第4話 ジョナサンの話③
そこまで聞いて、デビーはため息をついた。
「村長さん、負けたんでしょ」
「おう。なんでわかるんだ?」
「どこだったかの島の呪術師にね、怪しげな葉巻を使う流派があるのよ。その煙を吸うと、急に意識を失ったり、一時的に正気を失ったり、幻覚を見たりするって話よ。煙を吸わせた時点でエドワードの勝ちだわ。幻覚で強い手札を見せればいいだけだもの」
ジョナサンは感嘆の声をあげた。
「へぇ〜、そういうからくりだったのか。どうりで自信満々なはずだ。ああ、魔法の葉巻ってそういう」
「いろいろ遅いわよ、もう」
「いやー、さすがデビーはかしこいなあ。すごいすごい!」
「若干バカにされてる気がするのは流してあげるわ。寛大な私に感謝なさい」
「いやいや、ほんとに感心してるんだよ。俺結局最後までわかんなかったからさあ。なんかイカサマされてるなってのは、薄々思ってたけど」
すごいすごい、と言い続けるジョナサンに、最初は懐疑的な目をしていたデビーも次第に得意げな顔に変わっていく。
「ふふん。そういうことなら思う存分褒め称えるがいいわ」
「よし、じゃあ続き話すか」
パチンと指が鳴った。
「ぎゃー! なんでだよ!」
「別に。もっと褒めて欲しかったとかそういうわけじゃないから」
「えっ、あっ、もっと褒めて欲しかったのか。ごめん!」
「違うって言ってるでしょ!?」
再び指が鳴る。しかしカモメの大群の勢いは止まない。そこへ、船べりから大量のカニが上がり込んで来た。
カニたちはジョナサンを取り囲んで、カチカチとハサミであちこちを挟む。
「ぎゃー! 新しいやつ! カニも呼べるのか!」
「海のものならなんでも呼べるわ。ほら、早く続き話しなさいよ」
「無茶言うなよ! ごめんて! イテテテテ!」
「アッハッハ、滑稽ですこと。仕方ないから許してあげるわ」
パチン、と再びデビーが指を鳴らす。するとカモメとカニの猛攻は一斉に止み、各々が元いた場所に帰っていく。何匹かのカモメが、ちゃっかりカニを咥えて飛んで行った。
「えーと、どこまで話したっけ?」
「村長さんとエドワードのポーカー対決のところまでよ」
「そうそう。じゃあ、続きを話そうか」
ジョナサンは髪の毛にくっついたカモメの羽を払い落としながら、続きを話し始めた。
エドワードは、ほらよ、と勝ち誇った顔で手札を晒した。
ロイヤルストレートフラッシュだった。村長の顔が青ざめる。
「約束通り、お前の魂をもらう」
「魂ったって、どうする気だ。俺の魂って呼べるようなもんは、あの船だけ。とっくにお前のもんだろうが」
「オイオイオイ。ワルだねえ元船長。掛け金もないのにテーブルに着いたのかい? 詐欺だぜ詐欺」
エドワードは、嫌な笑みを崩さない。
「心配しなくても、きっちりもらうさ。俺のオカルト好きは知ってるだろ?」
そう言って、エドワードは吸っていた葉巻を握りつぶし、新しいのを取り出した。さっきまでのやつとは色が違う、真っ黒い紙が巻いてある葉巻だった。
エドワードはそいつに火をつけて煙を吸い、ふーっと村長に煙を吹きかける。村長は軽くむせて、顔の前で手をパタパタしていたが、すぐに動きが鈍くなった。
足元がふらついて、まぶたが降りてきて、軽く呻いてその場に倒れてしまう。
俺は目を疑った。村長の体にまとわりついていた葉巻の煙が、エドワードの方に流れ始めたからだ。
エドワードはおもむろに手のひらくらいの小さな瓶を取り出し、ふたを開ける。すると煙は一人でに瓶の中めがけてどんどん流れて行って、最後には全部収まっちまった。
「おい、村長? どうしたんだよ」
