見えない客

「今日から君はここで働くんだ。」


 メアリーは部屋を見渡した。

 広い部屋の中には、キッチン、TV、ベッド、バス、トイレ、本、ゲーム――生活必需品から嗜好品まで何でも揃っていた。


「素敵な部屋ですね!」


 トーマスは笑って答えた。


「気に入ってもらえてよかった。ここには何でもあるし、欲しいものがあれば調達するよ」

「すみません、こんな私のために」

「いえいえ、個人の能力を最大限に発揮するのが僕の仕事。君は結果さえ出してくれればいい。君は人と協力するのが苦手な代わりに集中力がある。だからこの部屋を用意したんだ」


 メアリーは胸に手を当てた。

 ドキドキしている。

 これからここでやっていけるかという不安と、新しい生活への期待が入り混じっていた。


 トーマスは背広を整えた。


「早速だがお客さんからの依頼だ。この作業を頼むよ」

「かしこまりました!」


 メアリーは作業に取り掛かった。


 昔からそうだった。

 パズル、読書――友達と遊ぶことが少なく、一人でもくもくと遊んでいるようなタイプだった。

 友達が少ないことを先生に心配されたりもした。

 むしろ、人と会わないのがどれだけ楽か。


 だんだん人と話すのが苦手になり、周りからは煙たがられていった。


 一方で、持ち前の集中力から、成績はいつも上位だった。

 そこを買われて今の仕事を紹介してもらったのだ。

 この人は信頼できるから人見知りせずに済んだ。


「できました!ご確認お願いします!」


 トーマスは驚いた様子だった。


「早いねぇ! もうできたの? じゃあ、ちょっとお客さんのところへ行ってくるよ」




 数日後、トーマスが帰ってきた。


「ありがとう! お客さんは大喜びだよ! この調子でよろしくね!」

「はい!」


 メアリーはお客さんのために作業を続けた。

 お客さんのことを思うと、作業がはかどる。

 お客さんの喜ぶ顔が目に浮かぶようだった。


 こうして、雇われてからちょうど一ヶ月が経った。


「今日の作業が終わりました!」

「今日もご苦労様。はい、今月の手取りだよ」


「……」


 メアリーは給料袋を受け取ったが、うつむいていた。


「どうしたの? 浮かない顔をして――あ、これじゃあ少なかったかな。」

「あ、いえ。そうではありません。ちょっとお客さんと会ってみたくなって……」


「ダメだ」


 メアリーは目を丸くし、顔を上げた。

 トーマスが一瞬別人に見えたのだ。


「君は僕の言う通りにしてさえすればいいんだ」

「……でも、お客様の喜ぶ顔を見たらもっと頑張れます」


「もう十分頑張ってるじゃないか。その必要はない」

「……」


「明日からもよろしく頼むよ」


 メアリーはお客さんのために作業を続けた。

 一方、トーマスに不信感を抱いていた。


「作業が終わりました」

「今日もありがとう! すごく助かるよ!」


「あの……お客さんによろしく言っておいてください」

「分かった。伝えておくよ」




 数日が経ち、トーマスが戻ってきた。


「今回もお客さんは喜んでいるよ! いつもありがとう!」


 メアリーは首を傾げた。


「……お客様は喜んでいるんですか?」


 トーマスは誇らしげだった。


「ああ! こんなに優秀な人は見たことないって言ってたよ!」

「……提出した資料がでたらめだったのに……ですか?」


「……え?」


 二人の間にしばらく沈黙が生まれた。


「……それはいけないねぇ。真面目にしてくれないと。お客さん怒っているよ」

「嘘ですよ。数値が正しいことはあなたもチェックしたはずですよ」

「……」


 トーマスは動揺を隠せずにいた。


「君、嘘をついていいと思っているのかね?」

「嘘をついているのはあなたです。お客さんは喜んでると言ったり怒っていると言ったり。変ですねぇ。お客さんなんて本当にいるんですか?」


「お客さんがいるかどうかなんて関係ないはずだ。現に君は今まで普通に仕事をしていたはずだよ?」

「こんな、誰の役に立ってるか分からないようなもの、できるはずありません。出て行かせてもらいます」


「でも、君は人と協力するのが苦手だ。この仕事以外にできることなんてあるのかい?」

「……わからない。でも、誰の役にも立てないのは一番つらいんです」


「……そう思うのなら出ていけばいい。まぁ、君には無理だろうけどね。誰も君のことを分かってくれないだろう。つらくなったらいつでも帰っておいで。僕が君を養ってあげるよ」


 トーマスの言葉にメアリーは耳を貸さず、黙って玄関を出た。

 数か月ぶりに見た外の景色は広く感じた。

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