第3話 ジョナサンの話②

 デビーは少し不機嫌な顔で悪態をついた。

「悪かったわね。ご飯じゃなくて」

「いやいや。人はメシだけで生きてるわけじゃない。お前でよかったよ。どんなでっかい魚よりも嬉しい釣果だ」

 パチン、とデビーの指が軽快に鳴り、カモメたちが一斉にジョナサンに襲いかかる。

「ぎゃー! なにしやがんだ! 逆らってねえだろ!?」

 慌てたジョナさんの抗議にデビーは、はにかみながらしれっと答える。

「照れ隠しよ」

「なんておかわいい! ちょっ、痛い痛い! ほんとやめて」

 再びパチンと指がなり、カモメたちが去って行く。ゼーハーと息を整えると、ジョナサンは「えーと、どこまで話したっけ?」と聞いた。

「あなたの前に私が現れて、あなたが喜びにむせび泣いてるところまでよ」

「そうそう。網にかかったデビーちゃんが「助けてー!」ってジタバタしてるところまでだったな」

 パチンと指が鳴った。

「ぎゃー! ごめんごめん! 嘘嘘! デビーちゃん様は俺の救世主だよ!」

 もう一度指が鳴る。息を整えると、ジョナサンは続きを話し始めた。




 俺はひとまず、網にかかってもがいてるお前を甲板に引っ張り上げて、絡まった網をほどき始めた。

「ちょっと、早く助けなさいよ!」

 最初は普通の女の子だと思ってたからさあ、さっきまで海に沈んでたのにえらく元気だなって不思議だったんだ。

「今やってるだろ! 落ち着けって」

「この私をこんな目に遭わせるなんて! 海の藻屑にしてやるわ!」

「待て待て。そりゃあ困るし筋が通らねえよ」

「なんでよ」

「あんたは網にかかって困ってる」

「そうね。私は困ってる」

「で、俺は網を外してあんたを助けてる真っ最中だ」

「そうね。あなたは私を助けてる」

「つまり俺はあんたの恩人だ」

「そうね。あなたは私の恩人だわ」

 言っちゃ悪いが、正直「この子大丈夫か?」って思ったよ。あんまりにも素直に俺の言い分聞いてくれるからさ。絶対お菓子とかにつられて知らない人についてくタイプだよな、お前。わー! やめろ! 指は鳴らすな!

 まあ、話を戻すとしてだ。俺は最初、お前のことをなんらかの事情でおきざり島から流れて来た人間なんだと思った。

「見ない顔だが、あんた名前は? 漂流して来たのか?」

 俺が聞くと、お前は得意げに答えた。

「私の名はデビー・ジョーンズ。船乗りたちは私のことを海の悪魔って呼ぶわ」

 威厳たっぷりにそう言ったが、なにせ網の中にいるわけだし、頭には海藻がひっついてるしで、おかしくてさ。あん時はあんなに笑って悪かったよ。

「そっかそっか〜。デビーちゃんは悪魔なのか〜。お父さんとお母さんのお名前言えるかな?」

「ふざけてるの? いいわ。証拠を見せてあげる」

 いやあ、あの時はたまげたね。お前が指を鳴らすと、まるまる太って脂ののったニシンが俺の船にじゃんじゃん飛び込んでくるんだから。一週間ぶっ続けで網を投げたってあんなに取れねえよ。

「お礼はこれでいいかしら?」

「な……、なんだこれは?」

「あら、なにか不満でも? 足りなかったかしら」

「もう充分だ! これ以上は船が沈んじまう!」

「信じてもらえた? 私がデビー・ジョーンズだって」

「わかった! 信じるから止めてくれ!」

 再びお前が指を鳴らすと、それ以上ニシンは飛び込んでこなくなった。

「あなた、私の下僕になる気は無い? 手助けしてくれる船乗りを探してるの」

「下僕?」

「私、陸に上がれないから。陸で私の手足になってくれる人間が必要だわ」

「海の悪魔が陸に何の用なんだよ」

「私の宝石を盗んだ不届き者をとっちめたいの。陸にいるかもしれないし、人探しにも人出があったほうがいいわ。私のものに手を出す愚か者は、残らず海の藻屑にしてやるんだから」

 この辺から、俺は「あ、もしかしてこの子危ない子か?」と思って若干引いて……うそうそ! 引いてないから! 大丈夫!

