第9話 クラフトの話③
デビーは頬を膨らませた。
「なんで怒ってんだよ」
「だって、やっぱりさっき聞いた話と同じなんだもの。魂の抜けた大事な人のために頑張る話。ジョナサンと一緒だわ」
「む? そうなのか?」
クラフトは、ガシッとジョナサンの肩を掴んで、ユッサユッサと揺さぶる。
「頼む! その話詳しく教えてくれないか! 兄上の治療の手がかりになるかもしれない!」
「待て待て、多分参考にはならねえよ。俺の時は、悪い呪術師に魂を抜かれたから、その呪術師をぶっ飛ばした、ってだけだ。魂のありかがわかってたから、奪い返したんだよ」
クラフトは少し考え込んで、デビーの方をチラッと見て、またウンウン唸って考え込み始めた。
「どうしたんだ?」
「ええい、考えてても仕方ない! デビー・ジョーンズ!」
ビシッ、と指をデビーに突きつけると、クラフトは叫んだ。
「兄上の魂を返してもらう!」
「無理よ」
「なぜだ! 兄上は魂だけがお前のところに行ったのではないのか? なんでもするから僕たちに兄上を返してくれ!」
デビーは愉快そうに、唇の端を釣り上げた。
「なんでもするって言ったかしら?」
クラフトは身の危険を感じてびくりと肩を震わせ、大慌てでジョナサンの後ろに隠れてから答えた。
「そうだ! なんでもやってやる!」
「人を盾にしてさえいなけりゃ、見上げた根性だって褒めてやれるんだがなぁ……」
「う、うるさい! 仕方ないだろう!? だって悪魔だぞ!?」
「ジョナサン、これが普通の反応よ。あなたも少しは見習って私を恐れ敬いなさい」
デビーはクスクス笑って、ひとしきりビクついているクラフトの反応を楽しんでから言った。
「私、あなたのこと気に入ったわ」
「じゃ、じゃあ……!」
「待って」
恐る恐るジョナサンの後ろから顔を出したクラフトを、デビーは制止した。
「その前に、あなたの話を最後までしなさい。こっちの話はその後よ」
「わかった」
クラフトは、深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、続きを話し始めた。
と、言っても話すことは二つしかない。
いろんな船に乗ったことと、そのことごとくが沈んだこと。
なにが起きたのか、僕にもわからないのだけど、とにかく、みんな海の底に沈んで行った。
僕は、人と一緒に船に乗るべきではなかったんだ。
海に出るのなら、一人きりで。そうでなければいけなかった。僕と同じ船に乗ったばかりに死んだ人間のなんと多いことか。
兄上のためならばどんな困難にも立ち向かうつもりでいた。どんなに辛かろうと歯を食いしばって耐えることができる。でも、その結果がどうなるかを、僕はその目で見るまで理解していなかった。
最初の船は香辛料を運ぶ貿易船だった。一攫千金を狙っていたのだろう。船も新しいし乗組員も若かった。
初めて航海に出た僕に色々教えてくれた親切な人たちだったが、ある夜全員が自分から海に飛び込んで、僕だけが取り残された。
必死で止めたが、誰も助けられなかった。
光を失った、茫洋とした目でひたすらに海だけを見つめていたよ。
みんな、正気を失ったような顔つきでブツブツと「歌が聞こえる」と言いながら、フラフラと海へ飛び込んでしまうんだ。
操る者のいなくなった船は時期に暗礁に乗り上げて沈んだ。
二隻目は、海賊船だった。粗野な乱暴者たちの集まりだったが、船の切れ端につかまって漂流していた僕を助けてくれた、気のいい奴らだった。
ある日、船長が下っ端たちに命じた。
「お前ら、殺し合え」
下っ端たちは、なんの異も唱えることなく従った。
短刀を突き立て、銃を放ち、大砲を人に向けて撃ってた奴もいたな。
船内は血と火薬の匂いでいっぱいになった。
全員が死んだのを確認してから、船長は鼻歌を歌いながら船を渦潮の中に進めて、全てを海の藻屑にした。
三隻目は漁師の船だったな。
僕は彼らの網に引っかかって助け上げられた。親子で協力して魚を獲っていたよ。
親父さんが突然「餌が足りねえ」と言い出した。
息子は「わかった」と言って、魚を捌くためのナイフで自分の首をかき切ってから、迷いなく海に飛び込んだ。
血の匂いに誘われて巨大なサメがやってきた。
飛び込んだ息子を食べても腹は満たされなかったようで、人毛と息子の服が絡まった歯で船に食らいついてきた。
親父さんはそいつに銛を突き刺すと、暴れるサメに飛び乗って、サメもろともどこかへ行ってしまったよ。
四隻目は、海軍の船だった。
漁船に一人取り残されて途方に暮れていた僕を、彼らは助けてくれた。
最近ここいらに出没する海賊を討伐に来ている、と言っていた。
軍人たちは焦っていた。いつまで経っても海賊が見つからないからだ。
「密偵がこの船に潜り込んでいるのではないか」
上官が言い出した。
部下を一人一人呼び出して「お前は海賊か?」と聞いた。
「自分は海賊ではありません」
「嘘だな」
上官は部下を撃ち殺した。
「この身は女王陛下に捧げたものです」
「そうか。ならば死ね」
上官は部下を撃ち殺した。
「軍に殉じる覚悟はできています」
「よろしい。それでこそ軍人だ」
上官は部下を撃ち殺した。
部下を皆殺しにすると、上官は自分のこめかみに銃口を押し当てて「女王陛下万歳!」と叫ぶと引き金を引いた。
血と脳漿にまみれた船内に、僕だけが取り残された。軍艦は嵐にあって沈んだ。
五隻目は、高貴な者の船だった。
僕は気がついたら豪奢な船にいた。気を失って流されていた僕を、親切心で拾って介抱してくれたんだ。
きらびやかな船内では、社交パーティが開かれていた。
乗客は繊細な刺繍を施された衣装をまとって、シャンデリアの下で踊っていた。テーブルに並べられた料理は目にも鮮やかですばらしいものばかりだった。
僕は船室を一つ借りて休ませてもらったけれど、次の朝部屋を出ると、人々はテーブルについたまま、人形のように動かなくなっていた。肩を掴んで揺さぶると、ガクンガクンと首が揺れ、力なく床に崩れ落ちてしまった。今思うと、料理に毒でも混ぜてあったのだろうな。
その時船ががくんと揺れた。人の声が聞こえたので、生きている者がまだいるのだとわかって、生存者を探した。
召使いたちが、力を合わせて船を破壊していたよ。
メイドは主人の宝石を投げつけて窓を割り、衣装係は帆を切り刻み、料理番は油とスパイスをぶちまけて火を放っていた。
音楽隊は、船が沈むまで楽器を演奏し続け……。いや、大丈夫、僕は正気だ。本当にこんな感じだったんだよ。狂気じみてると思うのもわかるけどね。
船が沈む直前、音楽隊の歌手が、金切り声で言った。
「歌が聞こえる!」
ねえ、答えてくれデビー・ジョーンズ。海の悪魔たる君ならば、答えを知っているんじゃないか?
僕は一体なんなんだ。
どうして僕が乗った船の者たちは、みんな死んでしまうんだ?
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