第3話 公爵令嬢、シルヴィア・セプテンバーの話・2
「…………誰?」
私がそう口にした途端、目の前の少年の眉間には深い皺が寄り、うちの大人達が、わざとらしい咳払いを何度もした。少年はそちらをちらりと睨んでから、溜息をつきながら口を開いた。
「礼儀のなっていないクソガキが先日の茶会で一目惚れし、陛下に頼み込んで無理矢理婚約者にしたという噂の、オクトーバー家の嫡男だ」
今度は、少年に付き添ってきた大人達が、咳払いをする番だった。礼儀のなっていないクソガキとは、私のことかしら。レディーに向かってなんて事を言うの。しかも、私がこんな少年に一目惚れを?
「はぁ? 一目惚れなんかするわけがな」
「ああーッ! シルヴィア、アレだよ、アレ、庭なんかを案内したらどうかなー?」
「お父様、私は……」
「さささ、陛下が間に入って結ばれた、それはそれは大変重要な婚約なんだよ? お互い、ちょっとお庭で頭を冷やそうか!」
「頭を冷やすとは……」
「ハリー様! セプテンバー公爵も、こう仰っていらっしゃいますので! どうか!」
「ちょっと! 私……」
「シールーヴィーアー? お父様は、馬車の中で君になんて言ったかな? 冷静な対処! 頼みますよ!」
「…………」
「…………」
父は、こうなる予想をしていたということだ。私が何を勘違いしているというのだろう。仕方なく、優雅に見えるようにお辞儀をした。そのまま庭へ進む。後ろからは、表情を消した少年がついてきた。この状況で大人に抗うような大馬鹿ではない事だけが救いだ。
私は、四阿を目指した。白い花々に囲まれた、自慢の庭の端にある。二人で四阿に腰掛けると、頼んでもいないのに、どこからか紅茶と御菓子のセットが用意され、お互いの侍女や侍従は、私達の話が聞こえない場所まで下がった。
「で? どこの家の誰と勘違いしたんだ? クソガキ」
「クソガキじゃないし! こんなレディーをつかまえて、何て事を言うのよ!」
「いやいやいや、お前の喋り方、その辺の悪ガキと同じだろ? とても貴族令嬢には見えないぞ」
「うッ……」
初対面なのに、猫を被るのをすっかり忘れていた。それだけ、衝撃が大きかったのだ。それに、目の前の人は、他の貴族と違い、貴族らしさなどには拘らないような気がする。初めて会った人だけれど、それだけはわかった。
「言ってみろ、クソガキ。誰と俺を間違えた? 理由をちゃんと説明すれば、陛下だって鬼じゃない、そんな無理に婚約させるとかないだろ。家がわかれば、婚約者を挿げ替えることも出来る」
「…………わからないわ」
「はぁ?」
「侍女に聞いたの。大人達の中にいた、白髪の男性はどちらのお家の方なのかって。一人だけ、グリーン系の、落ち着いた服を着ていたわ。黒とエメラルドグリーンの縞模様の素敵なステッキを持って、笑顔が素敵だったの。侍女が聞き込みをしたところ、オクトーバー家の方という事だったのよ」
「…………それは……一人だけ、条件に当て嵌まりそうな人間がいるが……いや、あり得ないよな」
顎に手を当てて、彼はぶつぶつ言いながら私を見詰めた。
「なに? わかったの?」
「ちなみに、年齢は幾つぐらいだ? ステッキを持っていたという事は、子供ではないよな?」
「そうねぇ、五十代ぐらいかしら」
「馬鹿じゃねえの!? それ、うちの爺だわ!」
「えッ、本当? じゃあ、婚約者の挿げ替えを、陛下に頼んで!」
「馬鹿! 愚か者! アホ!」
「きゃー、何その罵倒! 許せない!」
「いやもう、なんで爺に一目惚れなんかするかな! うちは、伴侶を溺愛する家系なの! いまだに嫁にメロメロなんだよ!」
「ちッ、ちなみに、おじい様のお名前は?」
「すげぇ食いつきだな! ノアだよ。ノア・オクトーバー」
「まあ、お名前も素敵……」
名前を聞いてうっとりしていた私だけれど、はっと正気に戻って、落ち込んだ。つまり、失恋決定という事だ。そして、失恋と同時に、好きでもない男と婚約させられるという、二重の衝撃。
「おい、聞こえてるぞ。考えてる事が、口から出ちまってるぞ」
「打ちひしがれてるレディーに優しい言葉のひとつもかけられない人が、婚約者なのね。私って不幸……」
「お前が望んだ婚約だけどな。俺はとばっちりを受けただけだ」
私は、俗にいう、オジ専だ。俗に言うのかどうかも怪しいけれど。初老の紳士を見ると、目がハート型になってしまうほどの、おじ様好き。だから、目の前の少年を好きになれる気がしない。しかし、父も言っていた。これは、仮の婚約なのだ。後からどうとでもなる。だったら、素の私を知っている彼が、婚約者としては後々都合がよいのではないだろうか。婚約破棄も、スムーズに出来る可能性が高い。
「まあ、仮の婚約ですものね。とりあえず、本当に好きな相手が現れるまで、よろしくお願いするわ」
「は? いきなりだな」
「貴方だって、女嫌いと聞いてるわよ? 私と婚約したという事が周囲に知れれば、突進してくる女性も少しは減るんじゃなくて?」
「…………まあ、そうか」
「とりあえずよろしく。ええと、ハリー様と呼ばれていたわね。そういえば、貴方、おいくつ?」
「十五歳だ」
「はあ!? そんな子供、相手に出来るわけないじゃない!」
「そういうお前は、俺より十歳も年下なんだよ! このクソガキが!」
思春期真っ盛りなのか、レイピアみたいに尖ったハリー少年は、その日、最後まで私の名前を呼ぶ事はなかった。
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