第4話 公爵令嬢、シルヴィア・セプテンバーの話・3



 ハリー・オクトーバー公爵嫡男は、顔合わせの日から一週間ほど、毎日のようにセプテンバー家へ顔を出した。王立学園を卒業し、この春から近衛騎士団所属になるという話だ。攻撃魔法の使い手で、更に剣の腕も最高クラス。王立学園始まって以来の優秀な生徒だったらしい。


「また来た」


「うるせぇ。今日で最後じゃ」


 手にしたマーガレットで私の頬をぐりぐり押してくる。紳士とは程遠いハリーに、溜息が出た。押し付けられた一輪のマーガレットを手に取り、唇を尖らせて文句を言ってやる。

「これだから、お子様は嫌なのよね。好きな子を虐めるなんて最低」

「好きな子? 幼女が? 俺は、態度の悪いお子様を躾けているだけだが?」

「幼女じゃないし! そもそも、貴方とお付き合いするようになってから態度も口も悪くなったんですぅ!」

「影響されるほど俺の事が好きなのか。とんだツンデレお嬢だな」

「好きじゃないもの!」

「わかったわかった。それじゃ、成人までには他に相手を見つけて、婚約破棄でもなんでもしてくれ」


 そう言って笑いながら、手を差し出してくる。差し出された手の平に、私はそっと自分の手を乗せた。この一週間毎日のように行われている近くの丘までの散歩。最初は勿論手など繋いでいなかったけれど、滅多に出歩かない私が興奮して駆けまわり、小川に落ちそうになってからは、手を繋ぐ事が必須になった。彼も、周りも、過保護なのだ。私は見た目よりも大人だというのに。両親も、出かける時に、彼に向かって、今日も子守りをごめんねと手を合わせたりするので、私は益々素直になれなくなった。


(今日が最後…………)


 チクンと胸が痛くなった。繋いだ手に力が入る。


「……おい、悪ガキ? どうした?」

「…………なんでもない」

「疲れたのか? しょうがねぇなぁ」

「な……ちょっと、きゃッ!」

 ハリーは、私を軽々と抱き上げると、ニヤリと笑ってそのまま歩き出した。片方の腕に座るような形で抱っこされているので、安定感はあるが、顔が近い。

「仕方ない。最終日だから大サービスだ。親切なお兄さんが抱っこして丘の頂上まで運んでやろう」

「頼んでないし! 疲れてもいないし!」

 私がどんなに悪態をついても、ハリーは笑ったままだ。彼の中では、私は五歳の子供。どんなに背伸びしても、『クソガキ』のままだった。

 この一週間で、私の方は心境の変化があった。ノア様への憧れは決して消えてはいないが、未来を考えたのだ。十年後は私は十五歳、ハリーは二十五歳、ノア様は六十歳を超えている。現在の平均寿命は、男性が六十歳だ。私の花盛りには、ノア様はもういらっしゃらないかもしれない。けれど、ハリーはまだ若い。そして、常に私よりも十歳は年上だ。子供っぽいのは、今だけだ。顔立ちはノア様そっくり。つまり、ハリーは私と一緒に成長していき、いつか外見は私の理想そのものになる。だったら、ハリーと婚約したままでいて、成人したら結婚するのが最適なのではないか。そう思うようになっていたのだ。なかなか素直にはなれないが、私がハリーを好きになったのは誰が見ても明らからしく、好かれている本人以外にはすっかり気持ちがバレている。


 丘の上には、白い花が咲き綻んでいた。高い木々からぽろぽろと零れている白い花が、まるで絨毯のようだ。この場所に到着してからは、護衛も侍女も、待機所に控えている。

 私は抱っこされたままだ。自分から、おろしてとは言わなかった。こんなに頻繁に会えるのも、今日が最後だ。顔合わせの時は、自分がその事を寂しく思うだなんて、考えてもいなかった。


「お前はさ……なんで爺がいいんだ?」

「……ノア様は、素敵な方に見えたの。上品そうだし、スタイル抜群だし、なにより、優しそうな美形だもの。あの方なら、きっと意地悪なんて言わないわ」

「ああ、なるほどな。じゃあ、優しくない俺とは程遠いな。悪い事は言わない。早く同じ歳くらいの将来有望なイケメンを捕まえて、好きになってもらえ。なんで年寄りを好きになるんだか。将来的に、同い年くらいがちょうどいいんだぞ? その生意気な態度を改めりゃ、お前ならすぐ相手は見つかるだろ」

「いや! 同じくらいの歳の男の子なんて、大嫌い!」

「ははぁ、意地悪を言われた事があるんだな? しかし、子供だから意地悪を言うってわけじゃないぞ。きっと、お前の事が好きだったんだろう。だから素直になれなくて……」

「好きな子に意地悪を言うのが子供だというのよ。だからお子様が嫌いなの!」

「はは! クソガキがわかったような口をきいて」


 大きな手が、私の頭を優しく撫でてくれる。ハリーは、口調は乱暴だが、私に対して乱暴に振る舞った事は一度もない。たった一週間しか一緒にいないけれど、この人がとても優しい人で、意地悪なんてしない事は、わかる。


「ハリーは、どうして女性が嫌いなの?」

「俺か。そうだな、女は香水やら化粧やらで臭いだろ? それに、俺が公爵家を継ぐってわかってるもんだから、ぐいぐい迫ってくる。鼻息荒く追いかけてくる令嬢を見た事があるか? 獣みたいだぞ? 媚を売る態度も、最悪だ。気持ち悪い」

「獣……」

「お前が奴らと同じような生き物になったら、即刻婚約破棄だからな。ちゃんと憶えておけよ、クソガキ」

「ふんだ。貴方からの婚約破棄なんて、王様が許さないと思うわ」

「媚を売るような女にならなければいいだけの話だ」

「私、まだ五歳だから難しい事わからない」

「そういう時だけ子供のふりをするのやめろ」

「ふふッ、実際まだ子供だもん」

 すぐ近くにあったハリーの唇に、チュっと音をたてて口付けする。された方は、一瞬ぎょっとした顔をして、次第に赤くなり、口をパクパクさせた。

「お……おま……」

「私の初めてを奪ったんだから、ちゃんと責任とってね」

 ニコリと笑ってみせる。不穏な空気に気付いたのか、後方から、侍女達が駆けてくるのが見えた。


「奪ったのはお前だろうがーーーッ!!」




 近衛騎士団に入団したらしばらくは会いに来られない。落ち着いたらまた遊んでやるからな。ハリーはそう言いながら、私を思いきり子供扱いして帰っていった。


 その後、国交情勢が悪くなり、王族達はなんとか平和な世の中を維持する為に昼も夜も飛び回る事になった。あちらの国に条約を結びに向かったと思ったら、そちらの国で仲違いした両国の懸け橋になったりと、目の回る忙しさだったようだ。うちの父も、王立騎士団としてほとんど家に帰って来なくなった。近衛騎士団に入団したハリーも、オクトーバー公爵の話によると、手紙さえ一度も寄越さないそうだ。


「…………嘘つき」


 窓の外に向かって、泣きそうになりながら不満を爆発させる。


 最後にハリーに会ってから、五年の月日が経っていた。




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