第3話

川に住むものの話


ザワザワと人が大勢いる気配がして、三味線や太鼓の音も微かに聞こえる。

噂に聞いた夜の内藤新宿は流石に繁華な場所なのだなぁと、夜に街に出ることのない心太は、興味津々で重く疲れた身体がわずかに軽やかになったようで、たったったと足音高く走って行く。

しかし道幅はどんどん細くなっている様だ。

明るさが増すことに励まされて進むと、一気に開けた場所に辿り着いた。すると、、、音が止み先程まで明るく照らされていた空が闇になる。先程あんなに明るく照っていた月も雲に隠れたしまっていた。

心太は、はたと立ち止まり、闇に目を慣らそうとぎゅっと目を瞑って十数える間に気を落ちつかさねばと思う。

数をかぞえながら、心太の心の臓はばくばくと高鳴り、ゾワゾワと虫が走るような感覚が肩から耳に駆け上がる。きっとこれは妖の仕業であろうと心太は思い当たる。どう切り抜けるか、胸算段をしながら、こちらの心細さを見せてはならぬと腹に力を込めて目を開けようとすると、すぅっと微かな風が首の辺りを撫でると肩の辺りがグイと重くなった。

「良かったよぉ、あのお守りをあの家に落として来て。」

聞き覚えのある女の声が心太の心に直接語りかけて来たので、腰の辺りを手探った。どうやら善左衛門の兄嫁になじられて慌てた時に、以前徳寿院の和尚様に頂いたお守りを落としてしまったらしい。急に心細さが募り寒気に身体縮こまるなか、はたと耳元で囁いた声は火除け地稲荷の白狐だと気付く。なんとか平静を装って脚を踏ん張ると

「やっぱり着いてきて良かったよ。今はさ、私を追い払わないようにおし。きっと役に立ってあげるからさ。まずは、心を落ち着けてよおく前を目を凝らして見てご覧。ふふふ」と何やら面白がっている気配を漂わせて白狐が囁き掛けてきた。

心太は、白狐の言葉を飲み込んでから、一つ大きく息を吐き目を開く。すると、雲の切れ間から覗いた満月に照らされた川面に、沢山の頭が一心に心太を見つめていた。

川岸に一際大きなが獣が膝を揃えて頭を下げている。

心太は、見たこともない獣に一歩後退ったが、堪えてそこに立ち尽くした。


むぅっと獣の臭いが心太の鼻をつく。歯を食いしばって平常心を装うと、

「これはまたお若い衆が参りましたね。」と嗄れた声が頭から降ってくるように響く。そして目の前に居る獣が心太を舐め回すように眺めてから、

「飛んだご面倒だとは思いますが、あなた様にお願いが有り、ご足労願った次第です。」

主であろうその大きな獣が、ぬたりと湿った粘りつくような話し方で語りだした。



私どもはこの川に住む獺でございます。はて、何年この川に居りましょうか、いつの間にやら私は、こんな成りになってしまいました。今では舟も使わず対岸に行くことが出来るほど狭く小さな流れになってしまいましたが、昔はそれはそれは大きな流れをもつ川であったのです。魚も豊富、我らの住処も選び放題。良い時代でありました。しかし今はご覧の通り、白い石ばかりが目立つ河原だけが広い小川でございます。

それでも各々の縄張りを決め、どうにか暮らしておったのですが、仲間も増え遂にこれ以上此処に居ったのでは争いが起きかねない始末でして、どうしたものかと悩んでいたところ、江戸の殿様が新しい川を造ったという話が耳に入りました。

新しい川ならば、先住の者達も居らぬだろうと、浅知恵を働かせまして我らを二つに分けその新しい河へ行く事を思い付きました。

しかしながら、何せ外の世界を知らぬ畜生に御座います。何方かに先導を取っていただきたいと考えまして、まずは私どもの話を聴いて頂ける御仁を探す事になりました。そこで、ちょいと仕掛けを張っていたのでございます。そしてやってこられたのが、貴方様だという訳に御座います。


つまり、心太はその罠に掛かってここまでやって来たことになる。


「てことは、なにかい善左衛門の話のところから作り話、さっき寄った善左衛門の家の者達も獺という訳なのかい。」と怪訝な様子で心太は、聞き返した。

薄く笑って主は答えた。

「いえいえ、そこまでは。」

どうやら善左衛門を妖術でけしかけて江戸へ行かせたと言う事らしい。

妖の話を聞ける心太に白羽の矢が刺さり、手繰り寄せられるようにこの河原までやってきたのだ。

話を聴いてやる義理は無い。しかし川獺たちの切実な眼差しに負けて心太は、とりあえず話だけと断りを入れて聴くことにする。それを横で白狐が低く笑い

「お人好しだねぇ」と呟いた。



「夢を見たってぇ、そう思ったのかい。」

「ええ、そうとしか思えなかったんです。」

頭に手をやって恥じ入る心太を見やり、ずずぅと茶を飲んでからご隠居様が、

「でも違ったと言うことなんだね。」

と先回りして嬉しそうに言った。


次の朝知らぬ間に、内藤新宿の定宿伊勢屋の二階で寝入っていた心太を太平が、

「おい、起きろ。」と揺り動かしたのは、宿の下階から飯の炊き上がる匂いが立ち込めて来る頃だった。

「おめぃいつの間に戻って来た。なんでぇ足袋も脱がずに寝ていやがるんだぁ。」

寝ぼけ眼の心太を矢継ぎ早に問い質している太平の顔を、心太は安堵しながら見つめていた。

「あぁ良かった夢だったんだぁ」

太い溜息をついて呟くと、

「なに寝ぼけていやがるんでぃ。とっとと身支度して飯食いに行くぞ。」

太平は、心太が夜中に帰って来たことには、気に留めていない様な振る舞いで、ドタドタと下へ降りて行ってしまった。

太平は、昨夜心太戻って来ないので様子を見に外に出たが、ちょいと内藤新宿の繁華街を、ふらりと歩いて回っているかと冷やかしているうちに悪所に足を踏み入れて、運試しにとサイコロに掛けて薄く儲けたゼニを握って白粉の匂いをさせて帰って来たのだ。

酩酊に近い状態で、心太が帰って来てない事を確かめると心太の無事よりも、返って自分の悪業がバレないで済んだと喜んで、ばたんきゅうと寝入ってしまった。

朝になって心太が横に寝ているのを見て、太平は実は大いにホッとしたのだ。もし、心太が帰って来ていなかったらと思うと背筋が震える思いをした。

それを振り払うように、飯だ飯だと声を張ったのだった。


明けきらぬうちに二人が、宿を出ると最初の辻のところに、見たことのある旅姿の女が、大男を従え目を細めて心太達を見つめていた。

心太は、一瞬固まって膝から崩れ堕ちそうなくらい体から力が流れ出していくのを感じた。

太平に言っても詮無いことだ、きっと太平にはあの2人いや、二匹は見えぬのでだろうから。

笠の紐を結び直す振りをして、もう一度辻に立つ二人に目線を投げると、コクリと頷いて白狐が付いてい行くのでさぁ行ってとばかりに顎をあげたので、心太は観念して距離が出来た太平の背を小走りに追いかけた。

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