処分不可

「手帳って本屋で買うのか」

「色んな所で買えますけど、種類が豊富な売り場となるとここが一番近いかなと思います」

「なるほど」


 今まで手帳を使った事の無い響樹である。どんな物を選んでいいかも当然分からずに吉乃を頼った訳だが、選択肢を増やしてくれたのは彼女の心遣いだと感じた。


「もう新年度が始まっていますから手帳コーナーは少し縮小されてしまっていますけど、一般的なタイプは一通り揃っていますよ」


 学校帰りにそのまま立ち寄った書店で、吉乃は入口横を手のひらで示した。


「縮小されてこれか」


 響樹が実家にいた頃に使っていた書店では、手帳コーナーはこれ程目立つ所には無かった。だから初めて意識して見る訳だが、数の多さ――しかも縮小後との事――に驚く。手帳と言われてイメージする黒いタイプや、女子が使うようなカラフルで可愛らしいデザインの物などは認識していた。しかしそれ以外にも種類は多く、しかもイメージ上ではポケットサイズだったのだが、意外にも大きなサイズも豊富だ。中には教科書より大きな物もあった。


「やっぱり売れてるやつが使いやすいのか?」


 一部の手帳には『社会人さんに人気』『学生さんに人気』などの手書きポップが付いている。それを指差しながら尋ねてみると、「そうですね」と頷いた後で、吉乃は「ただ」と言葉を続けた。覗かせる表情は響樹にレクチャーをしてくれる時に見せるもので、少しお姉さんぶった彼女の楽しそうな笑顔が響樹の心も少し弾ませる。


「響樹君がどんな用途で使いたいか次第ですよ。簡単な予定の管理でしたらこういったマンスリータイプ使いやすいかと思いますけど、予定が多い場合はスペースが足りずにウィークリータイプを選ぶ方もいるようです。あとは、時間単位で予定を管理した方はデイリータイプ、学生でも1日の勉強時間管理をしている方は使っていますね」

「じゃあ俺はマンスリータイプでよさそうだな」


 勉強時間管理を厳にするつもりは無いし、予定だって書ききれない程入る事は無いだろう。


「因みに吉乃さんは?」

「私はマンスリータイプです。それ程スペースが必要ではありませんから」


 吉乃も友人は多くない。そもそも失礼ながら昨年の段階で手帳が必要なのかと思ったくらいだった。


「今、失礼な事を考えませんでしたか?」

「流石」

「『流石』ではありません、もう」


 ほんの少しだけ唇を尖らせた吉乃は、響樹の手の甲を優しくつねった。


「大体、私の手帳はほぼ毎日埋まっています。書く事だって全部を書いていないだけで本当はたくさんあるんです。響樹君のせいですよ?」

「……なるほどな」


 いじけたような表情から一転、肩が触れるか触れないかまで身を寄せ、小悪魔の表情で見上げる吉乃にドキリとさせられる。


「むしろ俺との予定が無い日を手帳に書いた方が効率的だな」


 そう軽口を叩いてみるのだが、吉乃は優しく微笑んで首を振る。


「手帳を見る時、そこに響樹君の名前があって、一緒に過ごす予定が書いてある事、とても幸せなんですよ」

「……なるほど」

「ええ」


 緩みかけた頬を押さえると、ほんの僅かだけ頬を色付かせた吉乃が目を細めて優しく笑い、濡羽色の髪をさらりと揺らす。


「手帳を買いたい理由が増えたな」


 最初はせっかくの贈り物を使う機会として。次に吉乃と同じ予定を綴るため。そして、彼女と過ごす日々により幸せを見出すため。きっと響樹の手帳は、「吉乃さん」の文字列で埋まる事だろう。その想像だけで、もう既に胸が温かい。


「本当は手帳なんて要らなかったんです」

「ん?」


 響樹を優しく見つめていた吉乃が、手帳コーナーに視線を落として少し眉尻を下げた。口調は穏やかで、懐かしむようであり、少し悲しい響きもあったように思う。


「滅多に予定なんて入りませんでしたし、手帳を使わなくても忘れる事なんてありませんから。必要だったからではなく、周囲に合わせるために買ったんですよ」

「ああ……」


 なるほどと思った。使っているパステルピンクの手帳は吉乃の趣味ではないと思っていたし、わざわざペンで色分けしていたのも不思議だった。


「でも、響樹君をまだ天羽君と呼んでいた頃、カラオケに連れて行ってくれましたよね」

「俺について来てくれたんだろ?」


 顔をこちらに向けて少し目を丸くした後でくすりと笑い、吉乃はそっと響樹の指に触れた。だから響樹も少しだけ動かし、指先だけを触れ合わせる。


「今思えばあの時も少し意識はしたんですけど、特にクリスマスの約束は本当に。毎日毎日どころか、家にいる時は意味も無く手帳を開いてばかりでした。忘れるはずなんてないのに、もう目に焼き付いていたのに、それでも『天羽君とクリスマスパーティー』と書かれた手帳を、何度も何度も」


 懐かしむような声でありながら、温かな響きだけしか感じられない口調。微笑みも、頬の色も。


「きっと、私はもう手帳を処分出来ないでしょうね」

「多分俺もそうなるだろうな」

「……はい」


 小さくこくりと頷いた吉乃に、響樹も同じように首を縦に振って応えた。




※※

追ってくださっている方には申し訳ありませんが、諸事情によりしばらくは更新速度が(更に)落ちます。

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