第8話 公爵令嬢、シルヴィア・セプテンバーの話・7



「十も年上の男と婚約させられているなんて、貴女はなんて可哀想な方なんだ。この国は、恋愛結婚を推奨している国。筆頭公爵家だかなんだか知らないが、そんな強制的にさせられた婚約など、破棄してしまうべきだ!」



 入学早々、絡まれた。


 目の前で熱く語っているのは、どこぞの子爵家の嫡男なのだとか。サファイアの君枠で特別に許可された護衛の女性騎士が、そっと耳打ちしてくれた。強制的にさせられた婚約など、人聞きの悪い。寧ろ私の方から半強制的に結ばせた婚約だし、なんなら、当初は、相手は五十も年上の男のつもりだった。


「聞いた事も無い子爵家の方が、何の御用かしら。本来ならば、わたくしの方から声をかけない限り、話しかける資格などない筈なのですが、聞き捨てならない事を仰ったようなので、特別に発言を許しますわ」


「…………うッ……」


 意図的に、冷たい微笑みを作り、冷酷に告げた。家族やハリーの前では本来の甘えん坊な私であるが、関係ない相手の前では貴族令嬢として振る舞う事も出来るのだ。眉間にわざとらしく皺を寄せ、笑いたくもないのに微笑んでやっているのよという雰囲気を作り、口元は扇子で隠した。


「わたくしが可哀想との事でしたかしら? わたくしの、何を御存知だというのです?」

「そッ、それは、だって、そうでしょう? 貴女ほど美しい女性が、何故、歳の離れた相手に嫁がねばならないのですか?」

「何故とは? 幼い時に、わたくし自ら選んだ相手ですが?」

「…………え……」

「そして、例えばわたくしが婚約破棄をしたとして、まさか、御自分がその代わりに婚約しようなどとお考えではありませんわよね? 国内でも一、二を争う人気の男性と婚約している私を可哀想というぐらいですから、私と同じ年齢の、美形で優秀で性格の良い、どこかの王族でも紹介してくださるおつもり?」

「…………そ、れは……俺は……ただ……貴女が、可哀想……と……」

「自分が心底愛している方に娶ってもらえる予定なのに、可哀想と思われるのは、さすがにわたくしも不愉快ですわねぇ」

「俺は……俺は……」

「余計なお世話という言葉、御存知でして?」


 正義の味方ぶって、この私に声をかけてきた目の前の男性。この男は、正義の味方じゃなくて、自分勝手なだけ。この美しい私を捕まえたくて、身の程も知らずに声をかけてきたのだ。本当に気持ち悪い。正規の手順を踏んでアピールしてくるならまだしも、私の行く手を阻むように立ち塞がり、自分勝手な意見を述べてくるなど、問題外だ。まあ、正規の手順を踏もうが踏むまいが、私がハリーから離れる事は未来永劫ないけれども。


「そのくらいにしておいた方がいい。レディ・シルヴィア」


 声のした方を見ると、見目麗しい男性が立っていた。私のすぐ後ろで、小さな舌打ちが聞こえる。やめて。不敬罪になるから。恐る恐る振り返ると、護衛のフィオラが、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。彼を苦手とするらしい。


「これはこれは、王太子殿下。ごきげんよう。それはそうと、余計な事に首を突っ込まれますと、痛い目みますよ? そのくらいは、お花畑の住人の殿下でもわかるとは思いますけれど」

「おやおや、シルヴィア公爵令嬢は、相変わらず辛辣で、絶対零度の冷やかさだね。ノーベンバー伯爵への蕩けるような笑顔が嘘のようだ」

「彼は特別ですもの」

 アレッサンドロ王太子殿下は、級友だ。貴族の中でも身分の差はある。階級ごとに、クラス分けされているのだ。

「きみは本当にブレないね。もう十年も、ずっと彼にベタ惚れだ」

「ええ。愛していますから」

「聞いていたかい、そこの君。お願いだから彼女をこれ以上怒らせないでくれ。私も、同じ学園の生徒は守りたいが、度を越すと、守る事ができなくなる」


 王太子殿下が声をかけると、先ほどの子爵令息は何やらブツブツ言いながら、走り去った。すると、それまで誰もいなかった廊下を、生徒達が通り始める。とてつもない違和感だった。普通に人通りの多い学園の廊下に、王太子殿下が現れるまで私達三人しかいなかったのだ。あの子爵令息が何かを仕掛けていたのだろう。


