第5話 ジョナサンの話④

 デビーはじっとジョナサンの方を見る。

「そうね。聞かせてもらおうかしら」

 ふふ、と軽く微笑んでから、デビーは言葉を続ける。

「って言っても、オチはもう知ってるのよね」

「それもそうか。まあ、どうせ暇なんだし聞いてくれてもいいだろ。俺ってば結構頑張ったんだぜ? あんなおっかない海賊相手に立ち回ってさあ」

 ジョナサンは軽く息をついてから、話を続けた。




 デビーと契約した後、俺はエドワードの船に向かった。

 嫌な船だったぜ。近づいただけで、中からなんか変な匂いするんだ。

 葉巻の匂いと、血の匂いと、酒の匂いと、あと、何かが腐ったような匂い。いろんな匂いが混ざり合っててな。正直入りたくなかった。だって臭いもん。

 相変わらず中の海賊どもは、どんちゃん騒ぎをしているようだった。

 俺はでっかいガレオン船の隣に自分の船を止めて、船につながっているもやい綱をよじ登って船に忍びこむことにした。

「なにをしに行くの?」

 デビーが言った。

「村長の魂を取り返しに。あいつが変な瓶に閉じ込めちまった。あの瓶を開けさえすれば、きっと目を覚ますに違いねえ」

「ふーん。ま、せいぜい頑張んなさい。私はアテにしないことね」

「なんでだよ悪魔パワーでなんとかしてくれたりとかは……」

「するわけないでしょ? どうして私があなたのために骨を折らなきゃならないの?」

 それに、とお前は気まずそうに目をそらした。

「悪魔はルールに則ってしか動けない。契約にうるさいものなの。他人の船には、乗っている人間からの招待がなければ手出しできないの」

「ほー。ずいぶん素行がいいんだな」

「なによ。文句あるの?」

「オッケー、大丈夫。作戦は考えてあるのさ」

「そう。それじゃあ、いい報告を待ってるわね」

 俺は甲板に上がりこむと大声で叫んだ。

「エドワード! 俺と勝負しろ! 俺が勝ったら村長の魂は返してもらう!」

 呑んだくれて騒いでいた海賊どもが一瞬静まり返って、次の瞬間一斉に大笑いし始めた。

「ぎゃはははは! おい聞いたか? この坊主船長に挑むんだってよ!」

「俺はこの坊主がションベン漏らす方に金貨五枚賭けるぜ!」

「やめろやめろ。賭けにならねえ。誰もこいつが勝つ方になんか賭けねえんだからよ」

「おい、他の奴ら呼んでこい! おもしれえ見世物が始まるぞ!」

 下っ端の海賊どもはゲラゲラ笑って俺を船に迎え入れた。

 そして、気がついたら目の前にはエドワードが立っててな。あいつ、でかいから見下ろされると怖いんだよなあ。

「ほー。いいガッツだなぁ、ニイちゃん。そいじゃあ、俺が勝ったらなにをくれるんだぁ?」

「俺の魂をやるよ。それでいいだろ」

 エドワードは俺を見て、大笑いした。

「はっはっはー! 聞いたか野郎ども! こいつ、自分の魂をくれるんだそうだぜ!」

 エドワードはスッゲー近くまで顔を寄せてきて、俺を値踏みした。頭のてっぺんからつま先までジロジロ見られてさあ。あいつ、めちゃめちゃ口臭かった。

 じっくり俺を舐めるように見てから、エドワードはきっぱり言った。

「断る」

 海賊どもがまた、ゲラゲラと大笑いした。

「ええ! なんでだよ!」

 俺は慌てた。勝負のテーブルにつけなけりゃあ、作戦もなにもあったもんじゃないから。

「お前の魂にどんだけの価値があるってんだ? この村から出たこともないような、ちっぽけな小僧の魂によぉ」

 ぐぬぬ、と俺は歯噛みした。

 魂のレートとか正直よくわからんけど、確かに俺は、入江までしか船を出したことがない、妄言を吐き散らすだけのちっぽけな小僧だ。

