第15話 生臭聖女
朝、出港前のジョナサンの船には、クラフトを見送りに来た島の者たちが詰めかけていた。
皆が口々に「行ってらっしゃい」「気をつけて」と見送りの言葉を投げかけている。
「ありがとう。必ず帰って来ます」
クラフトが船に飛び乗ると、その肩にラヴが舞い降りた。
「じゃ、出航するぞー」
もやい綱を外し、帆を張って、オールを漕いで外海へ向かう。
朝日を反射して、海面が眩しい。ジョナサンは目を細めた。風はまだ夜の気配を残していて、ひんやりと冷たい。
「待ってー!」
遠くから声が聞こえた。気のせいかと思ったが、声は次第に近づいてくる。
「その船待ってー! 私も乗せてー!」
「なんだ?」
海岸の方を見ると、若い女がこちらに向けて走ってくるところだった。聖職者だろうか。修道女の格好をしている。
「あれも島の人間か?」
ジョナサンに尋ねられて、クラフトは首を横に振った。
「ミナイカオダ。タビノセンキョウシダロウ」
「せんきょうし? なんだそれ」
首をかしげるジョナサンに、デビーが答える。
「宣教師、っていうのはね、神の教えを広めるために旅をする聖職者よ」
「よーし、全速前進。悪魔的にアウトだろ、神の使徒と相乗りなんて」
ジョナサンはかまわず船を進めた。オールをしっかりと握り、水をかく。
船が止まらないと悟るや否や、修道女は叫んだ。
「あっ! 待ってくれない! この薄情者のくそったれめ!」
口汚く船を罵るだけでは飽き足らず、「あーもう! 次の船いつ来るのよ! やってらんない! 神なんていないのよ!」とやけっぱちで叫んで、懐から取り出した酒瓶を煽り始める。どう見ても信心深い修道女とは思えない。
見送りに来ていた島民たちが、驚いて女と船を交互に見ている。
「相乗りしても大丈夫な気がしてきたわ」
呆れ笑いを浮かべてデビーが言った。
「ダイジョウブソウナラ、ノセテヤラナイカ? コマッテイルヨウダ」
「まあ、デビーが大丈夫だっていうなら」
ジョナサンは船を戻し、今しがた出たばかりの港へ船をつける。
「おねーさん、俺たちになんの用だ?」
ジョナサンが話しかけると、修道女は顔をほころばせた。旅を続けたせいだろうか。頬や鼻にそばかすが散っている。大きなハシバミ色の目は、酒を飲んだせいか少々潤んでトロンとしていた。
「あっ! 嬉しい! 戻って来てくれた! ありがとう坊や! ありがとう神よ!」
「現金な聖職者だな……」
「あのね、どこでもいいから乗せてって欲しいんだけど、いいかな?」
ジョナサンは不思議に思った。どこでもいいとは妙な話だ。こんなに必死になって船を呼び止めるくらいだから、どうしても行きたい場所があるのではないのか?
