目聡さの理由
「そう言えば響樹君。二年生になった実感は湧きましたか?」
久しぶりに歩く通学路、既にほかの生徒がちらほらと見えるので繋いだ手は残念ながら解いている。そんな折、吉乃がほんの少し響樹を覗き込むようにしながら首を傾げた。可愛らしい微笑みにはどこか少しからかうような色が見えた。
「あー……」
ネクタイを締めてもらう口実がそれだった事など、今の今まですっかり忘れていた。すぐそばの吉乃がしてくれる行いに、その表情に、響樹の心は惹きつけられていて、それ以外の事は頭から抜けていたのだと思う。
「やっぱり」
くすりと笑った後で聞こえたのは、それを最初から知っていたかのような吉乃の楽しそうな声。
「そう言う吉乃さんはどうなんだ?」
「私も今思い出したところです」
降参とばかりに肩を竦めて尋ね返せば、吉乃がはにかみを浮かべる。
「ネクタイを結ぶ時も、その後も、考えていたのは別の事でしたので」
「別の事?」
「ええ」
ニコリと笑う吉乃はその「別の事」が何かを教えてくれるつもりは無いようで、視線を前に戻す。
一応「教えてくれないのか?」と尋ねてみるが、吉乃は首を小さく振って濡羽色の髪を僅かに揺らして、口元を押さえながらふふっと笑った。
「何年か先、もしかしたら10年程になるかもしれませんが、教えてあげますよ」
「だいぶ先だな」
「そうですね。でも、きっとすぐですよ」
「……だな」
響樹へと視線を戻した吉乃はニコリと笑いながら矛盾したことを口にする。だが、きっとそれは事実だ。告げられた時間はだいぶ先であるが、吉乃と一緒であればその長さなどは気にならない。幸せな時間は過ぎるのが早いと先程実感したばかりでもあるし、尚更だ。
それにこの先の人生、吉乃とともにいる時間は10年どころではない。響樹も吉乃もそのつもりでいるのだ。きっと、本当にすぐに過ぎてしまうだろう。幸せな想像だ。
「一緒の時間がすぐに過ぎるってのも、少しもったいない気はするけどな」
「そうですね」
ほんの少し眉尻を下げ、吉乃は響樹へと視線を移す。
「でも、だからこそ、一緒にいる時間を今まで以上に大切にしたいですね」
「ああ」
「これからあと2年間の高校生活、改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼む」
優しい微笑みを浮かべた吉乃が前を向き、その視線の先にはこれからも2年近くくぐる校門が見える。今日は諸事情により出発が少し遅れたので、始業式の影響もあるかもしれないが、普段よりも生徒が多くいる。
周囲の方も慣れはあるのだろうが、それでもやはり吉乃は人目を集める。彼女が言うには隣に恋人がいるので余計にだそうなのだが、それを気にした様子も無くすまし顔でそのまま歩を進め、昇降口付近で足を止めた。
「私は一組ですね」
更なる人だかりから少し離れて組分けの掲示板を眺めていた吉乃は、自分の名前を見つけたようだった。実は響樹はそれより少し早く烏丸吉乃の四文字を見つけていたが、少し背伸びをしながらの彼女が可愛くて黙っていた。
その後もクラスメイトの確認なのか、吉乃はもうしばらくの間踵を上げていた。
「という事は、俺は五組以降か」
「そうですね。恐らく五組か六組、理系の先頭クラスだと思いますよ」
「何でそこまで分かるんだ?」
文系の吉乃が一組であるので、理系の響樹は五組か六組以降であるのは間違いない。しかしそれ以降のどこに配置されるかは不明なはずなのだが、彼女が浮かべる笑みの中には自信が見える。
「文理それぞれ、成績順でクラス分けがされていると思います。去年の上位者の半分程が一組にいましたから」
少し声を落とした吉乃が言うには、昨年度貼り出された上位十名に入った生徒は六回の試験で二十一名いたそうだ。その内吉乃を含む十二名が二年一組に振り分けられているとの事なので、成績順だというのはまず間違いないだろう。因みに島原海と花村優月の名前も一組に存在している。上位十名には入っていないが、あの二人も成績は上位の方にいるので信憑性が増す。
偶然の一致とするのは確率から見てあり得ない。そう考えると、響樹の名前が理系の先頭クラスにあるというのは間違い無さそうである。
「なるほどな。しかしよく覚えてるな」
「特技ですからね」
周囲からはきっと普段の烏丸吉乃に見える事だろうが、響樹には彼女の喜びと少し子どもっぽい自慢げな様子が分かる。
「家に帰ったら存分に褒めるよ」
「ええ、楽しみにしています」
掲示板の前で吉乃がほんの少し頬を緩ませる。
楽しみにしているのはこちらだと、その可愛らしい笑顔に心中で告げた。
「あ、響樹君の名前がありましたよ。六組です」
そんな中で吉乃が響樹の制服を摘まんだ。僅かに重みの増した肘に言いようの無い幸せを覚えてしまう。
「見つけるの早いな」
「天羽、ですからね」
確かに見つけやすい位置にあるのは間違いないが、響樹よりも先にというのは響樹の視線が掲示板でなく吉乃に向いていたのも理由の一つだろう。
「それに、響樹君の名前ですから」
「そうか」
「ええ」
ただきっと、吉乃が言ってくれた事が一番の理由だ。
「実は俺も吉乃さんの名前先に見つけてたぞ」
「本当ですか?」
疑うような言葉でありながら、ほんのりと頬を染めた吉乃からはそんな様子はまるで見えなかった。
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