第89話 込めた意味

「考えてみれば私が使うクッションを買うのに響樹君について来ていただく必要はありませんね」

「さっきと言ってる事――」

「ありませんね?」


 まだ赤い顔のままではあるが、ニコリと笑って圧をかける吉乃に対しては「はい」以外の回答はできなかった。

 主にナンパの心配があったのだが、吉乃は「店内でそうしつこくはされませんよ」と少し機嫌を直してやわらかな笑みを浮かべていた。


 そういった訳でベンチに腰掛け吉乃を待つ事になった響樹が周囲を見渡してみると、土曜の午後という事もあって来客は多い。今いるフロアは一階、付近では家具やインテリアの他は食事処などが多く、視界に入る範囲に高校生は見当たらない。

 更に言えば家族連れも多く男だけのグループなども見当たらず、ひとまずナンパの心配などは大丈夫そうで響樹としては安心である。


 そんな自分の独占欲に気付き苦笑とともに軽く頭を振ると、視線の先に少し趣の違う店舗を見つけた。

 木の色そのままと緑を組み合わせた目に優しい配色の店構えに、扱う商品が店の前に並んでいる。


(花屋か。吉乃さん欲しがってたっけ)


 クリスマス誕生日から今日まで、短い間に色々とありすぎて中々用意できなかったプレゼント。

 誕生日プレゼントとしてはずいぶん遅れてしまったが、恋人として初めての贈り物なのだから、彼女が欲しがっていた物を贈りたいと思った。


 花の香りに誘われるようにと言う訳ではないが自然と足を向けると、店の前にある物だけでなく奥側の花も目に入る。

 様々な色の花々ではあるが基本的に近い色同士で並んでおり目が痛くなるような事は無く、香りも喧嘩をせずに居心地が良い。考えられた配置なのだろうと思えた。


「贈り物ですか?」


 他に来客がいなかったからなのだろうか、店内をきょろきょろとしていた響樹に店員の女性が声を掛けてくれた。看板にある店名と同じ文字の書かれた緑色のエプロンをかけた店員は、二十代前半ほどだろうか。


「はい。ええと、同い年くらいの女性に贈りたいんですけど」

「彼女さんですか?」

「はい……」


 店員の目が輝いたような気がした。向こうもプロなのでわかるのかもしれないが、違ったら相当に気まずいだろうにと、違わないのに少し気まずい響樹としては思わざるを得ない。


「いいですねえ、高校生同士のカップルで彼女さんに花を贈るなんて。お目が高いですよ」

「そうですかね?」

「そうです。花が嫌いな女の子はいません。花屋が言うんですから間違いありません」


 花屋が言ってもセールストークにしか聞こえないのだが、響樹は曖昧に「はあ」とだけ返しておいた。


「ご予算は? あ、少しくらいならおまけしますよ」

「それはいいんですか?」

「いいんですよ。悪かったとしても値引きボタンが付いてるレジが悪いんです」

「……ありがとうございます」


 花屋で働くくらいなのだから花が好きなのだろう。そこへ彼女へのプレゼントだと言う高校生がやって来たせいで変なテンションになっているのだと解釈した。まさか普段からこうではあるまいと思いたい。


「初めてのプレゼントなんで――」

「初めて! あ、すみません」

「……なのでまあ、相手に引かれないくらいの価格帯で、どんなのがいいか教えていただけたらと」

「はい教えます。教えますとも」


 やたらと興奮状態の彼女に不安こそ募りはしたが、店の奥の方にいたもう一人の年配の店員は苦笑こそ浮かべていたものの特に問題視はしていなさそうだったので、響樹はもう色々諦めて任せる事にした。


「贈りたい花は決まってます? 特に無い。では花言葉や相手のイメージで選ぶなんていうのもいいですよ。他にはそうですね、生花だとしたら彼女さんが持っている花瓶の――」