「俺たち、トゥーガってとこに行く予定なんだけど、それでいいか?」
「もちろん! ところでトゥーガってどこ?」
得体が知れない。どういうつもりなんだ、この女。
真意を測りかねているジョナサンの後ろから、デビーが顔を出した。
「この船に乗るのなら、神の加護は期待しないことね。なぜなら私は……」
「かわいい!」
デビーを見た瞬間に女が叫んだ。船に飛び乗って、デビーに抱きついて頭を撫でくりまわし始める。
「わー! かわいい! いやー、教会を離れてから子供と触れ合えなくて寂しかったんだよねー! お嬢ちゃん、いくつ?」
「なにをするのよ! 私は悪魔よ! もっと恐れなさい! 悲鳴をあげて逃げ惑いなさいよ!」
金切り声を上げようとするデビーを、女はがっしり捕まえて離さない。
「ほっぺプニプニだー! 髪も綺麗ねー! おねーさんが三つ編みしてあげようか?」
「結構よ! 聖職者が悪魔の世話だなんて、笑えない冗談だわ!」
デビーはなんとか身をよじって女の腕を逃れ、ジョナサンの後ろに隠れた。
ジョナサンはホッと胸をなでおろした。この聖職者、ひとまず悪魔と喧嘩するつもりはないようだ。
しかし、それはさておきデビーの機嫌がすこぶる悪い。ジョナサンのシャツを握りしめて、キッと女を睨みつけている。
「ジョナサン! やっぱりこの女と相乗りは嫌! 置いて行きましょう!」
「だ、そうだ。悪いなおねーさん。この船じゃあ大悪魔デビーちゃんが絶対正義なんだ」
「そこをなんとか〜! お願い船長! 悪魔教に改宗するから〜!」
「ナンテバチアタリナ」
ジョナサンとデビーとクラフトは顔を見合わせた。
「えっと……、俺もそこまで信心深い方じゃねえけどさ……。いいのか?」
「いいのいいの。神は全てお許しくださる。船を降りたら改宗し直すし。だから、ねっ、乗せて?」
しーん、と場が静まり返る。どうしたものかとジョナサンが考えていると、港にいた島民たちの中から、おばあさんが一人、進み出てきた。
「坊ちゃんや。乗せてやっておくれ」
クラフトが即座に頷いた。
かなり沖まで出て来たが、デビーの機嫌はまだ治らない。
うさを晴らすために、蛸を呼び出してクラフトを襲わせている。
「もう! クラフトのバカ! なんで安請け合いするのよ!」
蛸に絡まれてもがいているクラフトの上で、ラヴが鳴く。
「シカタナイダロウ! オバアチャンニタノマレテコトワレルワケガアルカ!」
「もーっ!」
デビーは二匹目の蛸を呼び出して、すでに吸盤の跡まみれになっているクラフトに向けてけしかけた。
そこへ、修道女がやって来てデビーの脇の下に手を入れて抱え上げる。
「こらこら、お友達をいじめないの。ダメでしょ?」
「あんたのせいでこうなってるのよ!」
「悪いことする子は〜、こうだー!」
女はそのままその場でぐるぐると回って、デビーを振り回す。グルングルンと回されて、デビーは悲鳴をあげた。
「きゃーっ! なにするのよ! やめなさい!」
「おっ、楽しい? 喜んでくれてお姉さん嬉しいわぁ」
「ジョナサン! 助けなさい!」
ジョナサンは女を止めようと近づくが、勢い良く回転する女に近づけば両者痛い目にあうに決まっている。
「ストップストップ。おねーさん、ちょっと止まってくれ。デビーが目を回しちまう。
「あっ、ごめんね。大丈夫だった?」
女はハッ、と動きを止めて、デビーを床に下ろした。デビーはフラフラとその場に座り込んでしまう。
「屈辱だわ……」
「ところでおねーさん、自己紹介してくれねえか? 俺はジョナサン。この子はデビー・ジョーンズ。で、あっちで蛸に絡まれてるのがクラフト。クラフトの上で鳴いてるのがラヴだ」
女は胸を張って答えた。
「私、エルモ! ちょっと前まで懺悔室の担当だったけど、いろいろあって宣教師になったの」
「いろいろって?」
「うーん、話してもいいけど、長くなるわよ?」
「いいっていいって。どうせ次の港まで暇だし。おーい、デビー。エルモがお話ししてくれるってよ。クラフトを解放してやってくれ。みんなで聞こうぜ」
デビーが指を鳴らすと、蛸は海へ帰って行った。
フラフラのデビーとフラフラとクラフトが起き上がるのを待つ間に、ジョナサンは島でもらった食べ物をいくつかと、酒を船倉から持ち出して用意する。
「おっ、いいねえ。昼間っから飲む酒ほどおいしいものはないよね〜」
「あんたほんとに聖職者か? 戒律とか、あるんじゃねえの?」
「なにを言ってるの? お酒は嫌な気持ちを追い払う聖なる飲み物だよ」
まあ、本人がいいと言うならいいのだろう。
えーっと、どこから話そうかなー、と少しの間首をひねって、一口酒を飲んでから、エルモは話を始めた。
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