第82話 二人の距離
「待ちましたか?」
「いや、今出てきたとこだ」
本当は5分ほど待っていた響樹がそう答えると、吉乃がニコリと笑顔を見せる。
「それは良かったです」
恋人のようなやり取りなのに恋人になってからは初めてのやり取り。
むず痒さを感じたのはどうやら響樹だけではなかったらしく、吉乃もどこか照れくさそうにはにかんでいる。
そんな状態で十数秒ほど見つめ合っていると、吉乃が響樹の首元にそっと手を伸ばし、マフラーを僅かに整えた。可愛らしいはにかみはそのままに僅かに頬を染め、上目遣いの視線を送りながら。
詰められた一歩分の距離、その分だけ近くに来てくれた吉乃の香りが冷たい空気を伝わり、表情と視線と合わさって朝から心臓に悪い。
「マフラー変だったか?」
離れていく吉乃に名残惜しさを隠しつつ尋ねてみると――
「いえ。してみたかっただけです」
吉乃からもらったマフラーは、響樹が服装で一番気を遣うところなのでおかしいはずはないと思っていたが、やはりそれは正しかったようで吉乃は少し恥ずかしそうに笑った。
「本当はネクタイでしてみたかったですけど、冬ですので」
「流石にこれ外したくないからな。春まで待ってくれ」
防寒のためではなく、吉乃からもらった物なので。含ませた意味は明確に伝わったらしく、吉乃は嬉しそうに目を細めながら「ええ」と口にして言葉を続ける。
「そろそろ行きましょうか?」
「ああ、行こう。それから、手も、いいか?」
「はい、もちろんです」
頷いて手を差し出した響樹にやわらかな笑みを浮かべ、吉乃はそっとその手を取ってくれた。
三学期初日の朝は昨日までよりも少し冷える、数字上でも体感でも。それなのに吉乃はいつもの手袋をしていない。
途中までとはいえ登校中に手を繋ぐ事は少し恥ずかしいと思っていたが、意思表示をしてくれた吉乃に言葉まで先んじさせる訳にはいかない。
「手、いつもより冷たいな」
「今日は今年に入ってからでは一番寒いですからね」
そういった意味で言ったのでない事はわかっているだろうに、一緒に歩き出した吉乃はどこかとぼけたような笑みを見せる。
「明日からはちゃんと手袋してくれよ……俺だってそんなに鈍くない」
「……それでは、期待していますね」
一瞬丸くした目を細めて優しい微笑みを浮かべた吉乃がきゅっと握った手に力を込めるので、「ああ」と頷いて響樹はマフラーに口元を沈めながら手に少し力を入れて握り返した。
そうやって歩き出した通学路の途中までは同じ高校の生徒はいない。しかし、通行人がいない訳ではない。
初詣や気分転換の散歩などで手を繋いだ時は吉乃が人目を引きこそしたがあまり気にならなかったのだが、通学途中の高校生が手を繋ぐのはどうやら目立つらしい。
冬休み前に吉乃と一緒に歩いていた時期はここまででは無かったと記憶している。もちろん視線は感じたが、吉乃が集めた視線のおまけを貰っているだけだと思っていた。
しかし今のように高校生の男女が手を繋いで歩く以上その関係性はまず恋人な訳で、しかも片方が吉乃なので余計に目立つ。嫌ではないが落ち着かない。
「今でこれだと学校着いたら凄い事になりそうだな」
「せっかくなので学校まで手を繋いで行きますか?」
「流石に勘弁してくれ」
小悪魔の笑みで首を傾げる吉乃に響樹は肩を竦めてみせた。
証明としてはこの上なく手っ取り早いのだろうが、流石に現状そこまでの度胸は無いし、見せつけているようで反感も買いそうだ。
「残念です」
言葉とは裏腹にふふっと笑った吉乃は、「でも、いつかはしてみたいですね」と目を細めた。
「そう、だな」
「高校生活はあと2年ありますので、楽しみにしています」
「善処する」
マフラーに口元を埋めながらそう言った響樹に、吉乃はくすりと笑いながら小さく頷いた。
◇
「さてそろそろか」
「ええ。残念ですけど」
しばらく歩いて以前ならば別れる地点に差し掛かる。ここから先は同じ学校の生徒に会う確率が存在するので、残念ながら手を繋いで歩くのはここまで。
冬休み中に散々どちらから手を離すかというやり取りをした経験が活き、名残惜しさこそ覚えたものの互いに同じタイミングで手を解いた。
「手が冷たいです」
「手袋しろよ」
くすりと笑いながら口にした吉乃にそう返せば、僅かに響樹を見上げた彼女は頬を膨らませる。
「吉乃さんの手、綺麗だから。いや手も、だな。だから荒れたら嫌だ」
「響樹君はまたそういう事を何でもないように……」
ふいっと顔を逸らしマフラーに口元を埋めた吉乃はしかし、響樹の言葉を受けて素直に鞄から取り出したライトブラウンの手袋をはめた。
その後の吉乃は口を開かず、どこかムスっとした様子で基本的にはずっと前を見ていて、しかし時折響樹をちらりと窺っていた。
もし誰かに見られたのなら響樹が吉乃を怒らせたように思うのだろうが、実際はただ照れているだけな事が響樹にはわかる。
そしてその誰かがこの吉乃を見る事はあり得ない。
「おはよう、烏丸さ……ん」
小道から現れた同級生の女子に対し、吉乃はいつの間にか穏やかな笑みを浮かべて挨拶を返した。驚きで言葉を失った彼女の名前を呼びながら。
以前初めて吉乃とここを通った時に会った女子だっただろうか、彼女は見開かれた目で吉乃と響樹見比べ、「それでは」と会釈をした吉乃に恐る恐る声をかけた。
「……彼氏?」
手こそ繋いでいないが響樹たちの距離感は非常に近い。ただの同道者だった頃と比べればほぼゼロ距離で歩く二人は、心理的な距離もだいぶ近づいたように見えるのだろう。
「はい。お付き合いをさせていただいています」
穏やかな笑みのまま、まるで天気の話でもするかのように事も無げに口にした吉乃に、今度こそ声をかけてきた彼女は固まった。
そして会釈をして歩き出した吉乃の横で響樹も一応軽く会釈をしておいたが、目には入っていなかっただろう。
「今のって同じクラスの人か?」
「いえ、七組の方ですね」
「体育で一緒でもないのか。顔が広いな」
「交友関係は狭いですけどね」
「これから広げればいいだろ」
くすりと笑って自虐を見せた吉乃に、響樹も軽く笑いながら返した。
いつでも穏やかな笑みを絶やさない
自分と過ごす時間が減るだろう事は少し寂しいが、吉乃の本当の魅力が広く知れ渡るのは響樹にとっても喜ばしい事だ。
「ええ。響樹君が寂しがらない程度には広げて行こうと思います」
「……別に俺は」
まるで響樹の心の中を覗いたかのように、吉乃は小悪魔の笑みを浮かべる。
図星をつかれたのは半分だが、響樹としては少々気まずくて顔を逸らす。
「響樹君は寂しがりですからね。私が少し離れて座ると悲しそうな顔をしますし、クールに見えてわかりやすいです」
「吉乃さんだってそうだろ」
「ええ。私は響樹君がいないと寂しいですから」
頬を染め、それでもやわらかな笑みを浮かべた吉乃を前に、響樹は降参とばかりにマフラーをだいぶ上まで持ち上げた。
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