第14話 クラフトの家族
クラフトの言う通り、ジョナサンが作法を知らないことを笑う者はいなかった。
紹介されたところによると、父はオーギュスト、母はローラ、一番上の兄はハンス、一番上の姉はローレライ、二番目の兄はアルフレッド、二番目の姉はロクサーヌ、三番目の姉はラグナというらしい。
テーブルに着くと、次から次へと料理が運ばれてくる。
彩りのいい葉野菜のサラダは、混じっている魚の干物が良いアクセントになっていて、食感に飽きることはない。暖かい貝のスープは具沢山で、味がよくしみている。メインディッシュの焼き魚も塩加減が絶妙で、見たこともない香草が見事に臭みを消している。
港が近いおかげだろう。魚介類はもれなく新鮮で、香りも舌触りも、もちろん味もいい。
久しぶりの我が家での食事だろうに、クラフトは肩を落として、ちっとも嬉しそうではない。
じっと、同じテーブルについている兄を見ている。
話には聞いていたが、本当に動かない。彼だけ、食事はスープのみだ。固形物を噛むことができないのだろう。使用人がせっせと世話を焼き、口にスープを流し込んでいるが、時々口のはしから液体が垂れてしまっている。その度に使用人は食事を与える手を止めて、ナプキンで拭う。品数は圧倒的に少ないはずなのに、食事は遅々として進んでいない。
「ジョナサン君は、クラフトとはどこでお会いになったの?」
母、ローラに話しかけられて、ジョナサンは思わずむせそうになったのを必死でこらえた。
生まれてこのかた、君付けで呼ばれたのはこれが初めてかもしれない。
「海で樽に捕まって漂流してるところを拾った……、じゃない。拾いました」
「まあ、そんなことになっていたの? 大変だったでしょう。よく無事に帰って来てくれましたね。ジョナサン君にはなんとお礼を言ったら良いか……」
おっとりした喋り方のせいか、会話のテンポがどうにもつかめない。
むず痒い。どうしよう。
ジョナサンは、食事が終わるまで正気を保てるか心配になってきた。
「い、いや、たまたま通りかかっただけだ……、なので」
そのあとに悪魔にいじめられたり声が出せないようにされたり、あまつさえ取引までしたことは、黙っておいたほうがいいかもしれない。下手したら家族全員卒倒しかねない。
「漂流、というと、やはりクラフトが乗った船も沈んだのだな。だからやめておけと言っただろう」
父、オーギュストが顔をしかめた。
どう説明したものか、ジョナサンが考えあぐねていると、クラフトが口火を切った。
「それついてですが、みんなに僕から大事なお知らせがあるんです。僕たち一族の掟について」
視線がクラフトに集まる。兄以外の視線が。
「おい」
ジョナサンはクラフトにこっそり耳打ちした。
「お前の家族、比較的まともな人っぽいし、ちょっと表現をソフトにした方がいいんじゃねえか? 全部ありのままに喋ったら、二度とお前を海へは行かせないだろうよ」
「なぜだ?」
「なぜって、こんな眉唾なおとぎ話、信じてもらえないだろうからさ。信じてもらえたところで、大事な息子が悪魔にいじめられるのをわかってて見過ごすわけはないだろうって話だ。その辺の話はうまいことやんわり伏せろ」
「なるほど、一理ある」
クラフトはコホンと咳払いして、話を始めた。
「彼の船には、海の悪魔デビー・ジョーンズが乗っています」
ジョナサンは驚いて勢いよくクラフトの方を見た。
「おっと!?」
こいつ、やんわり話す気は全くない。
「僕はデビーに、一族の呪いの由来を教えてもらいました。僕らの先祖はセイレーンという海の生き物らしいです。セイレーンの歌を聞いた船乗りは自ら海に飛び込む。その特性が我々にも引き継がれているのです。これが、難破の原因です」
「待て待て待て待て」
あまりにもど直球に話を進め始めてしまった。ジョナサンは大慌てでクラフトの口を押さえる。
「なにをする」
「刺激が強いからやんわり話せって言っただろうが。なんか、もうちょっとワンクッション入れようぜ」
