連休最終日

 元々学校は嫌いでなかったし、両親と顔を合わせなくても済むということで、中学生以降の響樹は連休や長期休みが明けるのを惜しいと思った経験は無い。正確に言うのであれば、無かった。

 吉乃と出会って、冬と春の長期休みを二つ超えた。もちろんそれらが明ける時にも寂しさを覚えたが、期間としては短い五月連休明けを明日に控え、今日もやはり同じような感情を抱いている。


「どうかしましたか?」


 向かいで本を読んでいた吉乃が顔を上げた。響樹に見られていたことに気付いたからか、首を傾げながらのやわらかな笑みの中に少しだけ恥じらいが見える。


「いや、ちょっとぼーっとしてただけだから気にしないでくれ。邪魔して悪かった」

「邪魔だなんて思っていませんよ」


 優しく表情を少しだけ崩した吉乃が視線を戻したのは、明らかに高校生の範囲を逸脱した専門書。二年の春にして高校の学習範囲をすべて終えた彼女は、既に大学の学問に手をつけている。

 連休が始まった頃に「明日受験でも大丈夫そうだな」と言った響樹に対し、吉乃は「ええ」と自信ありげに頷いた。響樹の方は、明日受験だとするならば文系科目に足を引っ張られて不合格になる可能性が低くない。

 自分よりもずっと先にいる恋人に対し悔しく感じる部分もあるのだが、真剣に本を読む吉乃の表情から覗く喜びを見て覚える感情が、それを上書きしていく。本人曰く「本格的な勉強ではなく、専攻を決める参考にするためのつまみ食いのようなものです」だそうだが、新しい知識や考え方を得ることは楽しいらしく、高校の勉強をしている時よりもいきいきとしている。


「綺麗だな」

「…………もう」


 口を衝いてからしまったと思ったが、今度は本当に邪魔してしまった。ぱっと顔を上げた吉乃がわざとらしく口を尖らせている。


「悪い」


 頭を下げると吉乃が口元を押さえて小さく笑う。仕方ありませんねと言いたげな優しい視線から逃げるようにノートに視線を落とすと、ふふっと笑う声が聞こえた。

 寂しさからなのか、どうにも吉乃に視線が吸い寄せられてしまう。いけないなと自分を諫め、意識して集中力を高めていく……のだが――


「かっこいいですね」


 テーブルを挟んで聞こえる、囁くように小さな声。意趣返しでもあるのだろうが、その声にどんな感情が含まれているかわからない響樹ではない。


「本心ですよ?」

「……それはどうも」


 顔を上げると、正面には愛しい恋人のはにかみが待っていた。


「頃合いですし、休憩にしましょうか。響樹君の方もキリは良さそうですし」

「まあな」


 それがわかるということは、吉乃の方も響樹に視線を送ったのは今回が初めてではないだろう。自身の頬が少し緩むのを自覚したが、それが吉乃にも伝わったのか、「お茶を淹れてきます」と席を立った彼女の口の端が少し上がっていた。



 おうちデートで余った菓子類をお茶請けにしつつのティータイムを終え、肩を寄せ合った二人の間にゆっくりとした時間が流れている。ただし響樹の心臓は中々ゆっくりとはしてくれないのだが。


(まだまだ慣れないな)


 指を絡めながら握った手を響樹の腿に乗せ、触れ合った肩に吉乃が軽く頭を置く。彼女のやわらかさと心地良い重みとほのかに甘い香りを感じる、幸福な時間。ではあるのだが、先日の一件以降どうしても意識してしまう。

 大仰な言い方にはなるが、人を愛するという気持ちには様々な面があるのだなとここ数日で強く実感している。そんなことを改めて考え、ふっと笑いが漏れた。

 肩から重みが無くなったので視線を向ければ、彼女のそれと重なり、交わり、そして途絶した。まぶたを下ろしてなお優しく笑んでいるのがわかる吉乃と、一瞬だけ唇を重ねて離す。


「何か楽しいことがありましたか?」

「さあ、どうだろう?」


 ぱちりと瞳を開いた吉乃が優しく微笑みながら問いかけるが、響樹は肩を竦めてみせた。

 誤魔化すつもりではなく、この不思議な感覚が楽しいことなのか自分でもよくわからなかったのだ。ただ――


「幸せなことではあるんだろうな」


 恋愛なんてクソくらえだと思っていた自分が、まさか人の愛し方を自然と考えるようになるなんて、いまだに信じられないくらいだ。

 しかしきっと、吉乃の隣にいる限り、ずっと考えてしまうのだろうと思う。そんな想像は幸せ以外に何と評すべきだろうか。


「……それは何よりです。響樹君の幸せは私の幸せでもありますから」

「……うん。ありがとう、吉乃さん」


 大きな目をぱちくりとさせた吉乃が表情を崩し、どこか誇らしげにそう口にする。

 そんな言葉がやはり嬉しくて髪を撫でると、彼女は一瞬くすぐったそうに身じろいだものの、喜色に満ちた表情で響樹に体を預けた。

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