無自覚の笑み

 校門をくぐる頃には流石に手を解きはしたが、当然それまでに目撃をされている訳で、学校の敷地内に置いて響樹は朝から多数の視線に晒されることになった。もちろん隣の吉乃の方は更にではあるのだが、衆目を集めてしまうことに対する慣れもあるのか、気にした様子は無い。


(むしろ機嫌いいんだよな)


 いつもの外行きの笑みにこそほとんど変化は無いが、響樹との距離の保ち方や視線を送る頻度などにはよく表れている。

 理由は当然知っている。だから響樹も意識して普段より背筋を伸ばし、口元を少し引き締める。こういった状況を居心地がいいとは言えないが、吉乃の隣で堂々としていようとは常々思っているのだから。

 視線を感じて隣を窺うと、吉乃の整った唇がほんの少しだけ形を変え、ごく小さく、そして優しく笑う声が聞こえた。


「隣にいてくれる人が魅力的で、つい嬉しくなりました」


 響樹の視線を受けた吉乃が、小さくそう言ってやわらかく笑う。紛れもない彼女の本心だとよくわかりはするが、わざとらしく肩を竦めてみせる。


「それなら俺は常に笑ってないといけないな」

「もう」


 少し眉尻を下げた吉乃がくすりと笑い、「でも」と表情を明るくする。


「響樹君は、自分で思っているよりもずっと笑っていますよ?」

「……そうか?」

「ええ」


 もちろん吉乃と二人きりの時にそうである自覚はあるが、彼女の言いようからするにそれ以外でということなのだろう。

 響樹としてはあまり外でだらしない顔はしないよう意識しているつもりだが、吉乃が自信ありげに頷く以上はそうでなかったのだろう。


「難しい顔をしていますけど、多分考えている通りではありませんよ」

「どういうことだ?」

「笑う、の定義の違いでしょうか? 一般的に言う笑顔でない時でも、細かな表情の変化で響樹君が笑っているかどうかはわかります。響樹君はいつも優しい笑顔を浮かべていますよ」

「……そういうもんかね」


 それこそ優しく笑った吉乃が「そういうもんです」と頷いてみせる。

 響樹だって吉乃の細かな変化で彼女の感情がよくわかるのだ。逆だって当然の話ではあるし、ある程度見通されているものだとは思っていた。ただ、自分自身が無自覚な感情すら筒抜けだったのはかなり恥ずかしい。


「先ほどのように口元を引き締めた時でも、目元も多少鋭くなるもののやっぱり優しさが残っているのがよくわかりますし」

「……そうか」

「因みに、今どんな表情かお教えしましょうか?」

「遠慮しとく」


 いたずらっぽく笑う吉乃に首を振る。答えは自分でもよくわかるから。



「じゃあ、また帰りに」

「はい、また後ほど」


 それから少し歩いた先の吉乃の教室前での別れも、交わす言葉は変わらないのに普段より少し時間をかけた。並んで歩いた時よりも遠い距離で視線を合わせたままでいると、はにかんだ彼女が軽い会釈をしてから優しく目を細め、室内へと歩いて行った。

「おはようございます」という落ち着いた涼やかな声に対していくつもの「おはよう」が返ってきていて、それに対するサイドの「おはようございます」からはほんの僅かに弾んだ調子があった。

 それを背中で聞きながら、響樹も自身の教室へと足を向ける。引き締め直したはずの口元から少しだけ力が抜けているのに気付いたが、そのままにしておいた。


 その後、予想通りではあるが、自分の教室においても注目を浴びる事態は続いた。男子からは「羨ましいぞこの野郎」「見せつけやがって」「死ね」などの妬み一割ほどのからかいを受けたが、この辺りは響樹が多少なりともクラスに馴染んでいる証だろうと受け取ることにした。

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