数字の論理と愛の力

 放課後に吉乃を迎えに行ったところ、教室内の彼女は友人たちと楽しげな会話をしていた。一瞬目が合いはしたがすぐに首を振り、外で吉乃を待っていると、しばらくして視界を塞がれると同時に最も聞き慣れた声が聞こえた。

 ただ、少しだけ堅いように感じるのは気のせいだろうか。


「誰でしょう?」

「うわっ」


 驚いた反応をしてしまったせいか、同じ声でふふっと可愛らしく笑うのがわかった。そして、少し甘い花の香りにも気付く。


「声と手、どっちを当てればいい?」


 誤魔化すように必要以上に落ち着いた声で応じると、「お任せします」と返ってきた声がほんの少し弾む。


「声は吉乃さんで、手は多分、花村さんだろ」


 視界が開けたので振り返ると、僅かに頬を緩ませた吉乃と、不満げな優月がいた。どうやら海はいないようで、少しだけ安心する。

 それから、教室に残った内の何人かもこちらに視線を向けていることにも気付いた。


「何でわかったの? 愛の力とか?」

「そう言いたいところなんだけどな」


 肩を竦めて応じると、吉乃が「歩きながらにしましょうか」と響樹と優月を促す。アウェイであまり注目を浴びたくない響樹に気を遣ってくれたのだろう。

「そうだね」と後を追う優月に続いて響樹も歩き始めたのだが、恋人の綺麗な後ろ姿からは、上機嫌な様子がこれでもかと伝わってきた。


(愛の力って言っといた方が良かったかな?)


 そんなことを思いながら前の二人に追いつくと、優月は心底不思議そうに首を傾げた。


「で、なんでわかったの?」

「確証は無かったけど、吉乃さんじゃないとなると消去法で花村さんしかいないかなって」

「そっちじゃなくて、吉乃じゃないってわかった理由の方」

「それは私も気になりますね」

「そうだな。正直なところを言うと、目を塞がれた感覚だけだとわからなかったんだけど」


 こちらから触りにいく、もしくは触られた場所が手であるか、別の触れ方であったならわかったかもしれないが、流石に手のひらを当てられただけでは確証は持てなかった。


「まずは手の角度だな。身長差的に吉乃さんの手だとあの角度にはならない」

「うわー。この人ちょっとおかしいんじゃない?」

「計算関連では本当におかしいですよ、響樹君は」


 いきなり失礼なことを言われたが、吉乃まで苦笑しながらそれに同意する。なのでそれ以外のヒントも答えておくことにする。


「あとは手の大きさがちょっと小さいと思った」

「……それ、目を塞がれただけでわかる?」

「わかるだろ。吉乃さんの手のサイズなら指がどこまで届くかってくらいは」

「……そう……かもね」


 目を丸くしながら頬をほのかに染めた吉乃の横で、歯切れの悪い優月だったが、すぐに軽い調子で「あーあ」と天井を仰ぐ。こういう口ぶりは海とよく似ているなと思う。


「せっかく吉乃のフレグランス借りたのに」

「それも判断材料の一つにはなったな」

「どういうこと?」

「つけたばっかの匂いだったからな」


 そう響樹が応じると、優月も吉乃も「あ」と失敗に気付いたようだった。

 放課後の吉乃から、あの強さの香りがすることは無い。あるとしたら響樹が休日や放課後に尋ねて行った直後、もしくは朝イチで会った時などだ。


「もう愛の力じゃん……」


 はあー、と、随分長いため息の後で優月はそう言って首を振り、わざとらしくあくどい──つもりであろう──笑顔を浮かべた。


「一緒にいるのきついから先に行くね。あと、私が触るの、吉乃最初はかなり渋ってたのも教えてあげる」

「優月さん? それは秘密にしておくという約束でしたよね?」

「ごめんごめん」


 僅かな動揺を見せた吉乃に軽い調子で謝るが早いか、優月は響樹たちからぐんぐん離れていった。まさしく脱兎というのにふさわしいくらいだ。


「もう優月さんは……なんですか?」

「別に?」


 去って行った友人から恋人へと向けた視線は、わざとらしく胡乱なものだった。頬の朱色は先ほどよりも少し濃い。


「愛の力を感じてただけだよ」


 肩を竦めてそう言うと、即座に顔を逸らした吉乃は学校を出るまで口を利いてくれなかった。

 学校を出てからは、必要も無いのにお互いの指の長さを確認し合った。

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