約束の朝、同じ気持ちで

「先程の話とは違ってしまいますけど、当日は響樹君の部屋で過ごさせてもらうのはダメでしょうか? もちろん……その後も」


 時間をかけてお互いにある程度心を落ち着けたはずが、吉乃がまた頬を染める。響樹の方も、またも心臓が跳ねるのを自覚した。


「それはもちろん構わないけど、いいのか? その……不便だったりしないか?」


 今いる吉乃の部屋と比べれば狭く設備面でも劣るが、響樹の部屋も二人で普通に過ごす分には不便ではない。ただ今回に限っては、吉乃が口にしたように『その後』があるのだ。入浴の事などを考えれば、自身の部屋の方が吉乃としては都合がいいのではないかと思うのだが、それを口に出来ずについ濁してしまう。


「大丈夫ですよ。長期で滞在させてもらうとなれば別ですけど、一晩……くらいでしたら、荷物もそれ程多くはなりませんし」


 響樹の意を汲んでくれた吉乃だったが、自身で口にした言葉に羞恥を覚えたのか、誤魔化すようにはにかみを浮かべる。そんな反応にまたドキリとさせられるのだが、響樹も誤魔化して笑い、震えそうになる手に少し力を入れて彼女の頭をそっと撫でた。

 少しばつが悪かったのか一瞬だけむくれてみせた吉乃だったが、響樹の左胸にそっと手のひらを当てて満足げな表情を浮かべ、その後は同じ場所に耳を当てて嬉しそうに笑った。



 そんなやり取りの末迎えた当日。約束の時間ピッタリに玄関のチャイムが鳴らされた。その場に待機していた響樹が5秒もかからずに扉を開くと、その向こうの少女は元々大きな瞳を驚きで更に大きくしていた。


「そんなに待ち切れませんでしたか?」

「……まあな」


 丸くしていた目を細め、はにかみを浮かべながらの吉乃が小さく首を傾げる。

 本当は荷物持ちとして迎えに行くつもりだったのに、吉乃が譲らなかった。この部屋からデートをスタートさせたかったというのが彼女の弁だったので、響樹が折れた形だ。


「改めてですけど、お邪魔します。今日はよろしくお願いします、響樹君」

「ああ、いらっしゃい、吉乃さん。こちらこそよろしく」


 見惚れるような姿勢で腰を折る吉乃に、響樹も浅くではあるが頭を下げた。親しき仲にも礼儀ありと、いつも通りの彼女とふれ合い、逸っていた心が落ち着いていくのを感じる。


「上がってくれ。それから荷物」

「はい、ありがとうございます」


 微笑む吉乃から黒地の大きなボストンバッグを受け取ると、思っていたよりも重い。中には約束の部屋着や寝間着などの着替えの他にも、男の響樹が知らないような物がたくさん入っているのだろうと想像が出来た。

 約束はしていたし、響樹だって今日という日を待ち望んでいた。吉乃を泊めるために様々な準備をしてきた。それなのに、感じる確かな重みが響樹により強く意識づける、今日は吉乃が泊っていくのだと。落ち着けたはずの心がまた暴れ出すのを、どうしても抑えられない。


「何か飲むか?」

「ありがとうございます。でもすぐに買出しに出る訳ですので、帰って来てから頂きます」

「了解」


 そんな気持ちのまま吉乃を部屋の中に招き入れ、荷物を部屋の隅にそっと置いた。ただ、置いた後も気になってそちらに視線をやってしまうと、隣の吉乃がくすりと笑う。


「何だかそわそわしていますね、響樹君」


 からかうような笑みではなく、嬉しさがこぼれたようなやわらかい笑顔だった。だからつい、「まあな」と素直に言葉を返す。


「私も支度をしている時から家を出るまで同じような状態でしたから。ここに歩いて来るまでに気持ちを落ち着けましたけどね」

「だから俺の部屋にしたのか?」

「いえ、それは本当にたまたまです」


 そう言って少し眉尻を下げた吉乃は、「結果的に運が良かったです」と少しいたずらっぽく笑う。


「ずるいなぁ」

「少しずるいくらいがいい女の条件だそうですよ? 優月さんから教わりました」


 肩を竦めてみせると、目の前の吉乃は口元を押さえて楽しそうにふふっと笑う。


「悪友の発言を真に受けるなよ。ってか、吉乃さんは元々いい女だよ」


 それも最高に。

ぶーぶーと文句を言う優月を頭の中に思い浮かべつつ、響樹はもう一度肩を竦めた。


「もう」


 呆れたような表情を作ってみせるものの、少し頬が緩んでいる。

 いつも通りの二人のやり取りに、柔らかな表情を浮かべる吉乃に、浮ついていた心が落ち着いていくのを感じた。


「じゃあ、行くか」

「はい」


 響樹が差し出した手に、吉乃が満面の笑みで手を重ね、互いに握り合う。いつも通りのふれ合いのはずなのに、それでも落ち着けた心が少しざわつく。

 吉乃の方も恥じらい故か、少しだけ眉尻を下げた上目遣いを響樹に向けていた。


(同じなんだよな)


 落ち着いたと思った心がすぐに騒ぎ出した。それはきっと吉乃も同じ。どうしたって意識をしてしまう。ただそれでも、二人で同じ気持ちでいられる事が何よりも嬉しかった。

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