苦笑いを浮かべて、ジョナサンは一同の顔色を見る。
みな、一様に固まっている。
「まあ」
奥方が声を漏らした。
「そうだったのね。知らなかったわ。あなた、古い家系図を調べてみませんか?」
「そうだな。確か書斎にしまってあったはずだ。あとで確認してみよう」
ジョナサンは肩透かしを食らって脱力した。あまりにもあっさり受け入れられてしまった。
「クラフト、その話は本当か?」
二番目の兄アルフレッドが尋ねた。
ジョナサンは内心で「ほらー、めっちゃ疑われてるー」と、冷や汗をかきながらうまい説明を考え始めたが、次のアルフレッドの一言で、すぐにそんなものは徒労だとわかった。
「お前、デビー・ジョーンズに会ったのか! すごいな! どんな感じだったんだ?」
「幼い少女のような姿をしています。少し理不尽でおっかないですが、悪魔にしてはかわいらしいですよ」
「へー! そうなのかー!」
一同は感嘆の声をあげる。ジョナサンは「俺がおかしいのか?」と不安になってきた。
ともかく、どうやらクラフトの家族は人並みはずれて素直らしい。
「海で口をきけば同乗者を危険に晒しますが、口さえきかなければ僕たち一族でも船に乗れる。僕はこのまま引き続きジョナサンとともに、兄上の魂を取り戻すために海を巡ろうと思います」
しん、と全員が一斉に黙った。
「冗談よね?」
一番目の姉ローレライが恐る恐る小さな声で言った。
「冗談ではありません。僕は行きます。実のところ、取り戻す方法はもうわかっているのです。デビー・ジョーンズの〈魂の灯台〉の話はご存知でしょう。あれがどうやら盗まれたそうで、探して取り返すのを手伝い、真珠を取り返せば、兄上の魂をここまで導いてくれる、そういう取引をしました」
一同は顔を強張らせて、クラフトをまじまじと見ている。
ジョナサンは頭を抱えた。
「お前さあ……、もうちょっとマシな説得の仕方ないわけ……? 全部ほんとのこと言ったら、ダメって言われるに決まってるだろ?」
「家族に隠し事なんてするべきじゃない」
ジョナサンは、もう二度とこいつを交渉のテーブルにはつかせないと心に決めた。
「つまり、あなたはハンス兄様の魂を取り返すために、悪魔と取引をしたということですか?」
三番目の姉ラグナが眉を吊り上げている。
「いかにもその通りです。デビー・ジョーンズは噂に聞くより正直で公正な悪魔でした。腹の虫が鳴いたのが真っ赤になるほど恥ずかしくとも、「そうよ? 私よ? 悪い?」とごまかさず正直に話します。彼女は、僕に労働以外の対価は求めません。旅が終われば、いずれ必ずここに戻ってきますので、ご安心を」
「やめてやれ。こんなところでデビーちゃんの恥ずかしいエピソードを広めるな」
ジョナサンが茶々を入れる程度では、もう空気は変わらない。
二番目の姉ロクサーヌが、沈痛な面持ちを浮かべる。
「本当に戻ってこられるのですか? せっかく拾った命をまた捨てに行くことはないでしょう。呪いのことがなくたって、海は危ないところなんですから」
「ええ、危険でしたとも。でもそれだけじゃない。なにがあるかなんて、行ってみなければわからない!」
クラフトは、大きな声ではっきりと言った。
「僕は外の世界の土産話をみんなにしたい。その席にはハンス兄様もいてくれなければ嫌だ!」
また、一同がシーン、と黙る。
各々、考え込んでしまっているようだ。
「クラフト」
ふいに誰かが声を発した。
みなは互いに顔を見合わせる。誰の声だ? と言わんばかりの表情だし、ジョナサンにもそれはわからなかった。
「さすがは僕の弟だ」
全員が一斉に一番上の兄、ハンスの方を見た。
ハンスは椅子に座ったまま、ぼうっと虚空を見つめている。しかし、その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
ジョナサンは、両手にいっぱいのおみやげを持って船に戻った。
「あら、おかえり。早かったわね。一泊くらいしてくるかと思ったけど。お祭りはよかったの?」