「悪い話じゃ無いわ。これは契約私に魂を渡しさえずれば、海はあなたの思うがままよ。私は海の悪魔なのだから」

 俺は即座に答えた。

「断る。怪しげな宗教の勧誘はちょっと……」

 お前は全く俺の話を聞いていなくて、ニコニコ笑いながら答えた。

「オーケー。そう言うと思ったわ。今日からよろしくね」

「断るって言ったよな?」

「さあ、服を脱ぎなさい。その心臓に私のものだっていう証を刻んであげる」

「断るって言ったよな?」

「光栄に思いなさい。そう滅多にあることではないわ」

「断るんだってば!」

 お前は、はた、と動きを止めて信じ難いものを見る目で俺を見た。

「この私の誘いを断るっていうの!?」

「そうだってさっきから言ってるだろ」

「なんて不遜な人間なのかしら。……面白い男ね」

「俺は至極真っ当なことしか言ってないと思うんだが」

 ん? その辺の話は私も知ってるんだから割愛しろって?

 いいだろ。俺の冒険譚は、お前と出会ったところから始まるんだから。

「あら、本当に真っ当かしら? きちんと正直に話してる?」

 お前は俺に聞いた。

「海の支配者になりたくない船乗りなんて、いないのよ。どんな冒険も、ロマンも、思いのまま。自由に海をかけまわれる。魅力的な誘いだと思うけど?」

「まあ、そうだけどさ。魂、ってよくわかんねえけど大事なものだし。今さっき会ったばかりのよくわかんねえのに渡せねえ」

「ふーん。じゃ、他を探すわ」

 で、お前は海に飛び込んで姿を消した。

 俺はしばらく呆然としていたけど、遠くの方からドォン、と大砲の音が聞こえて我に返った。

 音のした方を見ると、見たことないほど大きな船が入江に入ってくるところだった。

 ああいうのを、ガレオン船って言うんだろうな。初めて見たよ。

 巨大な船体にから太いマストが空に向かって伸びていて、帆だけで、もう俺の船より大きい。荒波を渡って来た船の材木は白っぽく日に焼けていて、船首には航海の無事を祈る女神像がくっついている。

 そして、何よりも目を引いたのは、一番高いところにたなびいている、黒い海賊旗だ。

 体が震えた。

 黒い布に、白い骸骨が染め抜きで描かれている。「これからお前らを殺す」っていう宣戦布告の旗。知識としては知ってたけど、見るのは初めてだった。

 再び、ドォンと大きな音が聞こえて、海面に水柱が立つ。大砲が打ち込まれているんだと、そこでようやくわかった。

 漁をしていた村の船は、みんな大慌てで蜘蛛の子を散らすように逃げ出すが、船足の速さが圧倒的だ。逃げきれなかった船たちが、海賊船にぶつかって砕けていく。乗っていた漁師たちは船を捨てて海に逃げたり、逃げ遅れて船もろとも海に沈んだり。

 海賊船はまっすぐ港へ向かい、船を止めた。すると、野蛮な雄叫びをあげながら海賊たちが陸へ上がっていく。

「村が……」

 俺は慌てて船を回し、海賊船を追う。

 俺が港へたどり着いた頃には、村は地獄絵図になってた。家には火がつけられ、金目のものは持ち出され、村人は手当たり次第にカトラスで叩き斬られる。胸糞悪い爆笑があっちこっちから聞こえて、樽やら酒瓶やらなんやらいろんなものが、雨あられのように飛び交っていた。