揺すってみても、反応はなかった。胸に耳を当てると、心臓が動いているのはわかって少しホッとしたけど、でも異常事態には変わりなかった。
「無駄だぜぇニイちゃん。そいつの魂はここだ。そこにはもう、誰もいない。抜き取って、俺のものにしちまったからな!」
エドワードは、煙の入った瓶に向かって「宝石のありかを吐け」と言ってから、そいつを耳に当てた。小瓶の中で、白い煙が渦を巻いていた。
しばらくして、エドワードは気の抜けた声をあげて肩をすくめた。
「なんだ、本当に知らねえのかよ。こりゃあ、悪いことしちまったな。だからって返さねえけど」
ハハハ! と豪快に笑ったかと思うと、エドワードはもうその場にはいなかった。煙みたいに消えちまってた。
俺は村長を抱えて、俺の家に運び込んだ。
村は荒れ放題で、みんながとってきた魚の干物が道端に散乱してた。網も竿も乱暴に放り出されてたし、壊れてない家の方が少なかった。
叩き壊された村の日常の残骸を、なるべく踏まないように家に向かった。
ベッドに寝かせてみると、本当にただ眠ってるだけみたいだった。
でも、ピクリとも動かないし、目を覚ます気配もない。心臓が動いていて、息をしてるだけだ。
村長はさ、いつも俺のことを気にかけてくれてたんだ。
うちは、父さんは俺が小さい頃に海に出てっちまったし、母さんも物心ついた頃にはいなかった。
村のおっさんたちは、俺に船の操り方を教えることに反対だった。父さんが掟を破って出てっちゃったもんだから、船を動かせるようになったら俺も同じことをするんじゃないかって思ったみたいだ。まあ、その心配は大当たりだったわけなんだけども。
でも村長は、「船が使えなきゃ魚が取れねえ。親父もお袋もいないこのガキが生きていくには、船が必要だ」って、俺にイロハを教えてくれたわけよ。
その恩人がこんなことになってる。
こんなことを平気でするやつが、海にはたくさんのさばってる。
ここのみんなも、本当は広い海が大好きなはずなのに、あんな奴らのせいで出て行くことができない。
嫌だと思った。
海ってもっと、素晴らしいところだと思ったのに。素晴らしいはずのところを、あんな奴らが踏み荒らしてる。俺にはそれが我慢ならなかった。
俺は家を飛び出して船に乗り込み、海へ漕ぎ出した。
エドワードの船は、まだ港にいた。中からどんちゃん騒ぎが聞こえていたよ。多分、盗んだ酒やらなんやらで宴でもしてたんだろう。
今朝、デビーと会ったあたりまで船を進める。また会えるかどうかは賭けだった。
「デビー・ジョーンズ。いるか」
風の音が嫌に大きく聞こえた。
「気が変わった。お前に魂をやる」
波が高くなった。船が大きく揺れる。
「その代わり、俺を海の男にしてくれ」
お前はイルカに乗って現れた。
キュー、って耳慣れない声が聞こえたかと思うと、イルカの背に腰掛けたお前がこっちに向かってやってくるところだった。
「あら、えらくお早い心変わりね。女心よりも気まぐれなんじゃない?」
「事情が変わったんだよ」
「事情って、あの海賊のこと?」
デビーはエドワードの船の方を指し示した。
「そうだ。あいつみたいなのが、海にのさばってるのは嫌だ。ぶちのめしてやりたい」
「意外と潔癖なのね。私は荒っぽい船乗りが結構嫌いじゃないのだけど」
「あいつは、人の大事なものを平気で踏みつけて、ヘラヘラ笑ってやがる。お前も、ああいうやつの方が海には向いてるって言うのか? 俺はそんなの嫌だ。それに」
俺はお前の顔をじっと見た。取引の交渉とか、俺はあんまり得意じゃなくて、魚の干物とかよく買い叩かれてたんだけど、この時ばかりは引き下がるわけにはいかなかった。