街の方からは、賑やかな笑い声や音楽が途切れ途切れに聞こえてくる。
もうすっかり夜だが、街の灯りはまだ消えていない。点々と光る窓ガラスが、船からたくさん見える。
「なんだよ、俺だけ行ったら拗ねるくせに」
ほら、と土産物を渡すと、デビーは嬉しそうに中身を確かめ始めた。
「あら、これはなに? 食べ物?」
そう言って、リンゴを手に持って首を傾げている。
「ん? リンゴを知らないのか?」
「リンゴっていうの? 私、海の外には出られないから、陸地のことはよくわからないのよね」
「へー、そうなのか。それは木に成る果物でな。甘くておいしいんだぜ。うさぎさんにしてやろうか」
「うさぎ……?」
「かしてみな」
デビーからリンゴを受け取り、小さなナイフで皮をむこうとしたが、薄暗くて手元が危うかったのでランプに火を入れてから作業を始める。
ジョナサンの手の中で形を変えるリンゴを、デビーは興味深げにじっとみていた。
「クラフトは? 置いてきたの?」
「今日一晩はゆっくりして、ちゃんと行ってきますって言ってから出発するってよ」
ジョナサンは、思わずため息をついた。
「どうしたのよ、辛気臭い」
「俺も、もうちょっとちゃんと出航すればよかったなーって。ほら、俺は半ば逃げるみたいに出発しちゃったし。村長にちゃんと直接挨拶せずに出てきちまったから……。今更だけどさ」
思い返せば、自分が外海に出たい理由を、あんなにもはっきりと村長や村の奴らに叩きつけたことはあっただろうか。
ジョナサンは、またため息をついた。クラフトは、自分が避けて通ったことを、真正面からやってのけたのだ。
「あら、気にしてるの?」
「うん、そう。気になってきちまった。ちゃんと話せば、もうちょっと穏やかに見送ってくれたかも……、いや、ないな」
だが、あれが今生の別れ、というのはなんだか嫌な気がしてきた。
「ほら、うさぎ。かわいいだろ」
ジョナサンが切り終えたリンゴを手渡すと、デビーはまた首をかしげる。
「かわいい、かしら?」
「あれ? お気に召さない?」
ジョナサンはそこで、気がついた。もしかしてこの少女は、うさぎを見たことがないのではなかろうか。もしそうなら、いくら似ている姿に飾り切りしても伝わらない。
「えーっと、うさぎってのは草原にいる動物でな。毛皮が高く売れるし、肉がうまい」
「その説明じゃ、どの辺がかわいいのか、ますますわからないわ」
「ふわふわしててな、長い耳がついてるんだ。……うーん、参ったな」
そこへ、けたたましい声が降ってきた。ラヴだ。
「あっ! お前! どこ行ってたんだよ!」
街ではぐれたきりになっていたが、きちんと帰ってきた。なかなか賢いやつである。
「トゥーガニイキマショウ」
ジョナサンの頭に止まり、甲高い声で鳴く。
「トゥーガ? 地名か? なんでお前が決めるんだよ」
「トゥーガニイキマショウ。ネッ、メアリー」
その言葉を聞いて、デビーが顔を強張らせた。メアリー。確かにそう言った。
「あの女、この街にいるんだわ」
「嘘だろ、なんでそうなるんだよ」
「この鳥、近くにいる人の言葉を覚えることがあるのよ。で、彼女が呟いた言葉をこの子が覚えた。そうじゃないかしら」
「落ち着けって、メアリーなんてよくある名前なんだからさ。同じ名前の別人かもしれないだろ?」
「そうだけど、今はわずかな手がかりも見逃せないわ。ジョナサン、ちょっと探してきなさい」
ジョナサンは、街の方に目をやった。
祭りの真っ最中だ。人は多い。
「人使いが荒いなあ……」
「当然でしょ? あなたは私のしもべなんだから」
「まあ、しょうがねえか。オーケー。行ってくる」
暗い夜道をダッ、と駆け、ジョナサンは街へ向かって駆け出した。
街の人々に、女の海賊を見かけなかったかと聞いて回ったが、得られた情報はそれらしい女が昼間に港から出て行った、というものだけだった。
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