罰(ご褒美)
新学期初日、始業式の日には授業が無い。午前中に始業式とLHRがあってそれで終わりである。午後には入学式があるが、生徒会や部活動に参加していない者たちには関りが無い。
しかしだからと言って午後からは吉乃と一緒に過ごせたかというとそうではなく、彼女の方も響樹の方も新しいクラスメイトと昼食をともにし、その後も何だかんだと遊びに繰り出した結果、響樹が吉乃の部屋を訪れたのは夕方になってからだった。
「いや自分で……頼む」
「はい」
「いらっしゃい」「お邪魔します」の後で立ち入らせてもらったリビングで、ブレザーを脱がせてくれると言った彼女に屈した。正確に表すのであれば、楽しそうに笑う吉乃を見たらノーとは言えなかったし、言うつもりも無くなってしまった。
甘やかしてもらっているのか、甘やかしているのか。きっと両方なのだろうなと思うと頬が緩む。
「次はネクタイを」
「いやネクタイはどうせ……頼む」
「はい」
これも同じ。期待のこもった吉乃の笑顔の前では響樹は無力なのだ。
吉乃は嬉しそうに頷き、朝と同じく恋人の距離で響樹のネクタイをゆっくりと外した。そうしてはにかみながらの上目遣いを響樹へと向け、ブレザーとともにネクタイをハンガーにかけた。その隣には彼女の物も同じように吊るされている。同じ事が出来なくて少し残念に思う反面、上着とはいえ吉乃に服を脱がせるのは自分にはまだ早いような気もして少しホッとした。
「新しいクラスはどうでしたか?」
促されてソファーに腰を下ろすと、隣で肩を触れ合わせた吉乃が小さく首を傾げ、艶やかな髪を僅かに揺らした。
「何とかやっていけそうだよ」
響樹は一人でいる事を苦にしないが、もちろん好き好んで孤立したい訳ではない。新しいクラスにも、馴染めるものなら当然馴染みたい。
そんな訳で今朝教室に入る前には多少の緊張もあったが、知り合いがいない訳でもなかったし、面識の無かった物たちからも意外な程に話しかけられた。これに関しては吉乃と交際をしている影響で上がった知名度のおかげによるところが大きいと思う。会話の内容でも何度か彼女の名前が挙がっていた事であるし。
下駄を履かせてもらったような状態なので少し格好がつかないと思う面もあるが、吉乃の存在が自分を助けてくれたのだと考えると、胸の内が温かいもので満ちる。
「心配だったか?」
「いいえ」
そんな感謝をひっそりと込めてそっと髪に手を伸ばしながら尋ねると、吉乃はくすぐったそうに目を細め、響樹の手のひらの下でゆっくりと首を振った。
「響樹君がどれだけ素敵な人なのか、私が一番知っていますから」
「過大評価だと思うけどな。でも、ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいよ」
「どういたしまして。本当の事ですから」
吉乃が嘘をつくとは思っていないが、自然な優しい笑みは彼女の本心を如実に表してくれている。
しかしそんな笑みから表情が変わり、吉乃はわざとらしく口を尖らせた。
「別の心配はしていましたけどね」
「その点は安心してくれ」
それこそ過大評価だと肩を竦めてみせると、少し表情を崩した吉乃が「はい」と響樹の肩に頭を乗せる。
そんな心地良い重さとほのかな甘い香り、それから手のひらに感じるなめらかな感触をしばらく堪能させてもらってから、響樹は同じ質問を返す。
「吉乃さんはどうだった? 新しいクラス」
自身の頭から離れて行った響樹の手のひらに一瞬惜しむような視線を送ってから、吉乃はやわらかく笑って響樹の目を見つめた。
「何とかやっていけそうです。心配でしたか?」
「いや、全く」
「心配してくれなかったんですね」
「心配しても怒るだろうに」
じっと見つめる吉乃のやわらかな頬に指で触れて「俺だって一番知ってるんだからな」とそっと押すと、「はい、そうですね」と彼女が頬を綻ばせる。
「優月さんや島原君以外にも知り合いはいましたし、響樹君とお付き合いしている影響なのだと思いますけど、去年よりも話しかけられる事が増えましたね……因みにお相手は女子ですよ?」
最後にいたずらっぽく笑って付け足し、吉乃はお返しとばかりに響樹の頬を優しくつつく。
以前も同じ手法でからかわれたが、今回も吉乃の思惑通りの表情を見せてしまったのだろう。
「まったく」
「すみません」
憤慨したフリをしてみせると、吉乃がくすりと笑い眉尻を下げる。
響樹はそんな吉乃が頬に触れたままの指を取り、彼女のしなやかな指全てを絡めとり、ゆっくりと引き寄せた。抵抗はまるで無く、響樹の空いた片腕の中に吉乃の華奢な体がすっぽりと収まった。
「罰としてもうしばらくはこうさせてもらうからな」
「ご褒美ですよ」
可愛らしいはにかみを見せた吉乃が、そのまま響樹の胸に顔を埋めた。
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