想定問答
「優月さんが中学生の時にオープンスクールに参加したそうですけど、簡単な説明会の他には模擬授業があったそうですよ」
「模擬授業? 先生が普段やってるような授業見せるってことか?」
次の日の帰り道、さっそく情報を仕入れてくれたらしい吉乃に問い返すと、彼女は首を横に振って綺麗な濡羽色の髪を揺らした。
「いいえ。私たち、高校生が教師役をやるそうです。高校の内容を中学生でもわかるように工夫しながら教壇に立つそうです」
「俺たちの役目はそういう……流石に内容については先生たちが考えるんだよな?」
「恐らくは。少なくとも大枠は示してくれるでしょうね」
そうでなくては流石に責任が重すぎる。ほっとした思いは見事に顔に出たようで、吉乃が少し眉尻を下げてくすりと笑った。
「でも仮に、内容を一から考えるにしても、中学生相手に台本無しのコミュニケーションを取るよりは気が楽ではありませんか?」
「確かにな」
今度は響樹が苦笑を見せる番で、対照的に吉乃は楽しげに笑う。「お互いに」と付け加えて彼女は、少しいたずらっぽい笑みを浮かべながら響樹を見上げる。
「そういうのは海とか花村さんが適任だな」
「そうですね」
少し困ったような表情ではありながらも楽しそうに、吉乃は口元を押さえて小さく笑う。
響樹も吉乃もコミュニケーションを取るだけなら可能だろうが、オープンスクールに来てくれた中学生を楽しませる話術というと持ち合わせていない。更に言えば響樹の場合目付きの鋭さが年下相手にはマイナスになるケースもあるかもしれない。
(吉乃さんも大概か)
吉乃の内面も含めて彼女を愛おしいと思っているせいで意識が薄くなっていたが、改めて見ればとんでもない美貌の少女だ。お近付きになりたい者が多い反面、気圧されてしまう者もいるはずだ。立ち居振る舞いを合わせれば、余計に近寄りがたさがある。
そう思いながら隣の恋人を眺めていると、小首を傾げた吉乃がわざとらしく不満の表情を作る。響樹の感覚が麻痺していたのは、こういう可愛らしい表情を見せてくれるおかげに違いない。
「何か失礼な視線を感じました」
「むしろ逆だ。そう言えば俺の彼女めちゃくちゃ美人だなって再認識してた」
「……そ、そう言えば、とは何ですか」
こう返ってくるとは思ってもみなかったのか、だいぶ狼狽えた吉乃が赤みの増した顔を逸らす。「失礼なことを考えていそうだったのに」と、口を尖らせながら。
「まあ、凄い美人だから近寄りがたく感じる中学生もいるだろうなって思ったのも確かだけど」
「……ああ。そういう視線だったんですね」
納得がいったという風に頷き、吉乃はまだ朱色の残る端整な顔をこちらに戻す。
「でも、私は猫を被っていると外面がいいと言われていますから、大丈夫でしょう」
「酷いことを言う奴がいるもんだな」
「ええ。本当に、酷い人です」
口元を押さえてふふっと笑った吉乃が懐かしむように目を細め、半歩身を寄せて響樹の二の腕に軽く肩を当てた。
「だからむしろ、もしも模擬授業でなく中学生の相手をするだけなら、私は響樹君の方が心配ですよ」
肩を離さないまま、吉乃が少しいたずらっぽく笑って響樹を見上げる。
半分冗談、半分本気といったところだろうか。
「軽妙なトークを求められると困るけど、普通の受け答えくらいなら大丈夫だぞ」
「そうでしょうか?」
口元を押さえてくすりと笑った吉乃が、響樹の腕に預けていた肩を離す。二の腕が少しだけ冷えるような感覚は、顔に出さないように努めたつもりだが、「では」と楽しげに笑う吉乃にはお見通しだろうか。
「模擬問答をしてみましょうか。中学生を相手にするつもりで優しく話してください」
「……まあいいけどさ」
それを口実にして遊びましょうと言いたげな吉乃に頷く。面倒だという顔を作ってみせたが、やはりお見通しなのは彼女の表情でわかる。
「高校では中学よりも勉強すべきことが多くて大変なイメージがありますが、実際大変なんでしょうか?」
「特に大変てことはないかな。高校受験を見据えて勉強してきたなら苦になることはないよ」
「内容もぐっと難しくなると聞いていますが、どうなんでしょう?」
「中学までの内容が理解できてるならその延長だし、大丈夫」
「……この学校は進学校ですが、やっぱり授業やテストもハイレベルなんでしょうか?」
「別に大したことないから心配しなくていいよ」
優しい受け答えに努めたつもりなのだが、胡乱げな視線を送る吉乃が小さなため息をつき、もう一度口を開く。
「部活動はどんなものがあるんでしょうか?」
「俺はやってないからよく知らないけど、メジャーなものは結構あるし、詳しいのは多分パンフレットに載ってると思うからそっち見て」
「学業や部活意外だとどんな活動があるのでしょうか?」
「…………さあ?」
「この参考にならなさは、人選を間違えましたね」
「……だな」
わざとらしく大きなため息をついてみせた後、吉乃がふふっと表情を崩す。「響樹君らしいですけど」だそうだ
「吉乃さんも似たような感じになるだろ。困ったこととかあるか?」
「ありませんけど、学業以外の活動については言えますよ。響樹君と違って」
抜群の記憶力を誇る吉乃にそう言われるとぐうの音も出ない。そもそも課外活動などは盛んでない学校なこともあって、一般の学生にはほとんど知られていないのだが。
「ではお手本を見せますので、どうぞ質問をしてください」
少し自慢げにすまし顔を見せる吉乃。多分何を聞いても卒無く返答をすることだろう。
とは言えそれでは少し悔しい。
「じゃあ、彼氏はいますか?」
「……何ですか、その質問は」
「実際聞かれそうじゃないか?」
「否定はしきれませんけど……」
呆れぎみにはあと小さなため息をつき、吉乃がはにかみを覗かせる。
「そうですね、もしもそう聞かれたら、『一見不愛想ですけど、実際はとても愛情深い恋人がいます』と答えることにします」
響樹が答えを返す前に、一度去って行った温かさがかすかな重みとともに腕に戻ってきて、否定の言葉を口には出せなかった。
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