二つ目の旅行
「で、耐え切れずに、と」
「まあ……」
「想像通りだな」
「だってなあ……」
気まずげな海は反論しようとしたのか口を開いたが、結局そのまま口を噤み、少ししてから息を吐いた。
諦観だろうというのは見てすぐ分かった。吉乃を優先した選択に後悔は無いし、更に言えば響樹自身も楽しみにしている。しかし、海にだって一緒に楽しんでほしいのは間違いない。
「悪かったな。断らなくて」
「いや、あの状況じゃ無理だろ。ってか逆に悪いな、気を遣わせて」
「気なんて遣ってないから気にすんな。どうせ海がヘタレたのが悪いと思ってたし」
「お前、俺の感謝を返せよ」
そう言った海が響樹の肩を軽く殴って終わり。いつも通りの軽薄な笑みを浮かべた彼が、「まあ」と口を開く。
「残念ではあるんだけどな。でも優月は楽しそうだし、実際俺も楽しみだからな。だからまあ、これはこれでいいと思ってるよ」
「そうか」
「ああ。次の手は旅行が終わった後にでも考えるさ」
「前にはしないのか……」
「うるせえ。旅行先で夜二人きりになっていい雰囲気作って布石打っとくんだよ。ってか協力しろ」
なるほどなと思った。以前響樹自身が言った事ではあるが、互いに一人暮らしの響樹と吉乃では、逢瀬の場所と時間に困る事は無い。夜も一緒にいるという二人にとって当たり前の日常すら、普通の高校生カップルにとっては貴重な機会だ。
せっかくのその機会を潰してしまった――95%海本人のせいだが――負い目が無い訳ではないし、応援したいという気持ちだってある。
「ああ、協力する。俺も吉乃さんと二人になりたいしな」
「お前は普段からそうだろうが!」
◇
「楽しみですね」
「そうだな」
何がとは聞く必要も無い。吉乃がこう口にするのは夕食後の今で三度目だ。当然、彼女がそれを分かっていないはずが無い。
ただそれでも、響樹の視線と自身の髪に触れた手のひらに思うところはあるようで、くすぐったそうな笑顔の中で口を僅かに尖らせる。
「またそうやって私を子ども扱いして」
「30%くらいだから許してくれ」
「もう。仕方ありませんね」
今日に限っては本人にも多少自覚があったのだろう。僅かに呆れたようなそれでいて優しい微笑みを浮かべ、吉乃は響樹の肩に頭を乗せて体を預けた。
響樹だって友人との旅行も、もちろん恋人との旅行も初めてだ。どちらもした事の無い高校生は別に珍しくもないと思う。だから、吉乃がこんなにも楽しみにしているのはきっと、彼女のこれまでが関係している。
それでも、そこに触れる必要は無い。吉乃と同じく少し先の予定を楽しみにする事、そしてそんな彼女を愛おしいと思う事。響樹の頭を占めるのはそれだけでいい。
「楽しみだな」
「ええ」
ただ純粋にそう思っている、楽しそうな声音。
「あの後優月さんとは少し話をしましたけど、響樹君はどこか希望の場所はありますか?」
「そうだな。特にこれと言って無いんだけど、混雑が酷くなさそうな場所かな?」
髪を撫でる手を止め、少しだけ吉乃の方へと体を向ける。
回答は彼女にとって予想済みだった事が、どこか得意げな表情から読み取れた。
「響樹君らしい回答ですけど、私も同意見です。優月さんも人出が増えるお盆は避けたいと言っていましたから、承知済みだと思いますよ」
「ああ、そう言えば言ってたな」
「現実的な話で言えば、私たちは高校生ですから。予算の問題もありますから旅行は一泊二日になるでしょうし、希望を聞いておいてではありますけど、精々県をまたぐ程度だと思います」
「その辺は仕方ないよな。まあ、今回はどこに行くかよりも誰と行くかの方だろうし」
制限がかかる事も高校生らしい、きっと良い思い出になる。吉乃が同じように考えたのかは分からないが、表情からも口ぶりからも彼女の心が弾んでいる事が伝わってくる。それに――
「自由に行きたいとこ決めて、いや、どこに行きたいか話し合うような旅行はもうちょっと先に、二人でしよう」
肩にあった小さな重みが消え、響樹の目を見つめた吉乃がまばたきを一つ。大きな目が優しく、少しだけ細得られ、「はい」と彼女は静かに喜びを示す。
「響樹君は私とならどこでもいい、なんて言いそうですけどね」
自分で言ったくせに少し照れた吉乃が可愛らしく、もう一度髪を撫でた。
「間違ってはないんだけどな。でも花見の時に実感したんだけど、綺麗な景色の中にいる吉乃さんをもっと見たいと思った。旅行に行くならそれがすごく楽しみだし、それにやっぱり二人で楽しめる所がいいから真面目に考えるぞ」
主体性の無い話ではあるが、これが正直な気持ちなのだから仕方ない。
吉乃の大きな瞳が更に大きくなり、ぱちくりとまぶたが動いてから白磁の頬にゆっくりと朱が注がれた。
「……響樹君らしいですね」
視線を逸らしてそれだけ言ってから、ちらりと響樹を窺う。少しだけ頬が緩んだ自覚はあったが、吉乃から見てもそうだったようだ。可愛らしく尖らせた唇から「ばか」とだけ小さく発し、吉乃は響樹の胸に顔を埋め、響樹はそんな彼女を抱き寄せた。
「楽しみにしていますからね。忘れませんよ」
しばらくサラサラの髪の感触を堪能させてもらった響樹に対し、ほんの少し顔を持ち上げた吉乃が目だけを向ける。僅かに眉根を寄せて怒っているアピールこそしているものの、やわらかな目元に気付けない訳が無い。
「知ってるよ」
「はい」
優しくそう言って頷き、吉乃がもう一度響樹の胸に顔を埋め、今度は背中に腕を回した。
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