久しぶりの空気感
昼食をとり終えて、だいぶまったりとした時間が訪れた。普段であれば少しの休憩を挟んで活動開始となるのだが、今日は特別だ。
密着して座る薄着の恋人に対する高揚はまだまだ続いているが、それが食後の眠気と相殺されているのか、意識のはっきりとしたままでまどろむような心地良い脱力感に包まれている。
(ほんとに堕落しそうだな)
もちろん吉乃に対してだらしない姿を見せるつもりは無いのだが、こんな生活を続けていたら流石に響樹も耐えられない。この上なく幸せな時間ではあるのだが、たまにする程度がいいのだろう。
ただそれでも今日は特別なのだからと、響樹は心地良さの源へと手を伸ばす。濡羽色のなめらかな髪に触れて梳くと、吉乃は艶やかな淡紅色の唇から小さな吐息を漏らし、くすぐったそうな笑みを浮かべて僅かだけ身を捩る。
本当に、自制心が試されている。早くなった心臓の鼓動を感じつつ、それでも響樹は手を止めなかった。
「心地良くて眠ってしまいそうです」
「少し寝るか?」
くっきりとした二重のまぶたはまだ軽そうではあるが、一緒に昼寝というのもおうちデートとしてはアリな気がする。問題は響樹が色々と我慢出来るかとどうかだが、やはり自制心の見せ所だろう。
「魅力的な提案ですけど、寝てしまうのはもったいないですね」
僅かだけ眉尻を下げた吉乃が優しく笑う。
「そうか? そういうのも醍醐味じゃないのか? ……いや、醍醐味と言うとちょっと違うか」
「私も楽しみの一つだとは思います。でも、今日だけは、やっぱり、少しもったいなく感じてしまいますね」
口元を押さえてくすりと笑った吉乃が、少しだけ目を細めた。ただ優しいだけでなく、どこか感慨に浸るような印象を受ける。
しかし、どうしてと尋ねる前に、響樹の視線に気付いたのか吉乃が上目遣いのはにかみを浮かべ、「それに」と楽しそうに口にした。
「気になっていた物があるんです」
「気になっていた? ……ああ、あれか」
自分から外れた吉乃の視線を追い頷いた響樹に、吉乃は「はい」と瞳を輝かせた。
◇
「あっ……ずるいです、それ」
ゴール手前でアイテムをぶつけられた吉乃のカートが派手にスピンし、その横を響樹が颯爽と抜き去ってゴール。
「こういうゲームだからな」
やれる事の選択肢を増やしておこうと実家まで取りに帰ったゲーム機。一度もテレビゲームの類を触った事の無いという吉乃は意外にもだいぶ興味を持ってくれたらしく、ずっと楽しそうにプレイしていた。因みに今は不満げに響樹をじっと、だいぶ可愛らしい瞳で睨んでいる。
流石吉乃と言うべきか基本的な操作はすぐに覚えてしまい、プレイング自体もゲームに触れた事すら無かったとはとても思えないほどの腕前だ。しかしそれでも経験の差を覆すまでには至らない。ブランクはあるが、元々響樹だって何でも器用にこなすタイプなのだから余計にだ。
「一度も勝てません」
「操作覚えて30分と考えれば十分過ぎるくらいの腕前だけどな」
「慰めは要りません。次は勝ちますから」
流石の負けず嫌いだと、微笑ましさに緩みそうになる頬を抑え、「やってみろ」と不敵に笑って返せば、「そうやっていられるのも今の内です」と吉乃はコントローラーを握り直す。しかし――
「……負け惜しみのようで言いたくありませんけど、響樹君の方がアイテムに恵まれていませんか?」
先ほどと同じようにゴール前で響樹にアイテムをぶつけられた吉乃が、納得がいかないと言わんばかりに首を傾げる。
「よく気付いたな。順位が下の方がいいアイテムが出やすいんだよ」
「……初耳ですけど?」
という事があったので次のレースでは吉乃が響樹の後ろにつける展開。途中で妨害出来るタイミングでもそれをせず、同じ事をやり返したがっているのは楽しそうな表情からも明白だ。
「今回は私の勝ちで……あ」
だから響樹は最後の最後で温存しておいたアイテムを防御に用い、吉乃の攻撃を躱す。
「弱いアイテムにもそんな使い方が……先に教えてください」
「実地で学んだ方が覚えるんだぞ」
「……本心は?」
「吉乃さんのそういう反応が可愛くて、つい」
「もうっ」
少し頬を膨らませた吉乃だが、早く次をと言いたげに響樹を促す。
おうちデートの甘い雰囲気はまるで感じられなくなってしまったが、二人の間に勝負の空気を感じるのも久しぶりでどこか懐かしい。
それに、初めて触れるゲームが新鮮なのか、負ける不満の中でも吉乃の瞳はずっと綺麗に輝いている。だからもうしばらくは、このままの雰囲気も悪くない。それに――
「あ! またそうやって響樹君はっ」
今回の吉乃は途中途中で妨害を挟み、響樹の防御アイテムを全て使い切らせてから満を持しての攻撃。しかし残しておいた加速用アイテムであっさりとそれを躱す。
「悪いな。まだまだ負けてやる訳にはいかないんでな」
普段から何よりも可愛い恋人だが、その普段と少し違う可愛さももう少し楽しみたいと思った。
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