第83話 恋人のような雰囲気
「お付き合いをさせていただいています」
響樹と歩く通学路、吉乃はその言葉を計三度口にした。
おはようと声を掛けてくる者はもっと多かったが、響樹と吉乃の関係に言及した者は三人。その誰もに、吉乃は穏やかな笑みを浮かべながら先の定型句を返していた。
「しかし、二学期の時は聞かれなかったけど、今回は聞かれるんだな」
「そうですね……やはり、恋人のような雰囲気が出ているんでしょうか?」
どこか嬉しそうに頬を緩めながら、吉乃が響樹に視線を向ける。
先ほど思った事だが二人の距離感は以前よりもずっと近い。しかし吉乃の表情は穏やかなままで、響樹以外にその変化に気付く者はいるだろうかと思う。
「二回目だからってのもあるんじゃないか?」
「……やはり、恋人のような雰囲気が出ているんでしょうか?」
一度ならば偶然でも、冬休みをまたいで初日からまた一緒に登校したのでは疑念も強まるだろう。
恋人のような雰囲気という言葉が少し気恥ずかしく、そんな事を思いながら返した答え。しかし一瞬口を尖らせて胡乱な目を響樹に向けた後、吉乃はニコリと笑いながら先ほどと同じ質問を繰り返した。
「……そうだと思うよ」
「はい。私もそう思います」
「誘導尋問ですらない」
「響樹君が恥ずかしがって素直に答えてくれないのが悪いんです」
響樹の内心をきっちりと見抜き、吉乃は頬を膨らませる。
「素直だと気持ち悪いって誰かさんに言われたからな」
「恋人になっても、響樹君はああ言えばこう言いますね」
校門が見えてきて周囲に人が増えたためか、普段の吉乃ならばくすりと笑う場面でも彼女の笑みは穏やかなまま。もちろん響樹にはその表情でも吉乃の感情がわかる。
(楽しんでるよなあ)
二学期の終業式の日もそう思ったが、今日はより一層だ。
これから起こる面倒などまるで意に介していない、響樹と一緒に登校する事を、恋人であると明かす事を吉乃は楽しんでいる。
「俺も楽しむとするよ」
「ええ。そうしてください」
前回同様付近の視線が全て自分たちに集まっている。気にならないと言えば全くの嘘であるし、なんなら気後れすら覚える。
しかし、吉乃が楽しむつもりでいる以上響樹もその思いを共有したい。楽しめるかどうかはともかくとして、楽しむつもりで臨もうと思う。
「あの二人付き合ってるらしい」
「マジ?」
「今メッセージ回ってきた」
「マジか」
だからさっさと誰か声を掛けて来いと思いながら校門をくぐった響樹だったが、そんな必要すら無く声が上がり広がっていく。
「マジかはこっちの台詞だろ。何だこの広まりの速さは」
「流石に驚きますね」
表情こそ穏やかではあるが、吉乃の眉尻がほんの少し下がっている。彼女自身、自分の影響力をわかっていたはずだが、現状はその予想すら超えるのだろう。
三学期の始業式の朝は、こんなふうにだいぶ騒がしく始まった。
◇
二組の吉乃が自分の教室に入った後、三組の響樹は自分の教室にたどり着く前にまたもや捕まった。余所のクラスの男子連中だ。
響樹が思うのもなんではあるが、全員目が怖い。
「烏丸さんと付き合ってるってホントか?」
冬休み前にははっきりと聞かれなかった事だが、今日は男子もはっきりと聞くんだなと、そんな事を思いながら「ああ」と答えると、彼らは一様に肩を落とした。
聞きたかった事はそれだけらしく今回はあっさりと解放された響樹が教室に入ると、中にいた十人弱ほどの視線が一斉にこちらを向く。吉乃の時間に会わせているためまだ人数は少ない。
「おはよう天羽君」
女子が多く、普段話す事も無いので挨拶もせずそのまま席に着いたのだが、教室内の女子が全員寄って来た。前の時も思っていたが、どちらかと言えば怖がられていたような気がするのに女子というのは不思議なものである。
合計六人、これだけの女子に囲まれるのは響樹史上初めてで、流石に気圧される。しかも全員が全員興味津々であると顔に書いてあるのだ。楽しむと言いはしたが、ちょっと無理ではないかという思いがふつふつと湧いてくる。
「ああ、おはよ――」
「やっぱり付き合ってるじゃん」
「ねー。二学期の時は付き合ってないって言ってたのに」
「え? 冬休み中から付き合い始めたんじゃないの?」
「私もそう聞いたけど」
取り敢えず挨拶を返そうとしたが、それすらまともにさせてもらえない。彼女たちは既に響樹抜きで盛り上がり始めた。
しかしそうかと思えば「どうなの天羽君」と今度は響樹に話が向く。吉乃以外の女子とほぼ接しない――精々たまに優月とがあるくらい――響樹からすると、彼女たちの話題転換の速さは驚きである。
「まあ、冬休み中から……」
「ほらやっぱり」
「そうなんだ。じゃあ間違ってる噂否定しとくよ」
「あ、私も」
何人かはスマホを取り出して指を滑らせ始めた。女性は噂好きだと聞くが本当らしい。
先ほどの男子連中とは大違いで少し苦笑が漏れる。まあ彼らの場合、恐らく好意を寄せていた吉乃に恋人がいた事でそれどころではない面もあったのだろうが。
「女子ってフットワーク軽いんだな」
「もしかして、困る?」
「いや、間違った情報訂正してもらえるのは助かる」
軽く息を吐きながら苦笑した響樹に、最初に挨拶をしてくれた岡崎が気遣わし気な視線を送って来たが、首を振っておく。
噂が広まるのは覚悟の上で、ある意味願ったり叶ったりではあるが内容が間違っていては困る。
「元々隠さないって吉乃さんと話しといた――」
「吉乃さん!?」
「吉乃さんだって!」
互いの呼び名について、いないところでも下の方で呼ぶ事も約束の一つであるのだが、こうも過剰に反応されると急に恥ずかしくなってくる。
岡崎をはじめとした女子たちは、黄色い声を上げながら互いにきゃいきゃいと楽しそうにはしゃいでいる。しかしそうかと思えば一斉に響樹の方を向いたりもする。急にである。
「じゃあ天羽君も下の名前で呼ばれてるの?」
「……ああ」
「えー。なんて呼ばれてるの?」
「だから下の名前って……もしかして知らないのか?」
長期休みも含めれば同じクラスになって9ヶ月、響樹は目の前の女子たちのフルネームを全員分言える。と言うよりもクラス全員フルネームで覚えている。
それなのにと愕然とした思いでいると、彼女たちは「流石に知ってるって」と笑っていた。ニヤニヤと。
つまり、響樹の口から言わせたいらしい。
「だから下の名前だって」
「えー。わかんないなあ」
どうあっても逃がすつもりはないらしい。
HRまで粘る手も考えたが、これから徐々に人の増え続ける教室で逃げ切れる自信が無かった。
「……響樹君、て呼ばれてる」
また一段と高い声が上がる。
そうして彼女たちはまた響樹を抜きにして盛り上がり始めた。
「話題の中心なのかハブられてるのかわかんねーな」
「まあな。おはよう、海」
「おう。おはよう、響樹」
いつの間にか後ろにいた海はまだ鞄を自分の席に置いてもいない。
そして、普段の少し軽薄な笑みではなく爽やかな笑顔の海は、響樹の背中を結構な強さではたいた。
「いてーな」
「祝福だと思っとけ」
サムズアップの海は、「そんでこれから覚悟しとけ」と軽薄な笑みを浮かべた。
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