「じゃあわかった。お前、宝石を探してるんだってな。俺がその手がかりを持ってるって言ったらどうする? 村長にしたみたいに、魂にして聞いてみたいんじゃないのか?」

 エドワードの顔色が変わった。

「ほーう、どんな情報を持ってるってんだ?」

「それを知りたきゃ俺に勝ってみろよ。それともなにか? お前は海に出たこともないような小童の挑戦から、尻尾巻いて逃げるってのか?」

 我ながら安い挑発だけどさ、俺はどうしても、奴と対決しなけりゃならなかった。

 ずいっと顔を近づけてきて、かっ開いた瞳孔で俺を見る。

「いらねえことは言うもんじゃねえぞ。ここまで言われちゃあ、断れねえなあ! 海賊稼業は舐められたらおしまいだからよぉ。俺が勝ったら、お前の魂は俺のものだ」

「勝負に乗るってことでいいんだな?」。

 で、俺たちはポーカーで決着をつけることになった。

 下っ端の海賊が、ニヤニヤ笑いながら俺たちにカードを配る。見物してる奴らが好き勝手な野次を飛ばしてくる。

「イカサマしたっていいんだぜ?」

 俺が言うと、エドワードは大声で笑った。

「ハハハハハ! いい度胸だニイちゃん! 今ここで床に額を擦り付けて命乞いすれば、奴隷にしてやってもいい」

「必要ないね。先約がいるもんで」

「先約?」

「いや、なに。こっちの話だ」

 配られた手札を見る。

 ダイヤのA、クローバーの三、スペードの六、ダイヤの六、クローバーの七。ワンペア。正直弱い手札。

 エドワードは余裕たっぷりに葉巻を吹かしながら、どうぞと言わんばかりに手を差し出した。

「お前は交換しなくていいのか?」

「必要ないね」

 村長の時と一緒だった。エドワードはニヤニヤといやらしく唇をひん曲げて笑っている。

 俺は、できる限り不敵に笑って言ってやった。

「俺も必要ない。さあ、勝負だ」

 手札を晒してみせると、エドワードと海賊たちは腹を抱えて爆笑し始める。

「オイオイオイ、ニイちゃんよぉ、ポーカーのルールを知らねえのか? 悪いが、俺の勝ちだぜ」

 エドワードは、勝ち誇って手札を晒す。ロイヤルストレートフラッシュだった。

「約束通り、魂をもらうぜ?」

 村長の時みたいに、俺に煙が吹きかけられる。

 甘ったるい煙の匂いに、頭がクラクラして気が遠くなる。俺はその場に倒れ込んだ。

 俺は、心の中でほくそ笑んだ。

「俺の勝ちだ、エドワード」

「なに言ってんだ? ポーカーのルールをお勉強してから出直してきな。まあ、その機会は永遠にないが」

「お前はもう詰んでる。おっかない悪魔の持ち物に手を出したんだから。俺は一言、こう言うだけでいい」

 大きく息を吸い込んで、俺は力の限り叫んだ。

「デビー・ジョーンズ! お前をこの船に招待する!」

 船がミシミシと軋み始める。最初は小さな音だったけど、だんだんと音が大きくなってくる。海賊たちが不安げにざわざわし始めた。

「お頭ー! バケモノです! 船が襲われてます!」

 様子を見に行った乗組員が叫んだ。

 船が大きく揺れる。なにか大きなものに掴まれて、揺さぶられているみたいだった。

 気が遠くなっていく中、確かに見えた。マストよりも太いような馬鹿でかい蛸の足が、船全体に絡みついて、船板もマストもなんもかんもバキバキへし折っていくのがさ。

 蛸足の中の一本に、お前が乗っていた。

 ぬるりと甲板に乗り上げてきた蛸の足から飛び降りると、お前はエドワードの方にツカツカと歩いて行った。

「あなたね。私の物を盗もうとする愚か者は」

「なんだてめえは……!」

「名乗る必要はないわ。あなたはここで海に沈むのだから」

 海賊たちは、悲鳴をあげて蛸の足から逃げ回って、捕まって、海に引き摺り込まれたり、握りつぶされたり、散々な目に遭っていた。

