第2話
善左衛門の郷へ文を運ぶ
夕餉の後の店の誰もが一息ついてゆるりとしている時分に、おとめが炊事場に行ったのを確かめて、ちょっと来ておくれと心太を離れに呼んで、ご隠居様は昼の顛末を聞かせておくれとねだった。
おとめから聞いたところを軽く端折らせて、その後どうなったんだぇと聴くと、
「まぁ、騙りに有ったのだろうということになって、親分さんが番屋にとりあえず連れて行くことになったんですがね、」と心太は苦虫を噛んだような顔をしてフッと息を吐く。
「このまま郷に帰ったんじゃ生き恥だ、ここで腹を切るとか言い出しまして、店はてんやわんやの大騒ぎだったんですよ。」
御隠居様は一度大きく目を見開いてから、ふぅと息を吐くように
「確かにね、士分てぇのは厄介だ。」と肩を落とす。
それでも、取り敢えず場数を踏んだ親分がいなして、番屋に連れて行く事にした。近頃この手口が横行しているので取り調べをして報告書をお上に書かねばならぬ。
親分は、いつもよりだいぶ柔和な声を出して、
「善左衛門様、是非それに手を貸して下さいまし。お上のお役にたって下さい。お家に傷が残るようには致しません。」と言って、どうにか善左衛門に納得させた。郷には親分から文を書くことで落ち着いたそうだ。
忘れないようにと、騙り者の田名部の似顔絵も、案外絵の上手い番頭さんが特徴を聞きながら描いて持って行った。その絵には家紋も書き付けてある。家紋入りの羽織は、どうせ古手だろうから手掛かりにはなるまいが、一応調べてみると親分は言っていた。関八州の役人にも手を打ってもらわねば成らぬだろう。飛んだお荷物を抱えてしまったと親分は、頭を抱えたが、善右衛門はこの機に江戸見物でもしていけばよいではないかと哀れんだ飛脚達に宥められたので、先程とは打って変わってどこと無く浮かれた様子で善左衛門は、
「お騒がさせ申した。」と頭を下げて出て行った。
「取り敢えず収まったんだね。うちの店に厄介は無いんなら良かったよ。」
とホッとして呟くと
「それがぁ、行きががり上善右衛門殿の家に届ける文をうちが受け持つ事になりまして、あちらで厄介な事にならねば良いがと番頭さんが心配しておりやす。」
と後々自分がその手紙を持って行く事になるとも知らず、心太も心配そうな声を出した。
近頃江戸近在では、士官の口を持ちかけ金を霞とる騙りが流行っていると瓦版が取り上げたのは、善右衛門が来た翌々日だ。
騙りの手口は、上手く作られていて今どき闕所や、お取り潰しの話は有ってもそうそう雇い入れの話は無いところだが、狩場や天領の荘園での警護と手入れの者を雇い入れると言うのだ。百姓でも町侍でも事が足りぬ、丁度おぬしのような郷士の者こそ相応しい。私が上役に話を付けると言って支度金を巻き上げるのだ。
江戸表まで来なくて良い、知らせがあったら真っ直ぐ持ち場に行くように言って、知らせをジリジリと待たせる。
知らせはもちろんやってこない。
騙された気付く頃には、田植えだ雪掻きだと何かと忙しくなり、周りの者に知られるのも憚れるので有耶無耶になる。
ギリギリと奥歯が鳴るくらい悔しいが、取られた金が無いと没落しない程度の潤っていそうな、体面を気にする家を狙う。
江戸までやってきて、大仰にしたのは善右衛門くらいの様だが、噂になるくらいチラホラと聞こえてくる話だと、かなりの家が騙りにあっているようだ。
そうなると、お上としても放っておくわけにもいかない。善左衛門の話を報告書にあげて、関八洲の役人が取り締まる事になるだろう。
善右衛門は、風呂に入って月代を剃ったら風采も上がって、聞けばまだ三十五だと言うのだ。見た目では歳は分からぬものだ。
怒りっぽく、見た目も老けた善右衛門は、家でも持て余し気味の御仁だったのだろう。士官の口が決まれば、嫁も取れて家族も一息つけるというものだ。そこを付け入られた。さっぱりした善左衛門は、急いで帰るという素振りも見せず、どちらかと言うと帰りたくないのではと疑いたくなる様子で、暫くは親分の居酒屋をやっている家に居候をして、江戸の街を見物することになり浮かれているようだ。
そして在所に善右衛門が帰る前に親分が苦労して書いた文を近江屋は、行き掛かり上持って行くのだ。これは、お足の出ないタダ働きなので、高井戸まで行く太平に修行がてら付いて行き内藤新宿で分かれて心太が届けるとなった。
中野宿を出て暫く行った街道筋の茶店で聞くと善右衛門の家は、すぐにわかるほどの立派な家であった。
文を読んだ老いた善右衛門の両親は、落胆の顔を見せる。母御は涙を滲ませて俯く、心太はどうにも申し訳ない気になったので、今回のしくじりは、近頃流行りの騙りだった事を瓦版を見せて説明し、捜索に手を貸した善右衛門の手柄話しもしてやったりもした。それで思ったより時が掛かってしまった。お暇致しますと腰を上げた時に、野良仕事から帰ってきた兄嫁に再度の説明をすると、聞いたそばから癇癪を起こして
「冷や飯食いに三両もの金を使ったんだ、それを返してもらわねば理に合わない。」と心太に理不尽な文句を言って迫って来た。なんとか言い訳をして兄嫁を振り切って帰途に着いたにものの、内藤新宿に着く頃には、月も高く上がる頃になってしまうだろう。
これはしくじった。
心太は、内藤新宿まで兄貴分の太平と来たが、甲州街道を行く太平と別れて一人青梅街道を善左衛門の家へと向かった。二人とも夕刻には、内藤新宿まで戻る算段で定宿の伊勢屋で落ち合う事にしていたのだ。日暮れ前に辿り着かなければ、太平に心配を掛けてしまう。
中野宿まで来ると、夕陽に照らされた街道沿いの宿で客引が大きな声で呼ばっている。
客引き達は、心太にさっと眼を向けると構ってられないと次の客に目線おくる。
それ程心太は見た目が子供なので、相手にもされない。夜が更けたからといって一人で泊まるにも憚られ、あと一息だと空いた腹を抱えて直向きに走る。
しかし、宿場を抜けると犬場であった原っぱか広がっており、薄暗くなった街道を歩いているものも居らず心細い事この上ない。野犬に襲われやしないかしないかと怯えながら提灯に火を入れて、街道をひた走る。空に満月の月が出始めたのだけがありがたかった。
分かれ道になっている所で立ち止まると、左の先がぽぅっとほの明るい。
やっと新宿の常夜灯が見えてきたのだと心太は、「助かった」と声を出して道標も見ずに足を早めた。
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