第10話 真相

 クラフトは、じっとデビーを見た。

 デビーは少し考えてから答える。

「うーん、そうね。これかな? っていう予想はあるけど確証はないから、少し試してみましょうか」

 デビーは立ち上がり、クラフトの前に歩み寄った。クラフトはビクッと身を縮こまらせて、じりじりと後ずさる。

「そんなに怖がらなくたって、とって食いやしないわよ。おいで。私の足元に跪きなさい」

 ジョナサンは驚いた。あれほどデビーを怖がっているクラフトが、言われるがままにデビーに近づき、その足元に膝をついたのだ。

 自分でその姿勢をとったにもかかわらず、クラフトは狼狽して今にも泣き出しそうな顔をしている。

「え? あれ? なぜだ?」

 様子がおかしい、と怪訝に思ったジョナサンが尋ねた。

「おいおい、どうしたんだよ」

「体がひとりでに動くんだ! 助けてくれ!」

 慌てふためくクラフトの顎に細い指をかけ、デビーは愛おしげに微笑んだ。

「ああ、やっぱりそうだわ。あなた、海の生き物なのよ。だから私には逆らえない」

「なんだと!?」

「えっ? どういうことだよ。教えてくれ、デビー」

 指先でクラフトの顎の下をくすぐりながら、デビーは答えた。

「海の生き物の一つにね、セイレーンっていうのがいるの。歌が上手な人魚なのだけど、海の上でその声を聞いた船乗りは、みんな自分から海の底にやってくる」

「クラフトがそのセイレーンだってのか? 俺には人間に見えるがな。ちゃんと足がついてるし、鱗もない」

「そうだ! 僕は人間だ!」

 デビーは顎にかけた手に力を込めて顔を自分の方へむかせ、クラフトの目を覗き込む。

「本当にそうかしら? 普通の人間は、同じ船に乗った者の気を狂わせるなんて芸当、できないのよ」

「僕の仕業だっていうのか? 僕は一度だって、そんなこと望んでいない!」

「わかってるわ。やりたくてやったわけじゃないのよね」

 クラフトの揺れる瞳をじっと見ながら、デビーはゆっくりと説明を続ける。

「きっと遠い昔、あなたのご先祖様はセイレーンと交わったのでしょう。たまにいるのよね。事情はそれぞれだけど、種族の壁を超えていく子が」

 信じがたい、と言った様子で言われたことをゆっくり咀嚼するように黙り込んでから、クラフトは呟いた。

「僕の先祖が、セイレーン?」

「そう。そして、船乗りを惑わす声が子孫に引き継がれた。危険だから血族の者が船に乗るのを禁じたはいいものの、時とともに掟ができた理由が忘れ去られ……、ってところかしら」

 デビーが「もう楽にしていいわ」と言うと、きっちりした姿勢を強制されていたクラフトは、その場にへたっと崩れ落ちる。

 クラフトは天を仰いだ。

「つまり、みんなが死んだのは僕の声を聞いたせいだということか」

 それからハッとして、ジョナサンの方へ怒鳴る。

「耳を塞げ! 聞くな!」

「いや、そんなこと言われても、もう聞いちまってるし」

「なんでそんな余裕なんだ! 死ぬんだぞ!」

 焦るクラフトをよそに、ジョナサンはヘラヘラ笑っている。

「問題ねーよ。俺が海に飛び込んでも、デビーがなんとかしてくれるだろ。な?」

「もうなんとかなってるわ。私はすごい悪魔だから。私と契約している限り、ジョナサンは海難に遭わない。あなたの歌も効かないわ」

「わーお! すげー! さすがデビー様!」

「ふふん。感謝なさい。崇めなさい」

「よーし。次の島に着いたら、ちょっと奮発しておいしいお菓子を買ってやろう!」

「貢物とは良い心がけね。せいぜい頭を悩ませて私にふさわしい物を選びなさい」

 ジョナサンとデビーがじゃれているのをさえぎって、クラフトは頭を下げた。

「デビー・ジョーンズ。重ね重ねすまないが、頼みがある」

「なにかしら」

「僕に「海にいる間は口をきくな」と命じてくれ」

「あら、いいの? さっきも言った通り、ジョナサンはあなたの声を聞いても平気なのよ?」

「ああ。君たちは、漂流している僕を親切で拾い上げた。今後も、誰か拾うかもしれない。そうでなくとも、僕がこの船以外に乗らないとも限らない」

 迷いのない目でクラフトは続ける。

「僕は、兄上の魂とともに、この真実も持って家族の元へ帰らなければならないのだから、安全のために打てる手は打つべきだ。この呪わしい危険な声が、もう人を殺さないようにするには、こうするほかはない。頼む」

「いいでしょう。そのお願い、聞いてあげる」

 デビーは、クラフトの首に片手を当て、苦しくない程度に軽く力を加えた。親指の先と人差し指の先で、太い血管が脈を打っている。

 クラフトは、蛇に睨まれた蛙のように縮み上がってぎゅっと目を閉じた。

 噛んで含めるようにゆっくりと、デビーはクラフトに命令を下す。

「海にいる間、あなたは声を出してはいけない。いかに恐ろしい目に遭おうと、悲鳴をあげてはならない。嵐の海に投げ出されても、助けを呼んではならない。その命が尽きる瞬間にも、断末魔をこらえなさい。わかったかしら?」