 その後買い物を終えて響樹の部屋に戻り、買った湯呑で早速お茶を飲み終えたところで気付く。


「あれ? 吉乃さん、買ったクッションは?」

「展示してあった物ですので、家で洗濯をしてから持って来ようと思います」

「ああ。それなら俺が洗濯しとくぞ。往復で荷物になるだろうし」

「ありがとうございます。でも、私がします。家には乾燥機もありますから、明日には持って来られると思いますので」

「まあ、そうか」

「ええ」


 穏やかに笑う吉乃は何かを隠しているような気はしたが、発言の内容は理に適っている。乾燥機の無い響樹の部屋では明日までにクッションは乾くまい。


「ところで響樹君。そろそろどこに行っていたか教えてくれるんですよね?」

「ああ」


 花屋の店員が熱くなったおかげで満足のいく物は買えたのだが、吉乃を待たせる結果となった。

 謝罪を伝えたところ吉乃は怒ってはいなかったのだが、「どちらへ行っていたんですか?」とは聞かれたので「家に帰ったら話す」とだけ伝えておいた。


「吉乃さん」

「はい」


 食器の袋の中に隠しておいた小さな袋を取り出し、テーブルの向かいにいた吉乃の横に正座した響樹に合わせ、彼女の方も佇まいを正した。


「これ、贈らせてくれないか?」

「プリザーブドフラワー、ですか?」


 差し出したのは円筒形のクリアケースの中に入った一本の白いバラ。


「ありがとうございます」


 目を細めて顔を綻ばせた吉乃が大切そうに両手で受け取り、抱えた。

 注がれる視線は優しさや喜びにあふれているのだと思う。


「嬉しいです。ありがとうございます、響樹君」


 一旦視線を響樹へと戻し、吉乃が丁寧に頭を下げた。


「でも、贈らせてくれとは……あ」

「花欲しいって言ってただろ? 今の俺なら、渡してもいいかなって」


 花に視線を落とした後、今度は響樹に僅かに上向きな角度のついた視線を送った吉乃が首を傾げ、そうして固まった。透き通るような白い肌は色付きを増していく。


「どうしてっ……響樹君はそうやって、変なタイミングで気付くんですか?」

「たまたま花屋を見つけて、そこでまあ色々と」


 具体的には吉乃が花瓶を持っているかを尋ねられた時、彼女の部屋には観葉植物の類はあるが花瓶は無く、その記憶をもとに「持っていないと思います」と答えた際、何かにひっかかりを覚えた。

 吉乃自身から花瓶を持っていないという話を聞いたような気がして記憶を探り、その結果思い出した。響樹が言った事だ、「そういうのは恋人にでも貰ってくれ」と。


「あの時の言葉はそういう意味だったんだな」

「そういう意味ですけどっ……」


 口を尖らせた吉乃は、顔を朱に染めて潤んだ瞳を響樹に向けながらもいまだ大事に花を抱えている。

 それが響樹にとっては何より嬉しい。気に入ってくれたのだとわかる。恋人として初めての贈り物が花で気障ったらしいと思わないでもなかったが、贈ってよかった。そう思う。


「花言葉は吉乃さんなら知ってるかもしれないけど、教えてもらった内で『尊敬』が一番しっくり来た」

「尊敬……」


 店員からは「愛情」の赤でなくていいのかと問われたが、吉乃のイメージには白の方が合うと思ったし、赤はまたいずれ贈るつもりだ。

 因みに「淑やか」や「上品」という意味のあるらしいピンクも勧められはしたが、事前にピンクのクッションでからかっていたので選べなかった。


「あと、あれだ。本数でも意味が変わるらしい。知ってるか?」


 バラを見つめていた吉乃が顔を上げ、「はい」と囁くように小さな声を出し、こくりと頷いた。

 整った顔は既に真っ赤に染まり、瞳も熱を帯びている。


「流石だな」

「ばか。響樹君のばか。どうしてそんなに恥ずかしい事ばかり言うんですか」

「まだ言ってないけど」

「ばか」


 吉乃なりの照れ隠しの言葉なのだろう、プリザーブドフラワーを胸元で大事に抱きながら、彼女はそのまま響樹の胸に額を預けた。


「今顔を見たら怒ります」

「了解」


 苦笑しながらも、響樹は吉乃の背中に両手を回して彼女を抱き寄せ、そのまま抱き締める。抵抗は一切無かった。

 吉乃の手が塞がっているので抱擁を交わすとはいかなかったが、少し甘い彼女の香りとブレザー越しにも関わらずやわらかさが存分に伝わる。


「俺には君だけだ、吉乃さん」

「私も響樹君だけです。ばか」


 一本のバラの意味を改めて口にすると、僅かに体を震わせた吉乃からは優しく澄んだ声が聞こえた。

 顔は見るなと言われたが、どんな表情をしているかは見なくてもありありと目に浮かんだ。

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