 エドワードは、魅入られたようにお前から目が離せなくなっていた。

 いやあ、見事な固まりっぷりだったぜ。俺が起き上がって、あいつの上着をめくり、村長が詰められた瓶を拝借しても、お前から目を離せずに固まったままだったんだから。

 そして、身じろぎもできないまま蛸足にさらわれて海の底に消えて行った。

 少しの間、木が割れる音と人間の悲鳴で耳が壊れそうだったが、すぐに静かになった。

 海賊たちをみんな海の底に引きずり込むと、でかい蛸はいつのまにか消えていた。俺も、煙の効果が抜けたのかすぐに元気になった。

「いやあ、ありがとうなデビー。来てくれるって信じてたぜ」

「あなたも蛸の餌にしてあげましょうか。私が来なかったら、その魂をあの海賊にくれてやる気だったの? 契約早々浮気とはいい度胸ね」

「違う違う。俺はお前を信じてたんだよ。「私のものに手を出す愚か者は、残らず海の藻屑にしてやるんだから」って言ってただろ? 俺が盗まれそうになったら、泥棒をとっちめてくれるって信じてた」

 デビーはやれやれと溜息をついた。

「はあ。今回のところは特別に許してあげるわ。出航しましょうか。それで? 宝石の手がかりはゲットできたの?」

「え? いや、その情報知ってそうな海賊なら、さっきお前が海の底に引きずり込んだけど……」

「しまった!」

 デビーは頭を抱えた。

「えっ? 海の底で尋問するとかはできないのか?」

「できないわよそんなの! 死人が喋るわけないでしょ!」

「つまり、お前は後先考えずに情報を持ってそうなやつを消しちまったと」

「なによー! 私が悪いって言うの!? 奴隷のくせに生意気よー!」

「いや、どう考えてもお前が悪いって言うか……」

「もー! ちょっとは進展するかと思ったのにー! もー!」

 悔しそうに俺をひとしきりポカポカ殴ると、お前は気を取り直して咳払いした。

「こほん。やってしまったものは仕方ないわ。気を取り直して次、行ってみましょう」

「おう。そんで、次の目的地は?」

「…………。ひとまず隣の島まで行きましょうか」

「もしかしてなんのあてもない感じか?」

「うっ、うるさいわね! それを探してくるのはあなたの仕事よ!」

 デビーは俺に向かってビシッと指を突きつけて言った。

「船出の準備をなさい! 出発するわよ!」

「はいよ。仰せのままに」

 俺は船を出して、入江の外へ向かった。

 帆が風をつかまえたのを確認してから、エドワードからかっぱらった瓶を開ける。煙はするすると瓶から溢れ出し、村の方に流れて行った。

 今思えば、出発前に村長に挨拶ぐらいすればよかったかもなあ。

 いや、どうせまた「外には出るな」って言われるか? わかんねえな。

 入江を出る直前にさ、村長の船が動き出すのが遠目に見えたんだ。

 村の港につないであった村長の船に帆が張られて、俺の船の方へ向かってくるところだった。

「おーい! 村長! エドワードはやっつけたぜ! 俺はアンタの想像を超えた! すげえだろ!」

 ドォン、と大砲の音が聞こえた。でも、なにかが飛んでくる様子はなかった。

 都会の方では、祝いの席に空砲を鳴らすらしい。もしかして、祝砲のつもりで鳴らしてくれてたのかもしれねえな。

「俺は海に出る! 悔しかったらアンタも来てみろってんだ!」

 俺はついに入江の外に出た。海ってこんなに広かったんだって、感動したよ。

 ありがとう、デビー・ジョーンズ。お前のおかげで、俺は夢を叶えたんだ。

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