 クラフトは、こくんと頷いた。

 とくに、なにかが起きたわけではない。

 ジョナサンは自分の時のように文様が現れるのかと思ったが、そんな様子は全くないので拍子抜けしてしまった。

「本当に声が出なくなったのか?」

 ジョナサンに聞かれて、クラフトはパクパクと口を動かす。声は出ない。

「ほんとか〜?」

 ジョナサンは興味津々にクラフトの口を覗き込み、エイっと脇腹を鷲掴みにしてくすぐり始めた。

「〜っ!」

 クラフトの口からは、制止の声になり損ねた、もの言いたげな息が漏れるばかりで、なんの抗議も飛んでこない。

「おー、こりゃすげえ。マジっぽいな」

「〜! 〜! 〜っ!」

 クラフトはジタバタ暴れて、勢いに任せてジョナサンに頭突きをかました。

 ゴチンと鈍い音がして、両者はその場にうずくまる。

「いってえ……」

「……っ!」

 呆れた顔で二人を眺めながら、デビーはふふっと笑った。

「今日はもう寝ましょう。日が沈みかけてる。夜更かししても灯りの油がもったいないし」

「っ!」

 クラフトが、バッと起き上がってデビーに詰め寄る。

「お兄さんの魂について話せってことね?」

 デビーはうっすら笑って、クラフトを制止した。

「私の話は、明日してあげる。それを聞いてから、あなたは身の振り方を考えなさい。いいわね?」

 クラフトは肩を落とし、ジョナサンに目配せしながら自分の方を指差してみせた。

「ん? あ〜、自分はどこで寝ればいいかって? 悪いな、この船、俺一人用だったから、寝床は一つしかない。俺たちは床だな」

 それとも、といたずらっぽく笑ってジョナサンは続ける。

「デビーちゃんの子供体温を湯たんぽに寝るか?」

 クラフトは「そんな怖いことできるわけがないだろう!」という顔でブンブン首を横に振った。

「あら、遠慮しなくてもいいのよ。仲良く並んで寝ましょうか」

 デビーにクスリと微笑まれると、クラフトは首を振りながら後ずさる。デビーが一歩近づくたびにクラフトは驚いた猫のように飛び上がる。

 ひとしきりクラフトで遊んで満足すると、デビーは船倉にある寝床へ向かった。

 ジョナサンは、一日の終わりに船の確認作業をする。

 帆やマストの様子。ロープの結び目。舵の動き。

 風や波の強さ。潮の流れ。星の位置。船の進路。

 そういう諸々を確認し終えてから、なぜかクラフトが甲板に残っていることに気がついた。

「ん? どうしたんだ? 先に寝てればよかったのに」

 返事はない。ジョナサンは笑った。

「ああ、なるほど。デビーと同じ部屋で寝るのが怖いのか」

 クラフトは首を横に振った。

「ん? 違うのか? じゃあ、お前ももうちょっと海を見てたかったとか?」

 クラフトはもう一度、首を横に振った。

「うーん、思ったより不便だなあ」

 困り果てているジョナサンに、クラフトはペンを握って文字を書く動作をしてみせる。

「ああ、筆談で行くか。オーケー」

 ジョナサンは、航海日誌をつけようと船に置いていたペンと羊皮紙をクラフトに手渡す。

 クラフトは、サラサラと羊皮紙にインクで文字を書き連ねた。

「礼を言う。僕を拾い上げてくれてありがとう。あそこで君たちが助けてくれなかったら、僕は自分が何者なのかもわからないままに呪いを振りまき続け、なにも成し遂げられないまま死ぬしかなかっただろう」

 ジョナサンは苦笑いを浮かべてはにかんだ。

「そんな大袈裟な」

「この恩は必ず返す。セイララルの名にかけて」

「いやいや。だからいいって」

「なんだと。この僕がここまで言っているんだ。素直に受け止めればいいじゃないか」

 ジョナサンは、内心「こいつちょっとめんどくさいな」と思いながら答えた。

「デビーは話を聞いてから身の振り方を考えろって言ってただろ? デビー・ジョーンズはわるーい悪魔で、俺はその手先なんだぜ? お前はデビーから兄貴の魂を取り返したいらしいが、俺はお前じゃなくてデビーの味方だ」

 クラフトはぐっとたじろいで、ペンを持つ手を止めた。

「うーん、じゃあこうしよう。この船に乗ってる間、夜の見張り番を俺と交代でやってくれ。それで貸し借りチャラってことで」

 クラフトは不満げな顔でペンを走らせる。

「そんなことでいいのか」

「いいのいいの。交代の時間になったら起こしに行くから、それまで寝ててくれ。デビーは起こすなよ」

 ジョナサンはクラフトを船倉まで案内して、ついでにデビーがもう眠っていることを確認する。

「まあ、そのデビーの事情ってやつ、俺もまだ聞いてないから気になってはいたんだよな。お互い、明日の話は楽しみにしとこうぜ」

 軽く手を振ると、ジョナサンは甲板へ出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る