第97話 変化の理由

「どうした響樹? スマホばっか見て」


 週が明けた月曜、三時間目の授業が終わった休み時間に海がそんな事を言いながら響樹の肩を叩いた。

 その様子を見てか、「烏丸さんからの連絡待ちか?」と通りがかりのクラスメイトに茶化されたが、「ちげーよ」と返しておいた。


「で、実際どうした?」


 そのまま歩いて行ってしまった級友を見送った海がいつもの軽い笑みを抑えつつもう一度尋ねるので、響樹は僅かな苦笑を浮かべる。


「まあ連絡待ちだ。吉乃さんじゃないぞ」

「それはわかる」


 待っているのは両親からの連絡だ。今朝学校に着いてから送ったメールの返事を待っている。


 先週、文理選択を終えた響樹に吉乃が語った事。彼女が父親に連絡を取った理由、負けない事にしたと堂々と言い切った吉乃。そんな彼女を好み尊敬する響樹としては当然触発される。

 しかし吉乃がしたからという理由だけで両親に連絡をするのは格好悪いと思い、一人の時間で散々悩んだ末に理屈を捏ねくり回し、なんとか日曜の夜に屁理屈を固めた。


 そして今日の朝、時差を考慮して学校に着いた後にメールを送った。吉乃が言ったように両親が響樹に対しどう思っているかなどは気にせず、ただ響樹の意地で送りたかっただけだと、返事など来なくてもいいとそう思って。

 しかし結局は休み時間ごとにスマホを眺めている自分を海に指摘され、自分はまだまだ吉乃に及ばないのだなと実感する。それが少し悔しくもあり、同時に彼女に対する尊敬の気持ちが強くなって誇らしい。


「女か?」

「ある訳ないだろ」

「知ってる」

「じゃあ聞くな」


 とは言ったものの、海の笑みが軽い調子に変わったのは響樹が質問の答えをはぐらかした事を受けてなのだろうとわかる。


「じゃあ響樹、そういう事でダブルデート行こうぜ!」


 何が「そういう事で」なのかはわからないが、海は自信満々といった顔でサムズアップである。


「花村さんの提案か?」

「おいおい。俺が優月がいないと何もできないみたいに言うなよ。元々考えてたけど、せっかくだし言ってみた」


 海ならば確かに――最近の浮かれ具合を見れば余計に――考えそうな事ではある。

 それに恐らくは響樹を励ますような意図もあったのではないだろうか。海は人の心の機微に敏く、先ほどまでの響樹に何やら思うところがあって誘ってくれたような気がしている。


「ダブルデートか」


 四人とも顔見知りであり、彼氏同士彼女同士はそれぞれ友人である。一緒に出掛けて気まずくなる事などは無いだろうし、きっと楽しめるはずだ。だがせっかくデートをするのであれば響樹としては吉乃と二人きりで時間を使いたいと思うし、わざわざ四人でという事にメリットを感じないのが実情だ。

 しかし吉乃は喜ぶような気がしたし、そんな彼女を隣で見たいとも思った。感じなかったメリットではあるが、考えてみると相当に大きい。

 まあそれに、海の気遣いも嬉しかったし、そんな友人が恋人に対してどんな顔を見せるのか、学校以外での様子も少し見てみたいと思った。


「わかった。とりあえず俺は了解だ」

「行き先も聞かずに了解していいのか?」

「お前がそういうの外すと思えないし。変なとこ選んだら吉乃さんがっかりするだろうしな。お前のいるとこでは気を遣うだろうけど、後で『島原君を少し過大評価していたようです』とか言うぞ」