「私達は、王太子殿下に助けられたのでしょうか」

「……そういう事になるかもね。あの生徒、意図的にこの廊下に誰も来られないような魔法を使っていた。一般人が許可なく魔法を使う事は、法律で禁じられているのだが。これは、後ほど処分が必要だな。まあ、どんな魔法も、私には通じないけどね」

「……ありがとうございました。フィオラの事も危険に晒してしまうところでした」

「うん。そこはホント気を付けてね」

 フィオラは王太子殿下が苦手だが、王太子殿下はフィオラがお気に入りだ。誰にでも優しい王太子殿下は、殊更優しくしているフィオラに笑顔を向けたが、さっと躱されてしまった。その途端、しゅんとしてしまう。どうやら、フィオラに本気だというのは、本当らしい。嫉妬深い婚約者がおられる身だというのに、嘆かわしい事だ。

「入学早々、面倒なことに巻き込まれそうな予感ですわ」

「私からも学園長に報告しておくよ。貴女も、気を付けて欲しい。サファイアの君を攫おうとしている輩は、あんな小物一人ではないよ」

「筆頭公爵家の嫡男の婚約者を攫おうと考えるなんて、その家ごと完膚なきまでに叩き潰して、出来た粉でパンでも作るしかありませんわね。家畜の餌で十分かしら」

「相変わらず過激だ。サファイアの君には、それだけ価値があるって事だよ。どうか気を付けて欲しい」

 王太子殿下は、そう言って、背を向けた。



王太子殿下がああ言ったのだ。学園内での安全は保障されただろう。あとは、行き帰りの道程の安全確保をしっかりしないといけない。そうはいっても、短い距離だ。学園の裏手に回り、木々の間を抜ける。その通路でさえも、学園の案内には載っていない。私専用の出入口だからだ。門扉が見えてきた辺りで、フィオラが口を開いた。


「学園の裏手に回るという行為が、かなり危険だと思うのですが」


 人気のない場所に女性二人で移動する。たしかに、誰かに尾行されたら、大変危険な行為である。更に、木々の間に入って行くのだ。建物から離れれば、誰かに声が届く事もなくなる。


「そうなのよね。だから、それを逆手にとれないかしらと思って」

「逆手に?」

「だから、学園の裏手に回るという行為が、危険な行為になればいいって事でしょ? 私以外の生徒達にとって」

「はい?」

「私への悪意や、邪な好意を持った人間がこの場所に来ると、恐ろしい目にあうっていう噂はどうかしら? ちょうどよい事に、私に危害を加えようとしている人物と、目撃者達が揃ってるようだし?」

「え」


 振り返る。先程の子爵令息と、その後ろに、気まり悪そうにしている貴族令息達がいた。恐らく、後ろにいるのは、子爵令息よりも身分の低い貴族達なのだろう。帰りたそうにしているのがありありとわかる。


「なんと言われようと、俺は、貴女が欲しい!」


「あらあら、フィオラ、お聞きになりまして? 子爵家の息子ごときが、公爵家のわたくしを欲しいなどと血迷った事を仰っているわよ」

「見損なったぞ、シルヴィア・セプテンバー! 身分が上だの下だの、心の狭い貴族と同じではないか!」

「わたくしの名前を軽々しく口にしないで下さる? 心が狭くて結構。見損なったのならば、発情した犬のように尻を追いかけまわすのは、遠慮して下さいませ」

「は、発情!? そうか、そこまで言うか。ならば、発情した犬として、俺が貴女を襲い、純潔を奪ってやる! そうしたら、今みたいな涼しい顔をして公爵家に嫁入りするだの言えなくなる!」


