第4話 晴天
改歴1592年1月26日
友和と母がキャビンに滞在してから四日目になっていた。
夜になってもオーロラが出る気配はなく、窓際に二人並んで少し残念そうに星のほとんど見えない曇り空を眺めている。
母が友和の顔をしっかり見つめて言った。
「友和。お母さんね、そろそろ村に戻ってやらなきいけないことがあるのよ。オーロラ見れなくて残念だけど.....」
「ええ!!明日になればもしかしたら見れるかもよ。」
「ううん、明日には帰らなきゃ。」
「どうして?」
「明後日がね、友和のお父さんがいなくなっちゃった日なのよ。毎年、お墓にあいさつしてるの。友和は行ったことなかったね。」
「うん。お父さんのこと見たこともないし。」
「とってもかっこいい人だったのよ。それにきれいな人だった。」
「きれいって、男なのに?」
「うん。お父さんは剣士だったの。
でもね、剣をふるっている姿はごつごつしてなくてきれいだったの。
まるで、踊ってるみたいだったのよ。」
「へぇ、見てみたかったな。僕も剣士になりたいかも。」
「ふふふ、剣士は銃なんか持ちませんよ。
でも、友和もきっとなれる。お父さんの息子だしね。」
「本当に?じゃあ、僕も一緒にお墓参り行こうかな。お父さんに宣言しなくちゃ。」
「うん、じゃあ明日には村に帰ろうか。一緒に荷物をまとめましょう。」
母はいつもより元気そうに椅子から立ち上がって、荷物をまとめ始めた。
友和もそれにつられて暖炉の方へ駆け出した。
改歴1592年1月27日
母と友和はキャビンを出発する準備を終えて、友和は母親の荷物も背負い、玄関の前で母親のことを待っていた。午前10時ごろだった。
この日の空は昨日とは違い、よく晴れた青空であった。
冷気は頬に刺さり、肌は赤みがかっていたが、その肌を包み込むように太陽の光が温めてくれていた。友和が外に出てから十分ほど経ち、母がキャビンから出てきた。
「母さん、準備終わった?また五時間くらい歩くことになるけど。大丈夫?」
「元気!元気!
今の母さんなら四時間くらいで着いちゃうかもよ。
早く村に帰ってお父さんに会う準備しなくちゃね。」
「そうだね。早く行こう。」
二人はそう言って、キャビンを発ち、雪の積もった山道を下り始めた。あたりは陽が出ているにもかかわらず深雪が積もったままである。少しづつ溶け出す雪は整備された山道を濡らし、下る足元がおぼつかない。
下り始めてから一時間が立っていた。
異変があったのだ。
病弱な母は一歩一歩の足取りがだんだんと重くなり、息切れも激しくなっている。
「母さん、つらいんじゃない?」
友和は母を心配そうに見つめた。自分が母を連れ出したという責任をも八歳ながら感じてしまうほどに、朝の元気な母とは一変して、尋常じゃないほどの汗を額にため、苦しそうに呼吸をする母に申し訳なさが募っていた。
「ちょっと休んでいいかしら?すこし座ればまた歩けるよ。」
「母さん、ごめんね。歩くペースが速かったかな?」
「ううん、気にしないで。お母さんが体力ないからよ。」
無理に笑う母を見て、友和はこの先の山下りをどうしようかと思案していた。友和たちが行き来した道は、一応整備され、上り下りがしやすいように階段があった。行きの道で母はいつも以上のの元気な笑顔で、そそくさと友和と一緒に問題なく階段を上っていたが、どうも今の母の様子は普段よりも体調が悪そうであった。
友和は、これ以上母を連れた下山は無理だと思って、階段が一度途切れる広い踊り場のような場所で母に提案をした。
「お母さん、これ以上無理しちゃだめだよ。多分、道の途中に分かれ道があってそこに避難用の山小屋があったはずだから、今日はそこで休もう。お父さんのお墓参りはできなくなっちゃうかもしれないけど、きっとお父さんだって許してくれるさ。」
「ごめんね、心配かけて。本当にごめんね。母さん情けないわ。」
「大丈夫だよ、僕の方こそお母さんの体調の事もっと気にするべきだったね。じゃあ僕は山小屋どこにあったか探してくるから、お母さんはベンチに座って待ってて。厚着して、そこで体温めててね。」
「ありがとう。気を付けてね。」
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「母さん、やっぱりあった……よ……」
友和は母が
そこには、人間のものとは思えない白い毛におおわれた背中があった。
背中はやけに筋肉質で、毛深い背中のうちにも背筋がわかりやすく浮き上がっている。
舗装された山道とはあまりに不釣り合いな巨体。
それが、母のいた場所でうずくまっているのだ。
ろくに確認しないで声をあげた友和。
その<ナニモノ>かが友和の声に反応し、顔だけを彼の方に向けた。
白い<ナニモノ>の顔を見たとき、友和の背中に冷たい鳥肌が一瞬で広がった。