「くそ!」

 俺は心底腹が立った。

 これが村長の言ってた、海に向いてる奴らだって言うのか、ってさ。

「全員逃げろ! 隣村に逃げ込むんだ!」

 村長が村人たちに声をかけて回っていた。

 そして、村人たちの避難がおおかた終わった頃、村長は暴れている海賊どもに向かって叫ぶ。

「てめえらにいいこと教えてやろう、アホヅラの海賊ども! てめえらの船長がさがしてんのはこの俺だ!」

 それを聞いた海賊たちは、一斉に村長に襲いかかった。村長はそいつらをちぎっては投げちぎっては投げ、片っ端から片付けていく。

 荒くれ者の海賊全員を叩きのめして、その場は一旦静かになったんだ。

「村長! あんたすげえな!」

「ジョナサン! てめえ逃げろって言っただろうが! 耳がついてねえのか!?」

 もう安心だ、と俺は思ってたんだが、村長の顔は険しいままだ。

 そこへ、かすかに口笛の音が聞こえてきた。

 荒れ果てた村には似つかわしくない陽気なメロディが、ゆっくりこちらに近づいてくる。

 だんだん甘い匂いもするようになってきた。

「なんだ?」

「奴だ」

「奴?」

「噂くらいは聞いたことあるんじゃねえのか? 大海賊エドワードだよ」

 恐ろしい海賊だって、名前くらいは聞いたことがあった。図体も乗ってる船もでかくて、従えてる乗組員もたくさん。そして、そんなことよりもっと恐ろしいのが、残虐非道なワルっぷりだって酔っ払った元海賊のおっさんたちから何度も聞いた。

「生きたまま内臓引き出されたくなけりゃ、早く逃げるんだな」

「あんたも来るんでなけりゃ、俺は行かない」

「いいから!」

 ふーっ、と息を吐く音がして、風に乗って煙が漂って来る。それで、甘い匂いの正体が、誰かが吸ってる葉巻なんだって気がついた。

「久しぶりだなあ、元船長」

 気がつくと目の前に、すげえ図体の海賊が立ってた。黒い長髪はもじゃもじゃで、口にくわえた葉巻からはむせ返るような甘い匂いが漂っている。

 いつ現れたのか、俺にはわからなかった。

「こいつが、大海賊エドワード?」

「ヨォ、ニイちゃん。イカした眼帯してるじゃねえか。海賊かい? お望みなら、俺の船に乗せてやろうか」

 そいつは、垢じみて汗でてかった頬を歪めて、いやらしく笑った。

「誰が……っ!」

 お前なんかの船に! って言おうとした俺の顔に、エドワードはふーっと煙を吹きかける。俺がむせると、ヒュウと口笛を吹いて愉快そうにゲラゲラ笑いやがった。

「いい匂いだろ。こいつは魔法の葉っぱなんだぜぇ?」

「やめろエド。俺を殺しに来たんだろう。そいつは勘弁してやれ」

「いいやぁ、アンタはおまけだ。ちっとばかし探し物でさぁ。宝石をな、探してんだよ。教えてくれたら楽に殺してやってもいいぜぇ?」

「宝石だぁ? そんなもん、こんなど田舎にあるわけない。欲しけりゃ適当な船を襲ってかっぱらえ」

「ただの宝石じゃねえんだよ。お前、知ってるだろ」

「知るかよ」

 両者の間に、殺気と緊張感が張り詰める。

 先に均衡を崩したのはエドワードだ。ヘラっと表情を崩して、深く葉巻を吸い込み、勢いよく煙を吐き出した。

「それじゃあゲームと行こうか元船長。ポーカーで勝負だ。俺が勝ったらアンタの魂をもらうが、アンタが勝てばおとなしく帰ってやろう。なんだったら、あの船の船長の座をアンタに返してもいい」

 どうやら、こいつはもともと村長の船の乗組員だったっぽい。そんで、多分反乱を起こして村長をおきざり島に放り出して船長の座をぶん取ったとか多分そんなんだろ。

「アンタよく言ってたよなあ元船長。この海は奪い合いだ。奪われたくなければ勝つしかない。ひと勝負挟んでやるだけ感謝して欲しいぜぇ。こっちは問答無用でここら一帯の奴らを皆殺しにしたっていいんだ」

 エドワードは気だるげに辺りを見回し、足元に転がってた下っ端の海賊のポケットからトランプを抜き取り、半分壊れかかってひっくり返ってたテーブルを担ぎ上げ、村長と自分の間に置いた。

「ニイちゃん、配ってくれや。イカサマしたっていいんだぜぇ?」

 俺は村長を見た。村長は渋い顔で頷いた。

 俺はトランプを受け取り、エドワードに五枚、村長に五枚、カードを配った。

「俺は三枚」

 村長は俺に三枚のカードを差し出し、俺は三枚村長に返す。

「お前はいいのか」

 俺が聞くと、エドワードは「必要ないね」と高笑いしながら、ふーっと空に向かって煙を吐いた。

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