 ぶわりと肌が粟立った。


「…………クソが…………」


 男性陣が、目を見張る。公爵令嬢がそんな汚い口をきくとは、思ってもみなかったのだろう。フィオラは、平然と立っていた。私の口の悪さには慣れている。怒りが頂点に達した時の私は、ハリーが乗り移ったかのように、口が悪くなるのだ。

 男に向けて手を翳した。あ、と護衛のフィオラが声を出した時には、私の手から放たれた業火の攻撃魔法が、男の股間を燃やしていた。ほんの一瞬の出来事。誰もが、何が起こったのか理解していなかった。が、次の瞬間。


「ふぐッ、ぐ、ぎ……ぎええああああああ!!」


 断末魔の叫びとはこのことだろうか。子爵令息は、のた打ち回っている。死の直前の叫びにしては、結構生き残ってるわね。割と冷静に見守っている自分に気が付いた。


「知ってた? この国の法律。男性が、自分の婚約者の貞操を守る為だったら、相手を殺してもいいっていうものの他に、女性は、婚約していようといるまいと、純潔を奪おうとする男性から身を守る為であれば、本来一般人が許可なく使用する事の出来ない攻撃魔法を使ってもいいっていうのがあるのよね。勿論、生死は問わないの」


「うあああああ! わああ! うぐあああ!」


「ちゃんと聞いて欲しいわあ。で、それってね、相手が貴族だろうとなんだろうと、関係ないの。ねえ、熱い? 苦しい? 痛い? もう私の純潔を奪おうなんて一ミリも考えられなくなるように、このまま業火の炎を消さないでずっと苦しめてあげようかと思ってるの。まあ、真空の魔法を使って、あなたから空気を奪って楽に死なせてあげてもいいんだけど」


「ひいッ、おね、おねがいひまふ! たっけて……助け……て、くだはい! うああああああ!!」


 股間から黒煙をあげてのた打ち回る子爵令息。その後ろで、真っ青な顔で手も出せずにオロオロと見守る貴族令息達。さっきの今で、王太子が私に監視をつけてくれていたのだろうか、遠くから、やはり青い顔をした教師達が走ってくる。


「貴方達は、目撃者よ。ちゃんと証言してね。この男が、私の純潔を奪うと宣言した事。だから、私が魔法を使用し、自分の身を守ろうとした事。身分制度の事をあまり言いたくないけど、子爵を敵に回すのと、公爵を敵に回すのと、どちらがご自分のお家に迷惑がかかるのか、ちゃんと考えて行動してくださいな。お友達は選んだ方がいいわね。それと、このわたくしに手を出そうとすれば、どうなるのか。それをひろめて欲しいの。懸想するのも許されない公爵令嬢だってね。あと、学園の裏には近寄らないように。どんな目にあうかわからない、と」


 令息達は、コクコクと青い顔をしながら頷いた。サファイアの君が、こんなに激しい性格だって知らずに憧れていたのかもしれない。皆、涙目だ。それとも、単純に、自分達も焼かれるかもしれないという恐怖だろうか。

 教師達が現場に到着する。その惨状を目の当たりにして、口々に悲鳴をあげていた。子爵令息は治療のために医師のもとへ送られる事になり、現場にいた私達は、事情聴取のために、学園長の元へ行く事になった。ノア様に、私の性格がバレてしまうのは、痛い。


「それもそうですけど、ノーベンバー伯爵が、自ら危険な行動をしたお嬢様を、どう思われるか……」

「え」

「私は、それが一番心配です」


 心配性のハリー。事件の詳細を知ったら、絶対に怒る。滅多に本気で怒らないが、今回は絶対に怒られる気がする。

「…………どうしよう……」


 私の身体は、小刻みに震えていた。





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