第7話 クラフトの話①
「僕の名はクラフト・ルーベンシュタイン・セイララル。栄えあるセイララル家の末の息子さ。まあ、長いからクラフトと呼んでくれたまえ」
気分が落ち着いたおかげか、クラフトは朗々と芝居がかった調子で言葉を続ける。
「僕の家には掟があった。「海に出るべからず。いかなる理由があろうとも、航海に出てはならない」……。だが、僕はね。海に出るのが夢だったんだよ。小さい頃からね」
そこまで聞いてデビーは指を鳴らした。
即座に蛸の足が伸びてきてクラフトを逆さまに吊るし上げる。
「ぎゃー! なにをするんだ!」
「その話さっきも聞いたから別のにしてくれない?」
「君たちが話せって言ったんだろう!? だいたい、聞いたことなんかあってたまるか! 唯一無二の僕の人生だぞ! ぎゃー! やめろ! くすぐるな! あははははは!」
慌ててジョナサンが止めに入った。
「こらっ! ダメだろデビー! 人の話を途中で遮るんじゃない!」
「だって! ついさっき聞いた話と全く同じ導入なんだもの!」
「大丈夫だって。大体の昔話は「昔々あるところに」から始まるけど、そこから先は違うだろ?」
デビーは渋々指を鳴らして蛸を引っ込めた。放り出されたクラフトは、弱々しい悲鳴を漏らしながらさっと身を起こして、ジョナサンの後ろに隠れる。
「なんなんだよもう! もう嫌だ! 樽につかまって漂流してた方がまだマシだ!」
「まーまー。デビーちゃんも反省してるから大丈夫だって。続きを聞かせてくれよ」
「そうよ。とっとと続きを話しなさい。くだらない話だったらまた蛸を呼ぶわよ」
「反省してるようには見えないんだが!?」
クラフトは「もうしない?」とジョナサンの後ろに隠れたまま何度も聞き、五回目あたりでデビーが「しつこいわよ」と怒り始めた。
「わー! やめろ! 続けるから! そのぬるぬるを僕に近づけるんじゃない!」
クラフトは恐る恐る二人の間に腰を下ろして、続きを話し始めた。
僕の家は、古くよりとある島を治めている領主の家でな。海に出るなと言われている以外は、まあ一般的な支配階級の家なのではなかろうか。
幼い頃、僕は父上に聞いた。
「なぜ海に出てはいけないのですか? 僕、海の向こうに行ってみたい」
父上は答えた。
「海に魅入られてしまうからだ。我々が乗った船は必ず沈む」
「そんなもの、行ってみなければわからないではないですか」
食い下がる幼い僕の頭を、兄上が撫でてくれた。
「そうだな。クラフトの言う通りだ。やってみなけりゃわからない。さすがは僕の弟だ。その勇気と挑戦する気持ちを、忘れてはいけないぞ」
一番上の兄上は、優しくて勇気があって、みんなから好かれていた。僕も兄上が大好きだ。
当然父上の後は一番上の兄上が継ぐものだと、誰もが思っていた.
僕たち兄弟は、兄が二人、姉が三人、そして僕の六人兄弟だ。
一番上の兄上は、弟妹たちの将来をとても案じてくれていた。
ある日兄上は、弟妹たちに希望を聞いた。
二番目の兄は「あなたの補佐役になりたい」と答えた。
一番上の姉は「私は家のことを取り仕切ります」と答えた。
二番目の姉は「この島の民の面倒を見ます」と答えた。
三番目の姉は「私は外交を担当しましょう」と答えた。
僕だけが、なにも自分の役割を見つけ出せなかった。
兄上はにっこり笑った。
「お前は外に行きたいのだものな。僕たちも、ずっとここに引きこもっているわけにもいかないだろう。船を手配するから、外に行って色々見て回るのはどうだ? この島のためになりそうなものを見つけて、持ち帰ってくれ」
僕はとても嬉しかった。
兄上は、幼い僕が語った夢を覚えていてくれた。そして、その希望を尊重してくれると言う。僕自身ですら、成長するうちに無理だと決め込んで口に出さなくなった夢を、後押ししてくれると言うのだ。
しかし、猛反対する者がいた。父上と母上だ。
「絶対にダメだ。掟を忘れたか」
「お前はクラフトを海に捨てて殺すつもりなの?」
兄上は反論した。
「なぜ止めるのです。規則というものは、時代に合わせて変えていかねばいけません。クラフトは賢い子だ。きっとこの島に新しい未来を切り開いてくれます」
三人は激しく言い争った。
僕は、父上と母上を悲しませるつもりはなかった。僕のせいで家族が揉めるのは嫌だった。
「兄上、もう充分です」
「ダメだ! 古臭い掟のために、お前が夢を諦めて人生を棒に振るなんて!」
「棒に振ったりしません。この島のため、兄上たちのため、島民たちのために生きるのです。素晴らしいことではないですか」
兄上はじっと僕の顔を見てから、キッと眉を吊り上げた。決意を固めた、という顔だった。
「では、こうしましょう。僕がまず海に出ます。隣の島まで行って、必ずや無事に帰ってきてご覧に入れましょう。そうすれば、掟など無意味だとわかるはず。僕が帰ってきたら、クラフトの遊学を認めてくださいますね?」
両親が止めるのを振り切って、兄上は海に出た。
僕は気が気じゃなかった。
僕のために兄上が危険な目に遭うのは嫌だった。出港前、僕は兄上について行くと駄々をこねた。
「僕もついて行きます。僕のために兄上がそこまでしてくれるのに、一人だけ安全なところにはいられません」
兄上はそれを断った。
「なに、心配することはない。実を言うと、僕も海に出てみたかったんだ。いい子で待っていてくれるな?」
おそらく、掟ができた理由を突き止めるつもりだったのだろう。
古臭い掟だと常々言ってはいたが、聡明な兄上のことだ。頭から迷信だと決めつけて見ないふりをするようなことはない。
掟にはなにか理由があると踏んで、僕が出航する前にそれを見極めて、なんとか取り除く腹づもりだったのだろう。
僕は、兄上の帰りを今か今かと待った。
本来なら、兄上が帰ってきたら船を引き継いですぐに出航できるよう準備しておくべきだったのだが、なにも手につかなかった。
自分の将来のことなどすっかり頭から抜けていた。兄上が無事に帰ってきてくれさえすればよかった。
暇さえあれば海を見て、兄上の船が帆を張って港に入ってくるのが見えはしないかと、首を長くして待っていた。
兄上は、なかなか帰ってこなかった。
風の匂いが変わり、海の色が変わり、食卓に上る魚の種類が変わった。
母上にため息が増え、父上は口数が減り、二番目の兄上は最悪の場合に備え始めた。姉上たちは「気に病んではいけません」と僕を抱き寄せた。
誰も僕を責めはしなかったよ。
みんな、兄上のああいうところが好きだったのだから。誰かのために頑張れる兄上だった。みんな、一度は兄上のああいう無鉄砲で勇気ある行動に救われたことがあった。たまたま、今回は僕だった。それだけのことだ。
でも僕は、僕が許せない。
だって、ある日ひょっこり帰ってきた兄上は、それはそれは酷い有様に変わり果てていたのだから。
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