イリメさんの電話

たにがわ けい

イリメさんの電話




 プルルルル……

 昼下がりの夕刻、突然固定電話が鳴り響いた。

「誰だろう……」

 ガチャ

「…………あたし、イリメさん。今、あなたの後ろにいるの!」

 バッと振り返るとそこには虚ろな目で笑う少女。

「きゃあああっ!!」

 私は倒れ込み、尻をついて後退りする。

(…………メ、メリーさん……? やだ……やめて、怖い、死にたくない……)

 するとイリメと名乗った不気味な少女は手に持った携帯電話を再びその青白い耳にあてがいながらゆっくりと後退して部屋から出て行ってしまった。

「な、何なの……」

 プルルルル……

 壁にへばりつく私の隣、台の上の固定電話が鳴り出す……かと思ったが、受話器は私が持ったまま。すると部屋のドアがガチャッと開き、……イリメさんが(受話器を置け!)と言うふうに口パクと手振りで指図してきた。

「ご……ごめんなさい」

 私が受話器を置くとイリメさんはドアを閉め、そして間髪入れずにまたプルルルル……と電話が鳴り出した。

 私が恐る恐る受話器を取ると、

「…………あたし、イリメさん。今、あなたの部屋の前にいるの」

と、低いトーンの声が受話器からもドアの向こうからも聞こえた。

 私はまだその場を動けなかったが受話器だけは何とか本体に戻しておけた。

 すぐにまた鳴り出す電話。ドアの方を見ながら電話に出る。

「…………あたし、イリメさん。今、あなたのマンションのエントランスにいるの」

(……もしかして、このままどんどん遠ざかって行ってくれるんじゃ……?)

 しばらく間があって、また電話がプルルルル……と鳴り出した。

「…………あたし、イリメさん。今、商店街にいるの」

 そしてさらに数分後。

「…………あたし、イリメさん。今、あなたの最寄り駅にいるの」

 もう随分家から遠くなった。まだ心臓はバクバクしていたが、少し落ち着いてソファに座る。

(…………だめ、寝ちゃだめ、またあいつが……)

 眠くなどなかったはずなのに、非日常の疲れか、私はそのまま寝てしまった。


 プルルルル……

 電話の音で目を覚ます。私はハッと起き上がって周りを見渡す。誰もいない。時刻は、あれから一時間以上経った、午後五時過ぎだった。

 私はゆっくりと、注意しながら受話器を取る。

「…………あたし、イリメさん。今、新大阪駅にいるの」

「え……新幹線に乗るの……? 乗るのね⁉」

 ブツッ

 電話は切れてしまった。

 そしてさらにその数十分後。

「…………あたし、イリメさん。今、岐阜羽島駅にいるの」

「岐阜羽島⁉ この時間で岐阜羽島は…………ひかり、ね? ひかりでしょ? 東京に行くの?」

 ブツッ

 切られてしまった。そして夜になり、電話が来ないかと気を揉んでいたところに、プルルルル……と電話が鳴る。私はすぐにそれを取った。

「…………あたし、イリメさん。今、東京にいるの」

「次は、どこに行くの……?」

 ブツッ

 問いかけも虚しく、切られてしまう。


 そして数日が経った。

 恐怖の体験も薄らいできた頃、家でくつろいでいると、突然電話がプルルルル……と鳴り出した。私はその瞬間に思い出す。急いで受話器を取った。

「…………あたし、イリメさん」

「イリメさん……!」

「今、JAXA調布航空宇宙センターにいるの」

「ジャ、JAXA? あなた、宇宙に行くの⁉ 宇宙飛行士⁉ え、大学出てるの……? 泳げる? 英語は……? 喋れるの?」

 私は矢継ぎ早に質問を重ねてしまった。イリメさんは沈黙している。

「……………………yeah」

 ブツッ

 なんともまるでネイティブの英語のようだった。そしてその数ヶ月後、「アメリカ航空宇宙局本部にいるの」という電話以降、イリメさんが電話してくることは無かった。


 そしてその後さらに数年、いや、十数年が経過した。私を取り巻く環境もすっかり変わり、日々の仕事で手一杯という状況だった。そんな時、疲れ果てて帰宅すると、家の電話がプルルルル……と鳴っているのが聞こえた。

(会社か家族か……にしても固定電話にかけてくるなんて珍しいな……)

 そう思いながら私はゆっくりと受話器を取る。

「はいもしもし……」

「…………あたし、イリメさん」

「…………イ……イリメさん⁉ イリメさん……!」

「いま……今、宇宙にいるの……」

「え……は、はあああっ……イリメさん……良かった……あなたならなれると思ってた……」

 私は声を震わせながら久しぶりに家のテレビの電源を付けた。

「えー、入目ひかり宇宙飛行士を乗せたロケットは、今朝、無事に宇宙へと旅立ちました」

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イリメさんの電話 たにがわ けい @kei_tani111

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