好みのタイプ
「どうかしましたか? 難しい顔をしていますよ」
トレーニング後のストレッチを終えて、響樹が少し考え事をしたまま床に座っていると、髪をほどいた吉乃が手櫛で髪を整えながら隣に腰を下ろした。
「いや、成長を実感出来ないなと思ってさ」
体つきがすぐに変わるものでないのは承知済みだが、扱う重量も変わらないし、それどころか慣れた感覚が無い。今でも初めの頃と同じくらいの辛さがあるのだ。
二人で交互に同じマシンを使う事で吉乃の時間も奪っているのに、これでは少し情けなく思ってしまう。
「まだ本格的なウェイトトレーニングを始めて一週間ですよ」
苦笑の後にかけられた言葉は優しく、次いで「それに」と吉乃がそっと響樹の頭を撫でる。
「響樹君自身は気付いていないようですけど、私からは十分な成長を感じられますよ」
「そうか?」
「ええ」
吉乃は優しいが、響樹に対して一面では厳しい。それはつまり信頼の裏返しで、そんな彼女が嘘をついて慰める事などはあり得ない。
だから撫でられる心地良さとともに、言葉がすっと心に入ってくる。
「最初の時の響樹君は、セットの後半になるとフォームが崩れていましたよ?」
「え。マジ?」
「マジです」
吉乃から教わった正しいフォームは随分と意識していたのだがと、驚きながら彼女の方を見ると、吉乃はニコリと笑う。
「トレーニング初心者がずっと正しいフォームを保つのはとても難しいんですよ。でも段々と維持出来るようになってきて、今日はほとんど最後まで崩れませんでしたよ」
吉乃が言うには、フォームを維持し続ける方が当然トレーニングとしては大変になり、そのせいで響樹はきつさが変わらないと思っていたのではないかとの事だ。
「なるほど。でもフォームが崩れてたなら言ってくれれば直したのに」
「続けば言おうとは思いましたけど、先に言ったように響樹君のフォームは日を追うごとに良くなっていたので、不要だと思いました」
「そうか」
「ええ。順調すぎるくらいの成長ですから、自信を持ってください」
「了解。ありがとう」
「どういたしまして」
優しく笑い、吉乃が響樹の肩に頭を乗せる。
心地良い重みを感じると同時に、逆はどうなのだろうと思ってしまう。支えられる側の吉乃は、同じように心地良いのだろうか。
(こういう時とか、腕枕とか、もっと筋肉ついてた方がいいのか?)
体育大会を抜きにしても、吉乃を軽々とお姫様抱っこ出来るくらいの体を作りたいとは思っている。ただそれにはどのくらいの筋肉が必要なのか分からないし、吉乃の好みがそれ以上であれば更なる鍛錬が必要になる。
「吉乃さんは、男の体はどのくらい筋肉ついてる方がいい?」
尋ねてみると、吉乃は響樹の肩から頭を上げ、ぱちくりとまばたきをした後で「ええと」と口を開く。まったく想定していなかった質問に驚く表情は中々に珍しい。
「……考えた事がありませんでした」
「そこを今考えたら?」
質問を重ねると、吉乃の眉尻が少し下がる。
「どうして、急にそんな質問をしようと思ったんですか?」
「さっき肩に頭乗せただろ。その時に、ちゃんと筋肉ついてる方が吉乃さんの側としてもいいのかなって思って。腕枕とかも。だから好みがどんな感じか聞いとこうと思って」
「そういう事ですか」
と、小さく頷いた吉乃は少しだけ頬を緩ませた。
「お気持ちは嬉しいですけど、私は響樹君が健康でいられる体系でしたらそれが一番だと思っていますよ」
「あ、逃げた」
「逃げていません」
頬の緩みを堪えながらからかってみると、綺麗な淡紅色の唇が可愛く尖る。
「本当に、男性のタイプがどうかを考えた事なんて無くて、考える前に好きな人が出来てしまったんですよ。だから、私の好みは全てその人が基準なんです」
「……そうか」
吉乃は響樹の左胸に触れ、「照れていますね」といたずらっぽく笑う。彼女の方もそうなのは明白なのに。
「因みに響樹君。女性の好みを聞いてもいいですか?」
「そうだな。スラリとスレンダーで色白なタイプが好きだな。髪は長い方がいいかな。あとは可愛いよりも美人寄りで、料理が上手な子。性格面では少し気が強いけど俺にはちゃんと甘えてくれて、自分に厳しい努力家で、俺の事を信じて厳しくしてくれると嬉しいな。他には――」
「もう、いいです」
小悪魔だった彼女は頬を染め、「ばか」と小さく呟いた。
「お返しだ」と言葉を返しそっと顔を近付けると、吉乃がゆっくりとまぶたを下ろした。
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