ぶのか、丸太を筏に組んだものを器用に川並が長い竿を立てて流れていく。
いつ見ても、心が躍る景色だと心太はちょっと足を止めて見入っていると、横でおとめが
「川並の竿さばきには、何度見ても見惚れちまうねぇ」と珍しく甘やかな声を出す。
すると、「あれだね」とご隠居様の張った声が耳元で聞こえた。
心太が、首を捻って御隠居様の方にに振り返ると、その顔に悪戯を仕掛ける時のニヤリとした笑みが浮かんでいる。
心太は、その顔見て何故かホッとする思いがした。
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