 一般的なところであれば吉乃が残念がる事などは無いだろうし、きっと四人で出掛ける機会自体を海に感謝する事だろう。

 因みに今の吉乃の口調は上手く再現ができたと思った。


「……お前プレッシャーかけるのやめろよ。まだどこ行くか決めてねーんだぞ」

「頑張ってくれよ」

「お前も一緒に決めろ。昼休みに作戦会議だ」

「俺もかよ」


 口ではそう言ったものの、どんな場所を選べば吉乃が喜んでくれるだろうと、響樹の思考はあっさりとそちらに流れた。



 帰り道、海との間で仮決定した事を吉乃に伝えると、彼女は少し驚いたように響樹を見上げた。


「ダブルデート、ですか」

「ああ。海たちと、遊園地にどうかって」


 昼休みにああだこうだと話し合った結果、提案する場所は決まっている。

 因みに響樹はカラオケ辺りでいいのではないかと――吉乃が好きなので――思ったのだが、優月がカラオケ店でアルバイトをしているので案の優先度としては下がった。


「楽しそうですね。是非ご一緒したいです」


 やはり響樹の予想は正しかった。吉乃は顔を綻ばせ、「いつの予定ですか?」と首を傾げる。

 遠足を楽しみにする子どもと言ったら吉乃に怒られるだろうが、手を繋いだ腕の振り幅が少し広くなった事に彼女は気付いているだろうか。


「花村さんの予定次第だけど、今週の日曜かな。土曜はバイトあるらしいし」

「私はその日でしたら空いています」

「知ってるよ」

「あ……」


 学校外ではほとんど一緒にいるのだし、今後もそうするつもりなのだ。お互いの予定くらいはきっちり話し合っているのだから。

 自分の状態に気付いて羞恥に頬を染めて目を伏せた吉乃は、それを忘れるくらいに楽しみだったのだろう。


(やっぱ了解して正解だったな)


 吉乃がこれだけ楽しみにしてくれているのだし、更に恥ずかしがる可愛らしい姿も見られた。

 当日もきっと、海や優月の前という事で表面上は抑えるのだろうが、響樹にとって何より嬉しい楽しそうな吉乃がたくさん見られる事だろう。


「じゃあ海に連絡しとく」

「はい。お願いします」


 そう言って一旦吉乃と繋いだ手を解き、ポケットからスマホを取りだすと、通知が来ていた。それも二件、父と母の両方からメールが届いているという報せ。

 開きたいという思いはあったが今は届いた事だけで十分で、吉乃に悟られないように海への連絡を済ませた。



 今日の勉強会は吉乃の家。その最中も彼女は少しそわそわした様子を覗かせていた。微笑ましくて頬を緩めた事が何度かあったのだが、そのたびに響樹に対して吉乃が少しむくれていて堪らなく可愛らしかった。


 そんな楽しい時間を終えて帰宅し、ようやくスマホに届いたメールを確認すると、母からは『頑張りなさい』とだけ。

 素っ気ないがまあ母らしいと言えばらしい言葉で、逆にもっと長い文章が送られてきたら気持ち悪かったかもしれない。


 以前の響樹であれば、せっかく自分から歩み寄ったのにこれだけかと憤慨していたかもしれないのだが、今はまるで。そんな自分に少し驚きつつ開いた父のメールはもう少し長かった。

 少なからず人生に関わる決断をした事に対する労い、今後もそういった決断をしなければならない場面は多くあるという戒め、そして最後は響樹の将来を楽しみにしているという言葉で締めくくられていた。


「教師じゃねーんだからさ」


 父からこんなに長い言葉を貰った事など無かった。少し教師の説教じみてはいるなと思いこそしたが、不思議な感慨がある。


 自分がもっと早くに歩み寄っていれば、もっと早くにこんな言葉を直接かけてもらっていたのだろうか。

 考えてみても詮の無い事とはいえどうしても考えてしまう。


 ただわかるのは、今自分がこうやって変わる事ができたのは間違いなく吉乃のおかげであるという事。

 クラスメイトたちとの関係もそうだし、きっと色んな事がそうなのだろうなと思えた。


『ありがとう』


 それだけを綴ったメッセージを送ると、数分後に電話がかかってきた。

 応答後、意味の通じないメッセージで吉乃に催促をしたように思えて急に恥ずかしくなったのだが、彼女は何も言わず『響樹君の声が聞きたくなったので』と、優しい声でそう言うだけだった。

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