「あいつ、宝石を探してるって言ってた。ただの宝石じゃないらしい。お前が盗まれたっていう宝石の手がかりを知ってるかもしれないぞ」
「へえ。悪くない手土産ね」
「どうだ? 取引する気になったか?」
「なにを勘違いしているの?」
お前は冷たい目で俺を見た。底の見えない深みを覗いているようで、肝が冷えたよ。
「力が欲しければ、跪いて頭を垂れなさい。もし気に入ったらかわいがってあげてもいいわ」
「わかった!」
俺が即座に土下座すると、お前は慌てた。
「えっ、ちょっ、もうちょっとプライドとかないわけ?」
「ないね! 俺が切れるカードなんてたかが知れてるんだから、出し惜しみなんかしてられっか」
「え、えぇ……」
ふっふっふ。あの時の不意をつかれたお前はそりゃあかわいかったもん、ごめんなさいなんでもないですカモメは勘弁してください。
「もう! なんでそんなにあっさり決めるのよ! 私はねぇ! 屈強な海の男が力欲しさに渋々私に跪いて足蹴にされてるところが見たいのよ! そうしたら、ひとしきりあざ笑ってから「いやよ」ってつま先で転がして海に落としてあげるのにー!」
「うわ、さすが悪魔性格悪い」
「なんですって? 従僕になりたければ、もっと褒め称えなさいよ。言葉の限りを尽くして美辞麗句を並べ立てることを許すわ」
「デビーちゃんサイコー! かわいー! 素敵ー!」
俺は土下座の姿勢のまま顔だけあげて、矢継ぎ早に言葉を並べた。
お前は自分でやれって言ったくせに、アワアワし始めた。
「や、やめなさいよ! なにその言い方! 恥ずかしいでしょ!」
「照れてるデビーちゃんかわいー!」
「やめなさいったら!」
「じゃあ契約してくれるか? 俺の船に乗ってくれ」
「わかったわよ! するわよ!」
そんなこんなで、俺はお前とともに海を渡る誓いを立てたわけだ。
お前は俺にシャツを脱ぐように言った。言われた通りに俺が服を脱いでいる間に、お前はイルカの上から船の上によじ登ってきて、俺の前に立った。
左胸に、掌が添えられる。海から上がったばかりの手はひんやり冷たくて、柔らかくふやけていた。
「その一生は私のために。死後も魂は私の元に。永劫の隷属を誓うのならば、この手を取って口付けを。代わりに私は、その命ある限り理想の航海を約束するわ」
俺は迷わず、胸に当てられている手を強く握ってお前を引き寄せ……。あん時は悪かったよ。手の甲でいいって知らなかったんだ。
悪かったってば。俺だってファーストキスだったんだ、おあいこだろ。
お前は色気のない悲鳴をあげて俺の頬を引っ張った。
「ぎゃー! なにすんのよ!」
「なにって、お前がやれって言ったんだろうが」
「唇にしろとは言ってないでしょ! 手の甲でいいのよ手の甲で!」
「こうか?」
仕切り直して、手を取って甲にキスをすると、さっきまで手を当てられていた左胸に、突然文様が浮かび上がって来た。
これ、かっこいいよな、海賊になったら刺青入れてみたかったんだ。でも痛いのはちょっとなー、って思ってたからちょうどよかった。色もお前の目みたいで綺麗だし、波の模様もイカしてる。
「うわっ、なんだこれ」
「契約のしるしよ。これであなたは私のもの。後悔したってもう離してあげないから」
「望むところだよ。よろしくな」
こうして俺は、晴れてお前のものになったわけだ。ふふふ、こうやって改めて振り返るとちょっと照れるな。
次は、エドワードとの勝負の話をしてやるよ。
お前はあの場にいなかったから、ちょっとは気になるだろ?
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