(腕………?嘘だ……)
<ナニモノ>がくわえていたのだ。
かみ砕かれた腕は白い骨と鮮やかな肉がめちゃくちゃに、ぐちゃぐちゃに混交していて、およそ人間のものとは思えないのにもかかわらず、それが人間のものであると、さらにいえば母の腕であることに友和は確信をしてしまっていた。
「え、え.......」
声が出なかった。
突発的すぎたその巨体に対する恐怖も、おそらくもういない母を想った悲しみも混在している中、声が詰まってしまっていた。まるで、頸を大きな手で上から押さえつけられているような窒息感が友和を襲っている。
しかし、そのおぞましさに抱いた恐怖とは別の、「殺される」という恐怖を瞬時に覚えた。その恐怖は彼に動き出す力を強制的に与えるのだ。力の抜けていた足にもう一回力を入れなおし、<ナニモノ>にもう一度目を向けた。
そして<ナニモノ>が、雪猿という魔獣であるということを友和は認識した。
雪猿とは、マナの影響によって異常発達した魔獣である。白い毛におおわれた巨大な体躯にも似つかわしくないほど、前腕が異常に大きく発達している。
友和はこの緊急事態であっても、死んでしまっていると頭でわかっていても母親がまだ生きていることを信じたいのか、雪猿の後ろにいるであろう母親に声を張り上げて話しかけた。
「母さん!母さん!生きてるんだろう!返事してよ!」
「・・・・・・・・・・」
「母さん、早く逃げ・・・・」
ウォオオオオオオオオオオ!!!!
友和の必死の叫びが、雪猿の咆哮によってかき消される。
もう届きはしないと、もう死んでいると。
そして次はお前の番だと、そう雪猿が言っているように友和は感じた。
目の色が変わる。彼の目に憎しみが宿る。
友和はすでに死の恐怖によって開いていた喉を振り絞り、雪猿に向けて敵意むき出しの叫びをあげる。文字通りの必死。あからさまに死の一歩手前まで来ていた彼はカバンの横に備え付けていた、散弾銃を手に取り、隣人からもらった魔弾を込める。
装填に少し手間取っていると、雪猿は口にくわえていた母の腕を山道のわきに吐き捨て、友和の方へ迫っていた。四本の足をうまく使い地面を抉るようにとらえながら走りこむ。友和は弾を込めた散弾銃をもう目の前に迫っていた雪猿の顔を目掛け、構えた。
雪猿は身の危険を感じたのか、巨大な腕で顔を守ろうと、ガードの体勢に入る。
10mほどまで接近を許したその時、叫び続けていた友和は気の動転と恐怖によってかほとんど気狂いのように散弾銃を撃ち放った。
乾いた轟音が鳴り響く。
雪猿も友和も一度銃声ののちの静寂に身を置いていた。散弾銃からは、マナの残滓が硝煙と混じりほのかなきらめきとともに晴れた空に向けて漂っている。
撃たれた雪猿の腕は、母の血とは別の、どす黒いタールのような血を流している。撃たれて血を流していることにようやく気が付いた雪猿は、腕を見つめていた顔を友和の方に向けた。深く皺の入った顔面を、まるで人間のように怒りで、憎悪で歪めている。痛みを確認した巨体はもう一度、正式な宣戦布告のように友和の間近で空気が張り裂ける雄たけびを上げた。
それに戦慄した友和は山道の端へ端へと後ずさる。一撃で仕留められなかったことに、驚愕していた。過信ではない、ただただ素直に、銃の詳しい性能も知らずにこれなら敵なしだと本気で信じていたのだ。無邪気に信じていたのに、こうも簡単に一つの叫喚にかき消される。
その驚愕のさなか、雪猿は咆哮から間髪を入れず撃たれていない左腕を振り上げ友和の頭を、体を潰そうとしている。友和は、二発までなら連射できると知っていながら、この怪物をどう倒せばいいのか、本当にこんな銃で倒せるのかと、罪のない散弾銃に対して激しい猜疑心を抱いていた。
もう目の前まで来ている。
どうにかしないと、といった死の恐怖にまたも駆り立てられる。何度経験しても、色あせることない瞬間に生まれる危機。おそらく人間がこれほど短期間に経験してはいけないものであろう。
友和は半ば自暴自棄に片腕で散弾銃を構え、あっちに行けと腕を必要以上に伸ばす。
8m。
6m。
4m……
「あっち行けえええええええええええええええ!!!!!!!!」
もう一度発射した。
銃のノックバックに備えていなかった友和の射撃はほとんど雪猿に命中しなかったが、銃口からランダムにばらまかれた散弾の一発が奇跡的に雪猿の片目に命中していた。
しかし、それとともに友和の右肩には鈍痛が、更には、踏ん張りの効かない雪上での射撃で、もうその体を支えられず、気づいた時には山道からずり落ち、転落していた。転落のさなか、友和の耳には雪上を転がる自身の発する音に加え、雪猿の醜い喚き声が聞こえていた。
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