夏支度
「明後日は優月さんたちと買い物に行ってきます」
「了解」
放課後の時間は二人で過ごすことの多い響樹と吉乃だが、たまにどちらかに予定が入る日もある。どちらかと言っても、比率的には吉乃の方が三、四倍は多いが。
「遅くなるようなら呼んでくれ」
今回もいつも通りだろうと、響樹もいつも通りの言葉をかける。
本当はそうでなくとも荷物持ちを兼ねて迎えに行きたいところだが、それをすると吉乃が遠慮して友人付き合いを早めに切り上げかねないので、暗くなった時だけに限定している。
「ありがとうございます。でも、今回は夕食前には解散の予定ですから、大丈夫ですよ」
「じゃあ、夕食は一緒でいいか?」
「ええ」
たった一回、されど一回。無くなったと思っていた吉乃とともにする夕食が戻ってきたことに喜び、素早い反応を見せた響樹に目をやってくすりと笑い、恋人が優しく口の端を上げた。
「買い物駅前だろ? 食事は用意しとくから帰りに寄ってくれ」
ばつの悪さを誤魔化しながら言葉を続けるが、吉乃が「いえ」とそれを制す。
「支度はしておきますので、当日は私の家でご一緒出来ませんか?」
少し疑問に思ったが、吉乃の顔を見れば吹き飛んだ。先の予定を待ち望んでいるかのような、期待の中に僅かだけそわそわとしたものが混じったような表情で、少しの上目遣いで響樹を見つめている。
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます」
響樹の即断に対し、吉乃が顔を綻ばせた。当日が楽しみなのは、もう吉乃だけではない。
◇
「こんばんは、響樹君。いらっしゃい」
当日、普段と同様の挨拶で迎え入れてくれた吉乃だが、纏う雰囲気は少し、いや随分と違う。二日前よりもずっと、彼女がそわそわとしている。待ちきれないようでいて、しかし緊張を孕んだように少し眉尻を下げ、吉乃にしてはだいぶ落ち着きが無い。
ただ楽しみなだけではなくなったと、自身の鼓動が速くなるのがよくわかった。吉乃がこういう表情を見せるということは、響樹に対して何か披露したい物事があるのだから。しかもそれが彼女にとって恥じらいを伴うものであるのがわかるから、余計にだ。
始まりから少しの緊張感を漂わせた二人の時間だったが、表向きはいつも通り進んだ。
ただ、食事の最中も吉乃からの視線の質が普段と少し違うことには気付いていた。彼女がリビングの方に時折視線を送ることにも。
気になりはしたが、急かすような真似もしたくなかったので響樹は特に触れず、逸る気持ちを抑えて普段通りを装った。食後に至ってもそのまま、そしてついに――
「今日は、カーディガンとベストを買ってきました」
ソファーの上で姿勢を正した吉乃が、寝室へと視線をやりながら苦笑を見せた。
「ファッションショーやってくれるんだろ?」
「……もう。気が早いですね」
「何があるかはわからなかったけど、楽しみにしてたからな」
合点がいったと同時に口を衝いた言葉に、自分でも少し驚いた。ただ、吉乃の方はもう少し驚きが大きかったようで、丸くした目をぱちくりとさせた。
「あまりお待たせするのも悪いですね」
表情を崩しながら口元を抑えた吉乃がふふっと笑い、素早く立ち上がる。意を決したと言ったところだろうか、緊張を勢いで吹き飛ばそうとしているように感じた。
「では、少しお待ちください」
「了解。ゆっくりでいいからな」
そう告げた響樹にふっと優しく笑んで、吉乃は小さく首を振りながら自室へと入っていった。
◇
「お待たせしました」
「いや、全然……」
部屋から出てきた吉乃は、購入したというカーディガンもベストも纏っていなかった。ただ、先ほどまでと違うのは制服の種類だ。
「夏服……」
「はい。どうでしょう?」
去年の夏、当然ながら夏服姿の同級生や上級生を見ている。何なら当時隣のクラスだった吉乃の夏服姿さえも見た記憶がある。新鮮だという訳ではない。
それなのに、どうしてか視線が吸い寄せられて離せない。
別にカーディガンを纏ってみせるだけならばそれほど緊張しなくてもと思いはしたのだが、普段と違う姿を見せてもらえるだけで響樹はコロッといっているのだから、見せる側の吉乃にも緊張はあるのだろう。
先ほどまでのブレザーを脱いだ制服姿と違うのは、一つは首元のリボン。冬服では男女問わずネクタイだが、夏服の場合女子はリボンの着用もしくはノータイ。多くの女子はリボンを選んでいるように記憶しているが、吉乃もそのようだ。
普段凛とした姿で制服を着こなす吉乃の姿に、ワンポイントの可愛らしさが加えられたようで、新鮮な気がする。まあ、吉乃自身が元からこの上なく可愛いのでネクタイでもリボンでも鬼に金棒だ。
そしてそれよりも目を引くのが半袖のブラウスだ。肘よりも短い丈のおかげで、吉乃の二の腕が半分近く露わになっている。響樹の前ですらほとんど隠されている部分で、目が離せない。
吉乃の他の部分と同じ、引き締まっていて無駄な物など何も無いように見えるのに、視覚情報だけでもそのやわらかさが伝わるのだから始末に負えない。
(去年も見てるはずなんだけどな)
あの時も確か、飛びぬけているなという感想を抱いたような気がする。しかし今、目の前で自分の恋人としての吉乃が、恥じらいを見せ、所在無さげに指を合わせ、頬をほんのりと染め、響樹をちらちらと伺いながら。その破壊力たるやという話だ。
「響樹君……見過ぎです」
「…………悪い」
少しだけ朱色を濃くした吉乃が口を尖らせる。
「言いたいことはバレバレだと思うけど、似合ってる」
「ありがとうございます」
響樹は心を落ち着かせるために、吉乃はほっとしたからか、同時に息を吐く。それがおかしかったのか、彼女がくすりと笑い、こそばゆい。
「だけど、カーディガンとかは?」
「せっかくなので比べてもらおうと思いまして」
「なるほどな」
ニコリと笑った吉乃が「では」とまた彼女の部屋へと戻って行く。
この場で着ればいいのにとは思うのだが、そのあたりを見せようとしないのもなんだか彼女らしくて微笑ましいなと思えた。
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