第9話 公爵令嬢、シルヴィア・セプテンバーの話・8
小会議室へ通されると、困ったように微笑むノア様が奥の席に座っていた。義理の孫娘として、申し訳ない気持ちになりながら、深く頭を下げる。他の者も、私に倣った。
「だいたいの話は聞かせてもらったよ。ひとつ言える事は、私の可愛い孫娘に手を出そうとした子爵家のバカ息子は、たとえ命が助かったとしても、この先学園に戻ってくる事はないし、一生、牢屋暮らしとなる」
冷たい目を男子生徒達に向けながら、ノア様は淡々と告げた。筆頭公爵家の嫁に手を出そうとしたのだ。当然の報いである。ただ、いつも穏やかなノア様のこんな姿に、令息達は体を小刻みに震わせ、真っ青になっていた。
「ノア様……」
「シルヴィア、怖かっただろう? ただ、やり方に少し無理があったように思えるよ。なにも、君が自ら怖い思いをする事はなかった」
「はい。事を急ぎすぎました。学園を騒がせてしまった罰は、きちんとお受け致します」
「いや……まあ、学園からはね、罰を与える事はやめておこう。何故なら、君は、きっとハリーから……」
「え?」
その時、大きな足音が、部屋から遠いところから聞こえてきた。カツカツと、決して乱れる事のない足音は、どんどんこの部屋に向かっている。顎の下で手を組んでいるノア様を見た。眉を下げ、申し訳なさそうな顔をしている。嫌な予感がした。
「失礼します」
ノックとともに入室したのは、ハリーだった。顔からは表情を失くしている。こんな顔は、今まで見た事がない。
「ハ……ハリー、あの……」
「学園長、我が婚約者を迎えに参りました」
ハリーと視線が合わない。私の存在を無視するかのように、ノア様だけを見ていた。
「ああ、ハリー、大変申し訳ない事をした。きみの大切な未来の妻を預かっている家族としてとともに、学園長として謝罪するよ」
「……いえ……お爺様から謝罪されるようなことではありません。大まかに話は聞きました。怖い思いをしたのは、自業自得とも言える」
「ハリー? 怒るのはわかるが、シルヴィアが怖い思いをしたのは事実なんだよ? どうか、あまりキツい言い方は……」
「いや、このクソガキは、痛い目をみないとわからないのです。これからの事は、未来の夫婦の問題。今日はこれで失礼します。いくぞ、クソガキ」
「ちょ……クソガキって……」
文句を言おうとして、失敗した。首の後ろを捕まえられて、猫のように持ち上げられたからだ。足をバタつかせて抵抗するが、どんな持ち方をしているのか、ハリーは難なく歩き出した。しかし、扉の前でふと立ち止まる。
「この、俺の、婚約者だ。次は、ないぞ」
ハリーの表情は見えない。その顔は、男子生徒達の方を向いていた。温度を感じられない声は、そんなに大きくないのに、妙に室内に響いた。
カチカチと、何かの音がする。それは次第に、いくつも重ねて聞こえてきた。ピシャという水音に床を見ると、男子生徒達の足元に、水たまりが出来ている。え、と思って全員の顔を見ると、真っ青になっていた。小刻みに震えながら、自らを抱き締め、ふっと白目をむいて全員がその場に倒れた。
「え……どういう……」
「では学園長、失礼しました」
何が起きたのか理解が追いつかず、困惑しているうちに、ハリーは私を部屋の外へ連れ出した。一旦おろされてホっとしていると、今度は荷物のように担ぎ上げられた。
「え、ちょっと? 何を……ぎゃああ!」
「口を閉じてろ。舌を噛むぞ」
「舌ッ……いや、なんッ……でぃ! んぐうう!」
「俺は警告したぞ。舌を噛む、と」
警告とは、呪いの言葉なのではないだろうか。ハリーの予言したとおりに舌を噛み、酷い痛みに悶えた。
屋敷に戻ると、使用人達が慌てて出迎えてくれた。学園からの連絡が、こちらにも届いていたらしい。メイド達は涙を流して私を気遣ってくれたし、執事達は、憤ってくれた。それは有難いのだが、まずは、この状況をなんとかしてもらいたかった。いまだに私は、ハリーに担がれたままだったのだ。
