めんどくさい彼女

 響樹たちの高校では『体育祭』ではなく『体育大会』が行われる。両者にどのような違いがあるのかわかりはしないが、所謂お祭り的な種目がほとんど無いことが理由なのではないかと、ぼんやりと思っている。

 武より文を重んじる校風とあって、生徒たちもほとんどは一日かけた体育、と言うよりもレクリエーションのような気分でいるように思えた。事前練習なども体育の授業で種目別練習が数回あった程度で、クラスで練習しようというような声も無かった。

 もちろん競技となれば皆真剣に臨んではいたが、新しいクラスでの親睦を深めるといった雰囲気が感じられた。まあつまり、今日行われた体育大会は、生徒たちの多くにとって良い日になりはしたのだろうが、盛り上がりには欠けていたように思う。


「機嫌直せって」

「機嫌が悪いなんてことはありませんけど?」


 隣に座った響樹を一瞥し、吉乃は口を尖らせてふいっと正面を向く。頭に置かれた手をふりほどかないまま。


「むしろ、どうして私の機嫌が悪いと思ったんですか? 何か理由があるんですか?」

(めんどくさいけど可愛いのがずるいな)


 不機嫌で愛らしい顔がこちらに向く。

 もちろん内心がそうでないことは知っているが、彼女がこうやって響樹にだけ不機嫌な顔を作ってみせる理由もわかっている。


「あのグループで二位なら立派だよ」


 吉乃が出場した女子200メートル走。陸上部短距離のエースをはじめとして、運動部で活躍する走者ばかりの組だった。そんな中、吉乃は陸上部のエース相手にあと本当に僅かのところで及ばなかった。

 日頃からトレーニングをし、専用の体を作っている集団の中でも更にトップの相手だ。いくら吉乃と言えど勝てないのは仕方ないといえば仕方ない。本人もそれは承知の上だろうが、やはり悔しいものは悔しいという気持ちはよくわかる。


「……負けは負けですから」

「うん。でも俺は、本心からそう言えるところも含めて、吉乃さんを尊敬してるから」


 ふっと息を吐いて眉尻を下げ、吉乃が表情を緩める。

 しっとりとした髪に触れたままの手をそっと動かすと、不機嫌さを忘れたように目が細まり、「ずるいですね」と小さな呟きがこぼれた。


「本心だからな」

「それがわかるから『ずるい』んですよ」


 微笑みながらそう口にし、自分の頭を撫でていた響樹の手を捕まえ、吉乃が指を絡める。


「機嫌が悪いふりをしてわがままを聞いてもらおうと思っていたのに」

「別にそんなことしなくても何でも聞くぞ?」


 これも本心だ。そもそも吉乃は普段から色々と弁えて過ごしているのだから、響樹の前ではもっと甘えてほしいと思っているし、わがままだって何でも叶えてあげられる自分でいたいと思っている。

 しかし吉乃はふふっと笑って「ありがとうございます」と握り合った手にきゅっと力を込め、小さく首を振る。艶やかな濡羽色の髪がさらりと揺れ、普段よりも少しだけ強くふわりと心地良く香る。


「でも、そういうことをしてみたかっただけですよ。それに、やっぱり無理だとわかったので、もういいんです」

「無理って?」

「だって、いつもそうですけど響樹君にはお見通しでしょう?」

「……ああ」


 随分と嬉しそうに表情を崩す吉乃に大きく頷いて返すと、彼女が姿勢を正した。


「響樹君。お伝えするのが遅くなりましたけど、一位おめでとうございます。かっこよかったですよ」

「ありがとう。まあ、俺の方は組み合わせの運が良かったのもあるけどな」


 握り合っていた手にもう片方の手を重ね、少し距離を詰めた吉乃がまっすぐに響樹の目を見つめる。甘い香りをはっきりと感じられる中で彼女の心からの賞賛を正面から受け、少し気恥ずかしくて謙遜をした。もちろん組み合わせ運が良かったのも事実だが。


「もう。かっこよかったのは一位を取れたことだけではなくて、走る姿と表情に対しても、と言うよりもそちらへの気持ちの方が大きいですから。だから素直に受け取ってください」

「……ああ、ありがとう。嬉しいよ」


 両手で包むようにしながら響樹の手をぎゅっと握り、可愛らしく口を尖らせた吉乃が響樹の返答を受けて「どういたしまして」と優しく笑う。そして、ほんのりと頬を染めてはにかみを浮かべた。


「では、かっこいいところを見せてくれた彼氏に、ご褒美をあげます。目を閉じてください」

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