第11話 デビー・ジョーンズの話 ①

 朝、ジョナサンが起きると、クラフトが蛸に絡まれていた。

 仔牛ほどの大きさの蛸が船の上に上がり込んで、クラフトにのしかかっている。

 その傍らでは、デビーが心の底から楽しそうにニコニコしながら、逃げようともがくクラフトを眺めていた。

「あら、おはようジョナサン。いい朝ね」

「いい朝かどうかの基準は人それぞれだけども。なにやってんだ?」

「少し、船の進路を変えたけどいいかしら」

「ああ、構わねえよ。別に目的地があったわけでもないし。で、なにやってんだ?」

「クラフトの故郷の島に先に行ったほうがいいと思うの。飛び出して行った末の息子を追いかけて他の家族も海へ、なんてことになったら大惨事だわ」

「そうだな、その通りだ。で、なにやってんだ?」

「そろそろ朝ごはんの時間ね。メニューはなに?」

「適当に網を投げて適当に捌いて食べようと思う。……そろそろ助けていいか?」

 ジョナサンがクラフトから蛸を剥がそうとすると、デビーは慌ててそれを止める。

「ダメよ。物事には順序ってものがあるんだから」

「怪物に襲われてる友人を助けるのは最優先事項だと思うんだが」

 デビーが指を鳴らした。またカモメかと、ジョナサンは身構えたが飛んできたのはカモメではなかった。

 鮮やかな黄色の鳥だ。大きく翼を広げて滑空すると、鳥はもがいているクラフトの頭にとまる。そして、甲高い大きな声で鳴いた。

「タスケテクレー!」

「喋った!?」

 ジョナサンは驚いて目を丸くし、デビーは得意げに胸をそらせる。

「今後はあの子がクラフトの代わりに喋ってくれるわ。共感能力の高い種類でね。うまく躾ければ、口がきけない人の代弁者になってくれるの。そうねえ……。名前はラヴにしましょう」