「そろそろ、自分の足で歩きたいんだけど」
「却下だ」
そのまま、私の部屋に向かう。結婚前とはいえ、既に同棲している二人なので、ハリーは部屋に入ると扉を閉めきり、中には二人きりになった。ベッドの上におろされる。見上げると、ハリーは横を向いていた。
「どうして、そんなに怒るの? 私、あの男に狙われてたのよ? それを撃退しただけなのに……」
「…………なんで、必要以上に煽った?」
「それは……」
「お前は、わざと奴を煽り、決定的な言動を起こさせようとした。そうすれば、奴を葬る大義名分も出来る。お前自身の手で、解決できるとでも思ったか? 狙われているならば、今日は裏の通り道など使わず、正門から馬車を使い、いつもよりも多目に護衛をつけて帰るべきだった。屋敷へ戻り、俺の帰りを待って、相談するだけで良かったんだ。話の通じない馬鹿に追い掛け回されているからなんとかしてくれ、と。お前一人で焦る必要など、なかった」
ハリーの言う事は、至極もっともだ。だが、猶予がなかった。私の勘が告げていた。今日なんとかしなければ、明日はないと。あの子爵家令息は、妙な魔法を使う。違和感を誰にも悟られず通路を他の生徒が歩かないようにする事など、よほど複雑な魔法を使わないと無理だ。それを容易に可能にしてしまう能力。王太子には効力がなかったが、それは大変恐ろしいものだ。あの生徒の行為は、一気にエスカレートしそうに見えた。だから、早期に決着をつけたかったのだ。
「時間がなかったの」
「……時間?」
「あのタイミングで決着をつけなかったら、帰りに馬車を襲われて、私、今頃犯されてたかもしれないわ。貴方に捧げる筈の純潔を奪われて、それを苦に自死していたかもしれない」
「…………」
「私の勘は当たるのよ。だから、私は謝らないわ。反省だってしない」
「お前…………泣きながら意地を張るのやめろよな」
「意地を張ってるわけじゃないし!」
ぼろぼろと零れる私の涙を見て、ハリーは慌てて駆け寄ってくれた。ベッドの隣に腰掛け、温かい手の平で顔を拭ってくれる。相変わらずの子供扱いだ。でも、ちゃんと目を合わせてくれた。学園から、ずっと目を逸らされていて、今、初めて目が合う。
「怖かったんだろ? 無茶しやがって」
「怖かったに決まってるわ! あいつ……私の純潔を奪うって……純潔を……うッ、うわあああん! やっぱり殺してやればよかったああ! 一ミリ刻みに切り刻んで、足の爪先から十センチずつ、ぐつぐつ煮立った油に順繰り浸してじわじわと苦しませながら殺してやりた……」
「……お前は俺の影響を受け過ぎたのか、ちょっと過激だな」
「何を言ってるの? そんなんじゃ気がすまないんだから! 四肢を四頭の牛に括り付けて、四方にゆっくりと歩かせてやりたいわ! 馬に引かせるよりも、じわじわと! 一気になんて片をつけてやらないんだから!」
「こっわ……」
少し引き気味のハリーに抱きついた。すっかり怒りは解けたらしい。柔らかく抱き返してくれる。頭にキスをしてくれる。しかし、これだけ甘々な私達ではあるが、何かが足りないのである。不足分については、私にはもうわかっていた。
少し身体を離し、上目使いでハリーを見詰めた。サファイアの君である私が努めて可愛らしさを演出したというのに、その相手は、訝しげに眉を顰めた。思っていた反応と違う。長い間一緒にいるから、免疫がついているのだろうか。いや、この人は、昔からこうだ。瞳に欲望を孕んだ事がない。どんなに迫っても、だ。もしかして実は嫌われている? いや、誰よりも大切にされているのは、理解している。だったら、女は度胸だ。
ハリーの胸を押した。不思議そうな顔をして、仰向けに倒れていく。その腹の上に跨ると、眉間に深い皺が寄った。
「ハリー、今夜、私の純潔を奪って!」
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