「へー! こりゃあすげえ! よかったなクラフト!」

 再びデビーが指を鳴らす。蛸はクラフトから離れて海に帰って行った。

「イイワケアルカ! ナゼボクヲアンナメニアワセル!」

 ゼエゼエと息を整えているクラフトの頭の上で、再びラヴが鳴いた。

 ジョナサンは驚いた。この鳥、本当にクラフトのように喋る。

「ほら、ちゃんとこの子がクラフトと同調できてるか確かめなきゃいけないじゃない? 話せなくてもなにを考えてるか大体わかる状態になってほしくて」

「ホカニモヤリヨウハアルダロウ!」

 もう危険はないと判断して、ジョナサンは朝食の用意を始めた。投網を用意し、海に投げる。

「そういうことならちゃんと解説してくれよ。びっくりしただろ」

「ソウダソウダ! コノスカポンタン!」

 ピクッとデビーの眉がつり上がり、クラフトの方を見た。クラフトは慌てて首を横に振っているが、そんなことはおかまいなしに、ラヴは鳴き続ける。

「この私に向かってスカポンタンですって?」

「ヤーイヤーイ! バーカ! チビオンナ!」

 クラフトは首を横に振っている。

「そんなに蛸と戯れるのが気に入ったのかしら?」

「ヘッ、タコヤロウガナンボノモンダ!」

 クラフトは半泣きで首を横に振っている。

 デビーが指を鳴らした。クラフトは反射的にその場から逃走する。船べりからさっきの蛸がよじ登って船に上がってきた。

 ジョナサンは銛を持ち出して、蛸足の一本を釘付けにした。

「ちょっと、なにをするの」

「落ち着けって。多分まだうまく、えーと、同調? ってやつができてないだけだよ。な? クラフトはデビーにちび女とか思ってないもんな?」

 クラフトはコクコクと頷いて、ジョナサンの後ろに隠れた。

「そう。そういうことなら許してあげるわ」

 これでひと段落かと思った矢先、ラヴがもう一声鳴いた。

「カンタンニダマサレヤガッタ! チョロイオンナダゼ!」

 クラフトは、首を横に振りながら、じりじりと後ずさり始めた。

 デビーは酷薄な笑みを浮かべながら、一歩一歩クラフトの方へ歩み寄っていく。

 ジョナサンはため息をついた。

「朝飯までには仲直りしてくれよ?」

 先ほど投げた網を引き上げる。ずっしりと重い。この分なら、三人で朝食を腹一杯食べた後でも保存食に加工する分が残りそうだ。

 獲れた魚を締め、内臓を抜き、食べる分は切り身にして、食べないぶんは日陰に干す。用意ができるとジョナサンは二人に声をかけた。

 散々クラフトを追いかけまわしていたデビーは、ご飯を食べ始めるとけろっと機嫌を直し、ご満悦で舌鼓を打ち始めた。

「おいしいわ。やっぱり魚は新鮮なものに限るわね」

 全員に食事を配り終え、ジョナサンも食事を始める。

「で、だ。デビー。お前の話ってやつ、そろそろしてくれねえか?」

「そういえば昨日約束したんだったわね。いいわ。話してあげる」

 穏やかな朝の海で、陽の光を浴びながら、デビー・ジョーンズは話を始めた。




 私、本来なら海の底にいるはずなのよ。

 海に沈んだ魂は、私のところにやってくる。人はそこをデビー・ジョーンズ・ロッカーと呼ぶわ。

 普段は陽の光の届かない暗い海の底で、深海魚を友として暮らしているの。

 知ってる? 海の底にも雪が降るのよ。とっても綺麗なの。

 私の仕事は、死した魂たちを匿って管理したり、あるべき場所へ送ったりすること。

 私がちゃんと導かなければ、海は幽霊船だらけになっちゃう。

 魂たちは、一筋の光を目指して私のところへやってくる。

 月のように淡く輝く真珠が、私の領域の一番高い塔の上に収められていたの。

 私の握りこぶしより少し小さいくらいかしら。真珠としては破格の大きさね。

 それは、うっすら光を放っていてね、さまよう死者たちはその灯りに惹かれてロッカーまで降りてくるの。

 二人とも、伝説とか昔話とかで聞いたことあるんじゃないかしら。人間たちがよく噂してるもの。あ、やっぱり知ってるのね。そう、伝説の宝石〈魂の灯台〉は本当にあるのよ。

 魂たちは少しの間デビー・ジョーンズ・ロッカーに滞在すると、海に溶けて消える。きっと潮に乗って海上へ、そして空へと昇っていくのでしょう。

 ある時、一人の女海賊がやって来た。

 背が高くて、すらっとした人だったわ。豊かなブロンドの巻き毛が綺麗でね。大人の女、って感じ。所作や立ち振る舞いはしっかりしてて、育ちが良さそうに見えたけど、垢じみた服と日に焼けた肌、それから身体中にあった生傷で海賊だってわかったわ。

 驚いたことに、その女海賊はまだ生きていたわ。

 そして、開口一番こう言ったの。

「ここにいる死んだ人と会うことって、できるかしら?」

 たまにいるのよね。臨死体験、っていうのかしら。生きたまま私のところに来ちゃうせっかちさんが。

「海で死んだ者はみんなここに来る。まだ海と同化していなければ、会えるはずよ」

「よかった。メアリー、って女の海賊に会いたいの」

 該当する人物はいなかった。もう海に溶けたってわけじゃなくて、そもそもロッカーには来ていなかったの。女の海賊なんて、結構珍しいんだから探せばすぐ見つかると思ったのに。

 女は激昂して私にマスケット銃を突きつけた。

「あの子が海から離れるはずがない! 嘘言わないで!」

「来てないんだから仕方ないじゃない。まだ生きてるんじゃないかしら」

「そういうことなら、悪魔だかなんだか知らないけど、もうあなたには頼らない! 自分で探すわ!」

 女は走り回って、メアリーを探した。

 デビー・ジョーンズ・ロッカー全部探したけれど、目的の女は見つからない。

 ついに、女は真珠に目をつけた。塔の上を指差して、問いかけて来たの。

「ねえ、あれって伝説の〈魂の灯台〉かしら? デビー・ジョーンズが持ってるっていう、船乗りの魂を引き寄せる宝石よね?」

「そうだけど、それがどうしたの」

「きっとメアリーは迷子になってるんだわ。探しに行ってあげないと」

 女はそう言って、塔を駆け上がって行った。私も追いかけたけど、追いつけなかったわ。

 塔の上に安置されていた宝石を手にとって、女は高笑いした。

「これを持って世界中回ることにするわ! きっといつか、これを目指して私のところに来てくれる!」

 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 女の魂は、海面へ向かって昇っていく。

 私は大慌てで追いかけた。

 深海に潜む古代魚や、どう猛なサメ、イルカたちの力を借りて追いかけたけど、あの女、そのことごとくをかわして行ってしまうの。凄い執念だった。

 追いかけ続けて、私はついに海面に出た。

 ちょうど、船が一隻浮かんでいたわ。

 その船のに乗ってる、ってことはわかったの。だってあの女、船べりから身を乗り出してこっちを見ていたから。

「ちょっと! 返しなさい! それがないと大変なの!」

「海賊が盗んだものを返すと思う?」

 私には、どうすることもできなかった。招かれていない船には手出しできないんだもの。

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